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「ああ、ごめんっ、ちょっと多すぎたか?」
うまく口の中に入らなくてスープが口の端からこぼれ出てしまった。
ルード様の指が私の口元をぬぐう。
「あっ」
慣れない感覚に思わず声が出る。
「ご、めん」
ルード様が、真っ赤になった顔をそむけた。
ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。
「わ、私っ」
だめ。こんなこと、言っちゃ。
私は、今はアイリーンなのだから。
でも、止められない。
「ルード様のことが……好きです」
ああ、言ってしまった。
弾かれたように、ルード様が私を見た。
「ア……アイリーン……」
苦しそうに眉を寄せるルード様。
分かっている。
ルード様にとっては迷惑なことだと。
だから……。
懸命に笑顔を作る。
「もう、私に構わないでください」
ルード様を拒絶する。
これ以上好きにさせないで。
どうせ、私とルード様に未来などないのだから。
傷が深くならないうちに。
「幸せそうに、天井画を眺めていた君も、花の名前も知らない君も、俺は」
「出て行ってくださいっ!ルード様っ!」
せっかく作っていた笑顔だったのに。
涙が溢れてきた。
「これ以上、あなたに触れられたら、私は私でいられなくなります」
だめだと分かっているのに。その手に抱きしめられたいと望んでしまう。
アイリーンの評判を落とすわけにはいかない。
そして……。
「もう、これ以上、ルード様の口から、ヴァイオレッタを悪く言う言葉も聞きたくありません……」
「それは……」
確かに私は家でアイリーンに使用人のように扱われていた。でも、それはお父様が私にそうしていたからだろう。
雑巾を投げつけるのも、ドレスに針を仕込むのも、全部侍女たちの仕業だ。アイリーンは私に自慢話をして、私を馬鹿にする。ただそれだけ。
食事抜きだと決めるのも、無理な仕事を押し付けるのも、お父様だ。
いいえ、時には私をいやらしい目で見る家令も、私を思い通りにできないと食事抜きになる。
お義母様もアイリーンも、私を使用人のように扱うだけ。それは、お父様が自分子じゃないと言うから。
子爵家の血が入ってない、どこの誰とも分からない男の子だと。
そう、養ってやっているのだ、使用人として働くのは当然だというお父様の言葉に従っているだけ。
ヴァイオレッタである私も、ヴァイオレッタのフリをしているアイリーンも……。
「使用人に命じてドレスに針を刺すような人はいません……」
ルード様がうろたえた。
「すまない、君の言葉を疑って……その、言い訳になるかもしれないが、アイリーンの身を案じるあまり……」
”アイリーン”の身を案じるあまり、”ヴァイオレッタ”を悪者にしたのよね。
「出ていって……もう、二度とお会いしたくありません……」
低い声でルード様に告げる。