60
「聞かなかったことにします……」
「どうして、アイリーンだって、俺のことを好きだと、そう言ってくれただろう?」
「……ごめんなさい」
この謝罪は、気持ちを伝えてしまったことに対するものだ。
「なぜ……」
ルード様が悲しみの表情を浮かべる。
「兄さんっ!」
突然の声に、弾かれたようにルード様が私の肩から手を離した。
「アイリーンに何をしたんですっ!」
ルード様よりも少し若い青年が現れた。
こちらまで駆けてくると、ルード様を押しのけて私を背に庇った。
「兄さんっ!アイリーンに、何をしたんですかっ!許さない!」
ルード様と同じ色の髪の青年ごしに、ルード様の顔が見える。
その表情は何かを悟ったようなものだった。
「アイリーン……」
声にならない声で、口を動かすのが見えた。
「アイリーン、行こうっ!」
青年……ルード様を兄さんと呼ぶからきっと、弟なんだろう。
私の手を取ると、走り出した。
そして、人気のない屋敷の影に入ると自分の着ていた上着を脱いで私の肩にかけた。
「ドレスは破れて……あちこち汚れて血も……いったい、兄さんに何をされたの、アイリーン」
怒っているような泣きそうになっているような顔で、青年が私を見た。
目の色は、ルード様よりも少し青が強いんだ……顏は、ルード様よりも優しい感じ。
と、思わずまじまじと顔を見てしまうと、同じようにルード様の弟もまじまじと私の顔を見た。★★
「誰、……アイリーンじゃない……」
弟さんの口から洩れた言葉にぎょっとする。
「あ、あの……」
なんでバレたの?
とっさに頭に手をやる。
カツラはずれてない。
なのに、なぜ……?
他の人は誰一人として気が付かなかったというのに……。
「もしかして、本物のヴァイオレット?」
「あっ」
口を手で押さえて、それからその場を駆けだした。
まずい、まずい。
バレた。
私がヴァイオレッタだということ……。
どうしたらいいのか分からず逃げ出す。
お茶会の場から。そして、お茶会の開かれている子爵家の屋敷から。
気が付いたら街中にいた。
人の目がこちらに向いている。
ヴァイオレッタとしてお使いに行くときには向かない目だ。
視線を落とすと、汚れたドレスのスカートが目に映る。
そして、弟さんが貸してくれた上着が目に留まった。
しまった。借りたまま出てきてしまった。
いや、今はそんなことよりも……。こんな姿でうろついていたら子爵家の評判にかかわる。早く帰らなければ。
街はお使いでよく来ているから道は分かる。
速足で子爵家の屋敷に向かって歩きだした。
途中、みすぼらしい服装の女性がうつろな目で物乞いをしているのが目に入った。
どこかで見たような顔……。誰かに似ているような?
と、気になりはしたけれど私には関係ないと、頭を振って屋敷に向かう。




