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『愛してるよと言ったのに……やはりアイリーンのことは気が付かなかった。嘘だったんだ……』
誰かに愛されたくて、アイリーンはいろいろな男の人の夜会で声をかけたり、かけられた男の人と親しくしたりし始めたのか……。
『”ヴァイオレッタ”に声をかけてきた男には見覚えがある。”アイリーン”をさんざん虐めた女の婚約者だ。いつも自分は婚約者に愛されていると贈られたものを自慢していた。何が、愛されてるだ。ヴァイオレッタが贈り物が欲しいと、自慢していた品と同じものを要求すれば「そんな安物でいいのか?」ともっといい物を贈ってくれた』
アイリーンの小さな復讐。
「あ、もしかして」
ドレッサーの左の上の引き出しを開く。
手紙やカードとともに封筒に入れて保管されている品は……戦利品ということ?
日記の内容と、カードの裏にメモされた日付と場所と相手の名前が一致する。
『娼婦のような女と噂されるようになった。まだ、娼婦であればよかったでしょうね。お金を出して仕事と割り切る女とただの客。勝手に言えばいい。本心ではいつ婚約者を取られるのではないかとびくびくしているのでしょうね。娼婦であれば無視できる話も、子爵令嬢相手じゃそうもいかないものね』
こうして、アイリーンは心を保っていたのか……。
『ざまぁみろ』
そう書かれた日記のすぐ後にはやはり。
『辛い』
と言う言葉が出てくる。
『寂しい』
『またお茶会に行かなければならない。いやだ。行きたくない』
お父様もお義母様もアイリーンには「我儘を言うな」「我慢しなさい」「ドレスを買ってやったのに何が不満だ」「今度宝石も買ってやるから文句を言うな」と繰り返している。
それから……。
『ヴァイオレッタを見てみろ。ドレスも着られずみじめな姿を。お前もああなりたいのか……と言われ、変われるものなら変わりたいと言いそうになった。私は贅沢を言っているのだろうか。お義姉様が食事を抜かれたり、お父様や侍女たちに暴力を振るわれたりしているのを見てしまうことはある。……部屋も狭くて薄汚い屋根裏部屋。水仕事で荒れた手に、手入れが行き届かずぼさぼさになった髪。確かにみじめなのかもしれない』
いいえ。アイリーン……。いいえ……。私はアイリーンはお父様とお義母様に愛されていると思っていた。
うらやましいと思ったのはそれだけ。薄汚い屋根裏部屋をみじめだと思ったことはない。
『お義姉様よりはましなはず。だから、ドレスを着て見せびらかした。部屋をわざと散らかして使用人のように片付けさせた。うらやましいでしょう?と言った。それなのに、お義姉様はまるきり私をうらやましいという顔もしない。悔しそうな顔もしない。悲しくて泣きだすこともない』
そうか……。アイリーンは私の方がマシだと思いたくて……。
気が付かなかった。本当にアイリーンは綺麗なドレスを着ることが好きで私に自慢しているのだと思っていた。それをうらやましいと思わなかったから特に反応することもなかったけれど……。そのことが余計にアイリーンを苦しめていたのか……。
日記を読み進めるうちに、出てきた名前にどきりとする。
ハルーシュ様……。ルード様の弟の名前だ。
『初めてお見掛けする顏だ。きっと、社交界での私の噂を知らないのだろう。令嬢に囲まれて罵声を浴びせられている私を助けてくれた。嬉しかった。でも、きっと噂を耳にすれば、もう話かけてくれることはないのだろう』
助けてくれた……のか。
ルード様を思い浮かべる。
兄弟そろって、正義感の強い人なのかも。
だったら、ハルーシュ様は庶民の子だとかよくない噂を聞いても助けてくれるのでは?
それから数日後の日記。
『ハルーシュ様がいらっしゃった。声をかけてくれるなんて思わなかったから……びっくりした。王都の社交界は慣れないと言っていた。いろいろと噂される私と一緒にいては迷惑をかけてしまいますと距離を取ろうとしたらハルーシュ様が笑った。僕もいろいろと噂されてるから平気だと。どんな噂をされているんだろう?』
お茶会でハルーシュ様と再会したことが書かれている。
お茶会の後だというのに『辛い』『もう行きたくない』という言葉がなかった。




