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お父様の焦った声が聞こえるが、追いかけては来ない。
あれは誰なんだ、一体どういうことだと言う戸惑いの声も聞こえた。
お父様も知らない人……。アイリーンとも顔を合わせたことはないのかな?
よく見れば、周りの女性たちが彼を目で追っている。
背が高くて、鍛えられた体躯。それにりりしく引き締まった顔をしているのだ。そりゃ女性たちの目は釘付けになるよね。
「あの素敵な方はあれかしら?」
「見たことがないわ。」
これほど目立ってかっこいいのに、知らない人がいるの?彼はあまり社交界には出てこない人?
周りの目を気にしていたため、彼が私の手を引いてどこへ連れて行こうとしていたのか分からずにいた。
気が付いたら、すぐ目の前に公爵夫妻がいた。
「え?ここは……」
並んでいる人を飛ばして挨拶ができる人の場所だ。
それはかなりの高位貴族か、親族のみのはず。高位貴族であれば、女性たちが誰なんてささやくはずはない?
とすると親族?
「なんだ、ルード、挨拶ならさっき受けたぞ」
公爵様が、私の手を引く男性……ルードに砕けた口調で話しかけた。
やっぱり、親族なのかな。
「そちらの女性は?」
公爵夫人が私に目を向ける。
「ちょっと、この絵が見たいっていうから、連れてきた」
私の手を引く男性……ルードが天井を指さした。
その動きにつられて、公爵夫妻が絵を見上げる。
ちょっと、私が見たいって我儘を言ったみたいになってない?
「ほら、見たかったんだろ」
ルードに言われて、見上げる。
「ああ……素敵……愛が伝わってくる絵ですね……」
思わずため息が漏れる。
女性が、赤ちゃんを抱く絵だ。女性……母親だろうか……は、本当に幸せそうに、そして赤ちゃんを愛おしそうに見ている。
アイリーンの子が生まれたら……私は姪をこの手に抱けるのね……。大切にしたい。
「ああ、こんな素晴らしい絵がここにあったのだな。天井画を見ることもなく気が付かなかったよ」
「そうね。せっかくのいい絵を見逃すところでしたわ。ありがとう」
ひぃっ!
公爵ご夫妻にお礼を言われて我に返る。
私ったら、恐れ多いことをっ!
「で、こちらの女性はどなた?紹介していただける?」
公爵夫人がルードに尋ねた。
「あー……」
ルードが言葉に詰まって頭をかいた。
「まぁ!ルードったら、名前も知らないお嬢さんの手を引っ張ってきたというの?」
ああ、しまった。私が失敗してるんだきっと。
カーテシーを慌ててする。使用人のような扱いを受けていたけれど、子爵令嬢として恥ずかしくないだけの基本的なマナーはアイリーンと一緒に学んでいる。アイリーンと違って、家庭教師に指導してもらえる時間が少なかったため、必死で身に着けた。ぎこちない動きになってしまうのは仕方がないと思う。
「シュリアド子爵家が娘、アイリーンです。ご挨拶が遅れ申し訳ございません」
頭を下げると、素っ頓狂な声が後ろから聞こえた。
「アイリーン、君が?」
ルードの声だ。
公爵様が苦笑している。