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血抜きをされたドレスはハンガーにかけてラックに吊り下げておく。
使用人のおさがりのような粗末なワンピースを身に着けると、急いでハンカチに刺繍をするために裁縫箱を子爵家の資材庫から取り出す。
「あ……」
裁縫箱の蓋を開くと、帳簿では確か針は5本はあるはずなのに1本もない。
「……いったい、ドレスの背中に何本針を使ったのか……」
そんなにサイズ合わせに使うくらいなら、縫い付ければよかったのに。
それとも、やっぱりサイズ合わせなんて言い訳でしかないのか……。
フルフルと頭をふり、気持ちを切り替える。
家令の元へと足を運ぶ。
「刺繍をするための材料を買いに行きますので、お金をいただけますか?お父様が言うように、最上級の布と糸を買います。それから針が紛失しているようなのでそれも買ってきますので」
金額を言うと、嫌な顔をされたが、お父様とのやり取りを聞いていたので家令もそれ以上は何も言わなかった。
お金を受け取って立ち去ろうとしたときに、家令が口を開いた。
「先ほど、侍女が一人退職願いを出したのですが、何をしたんですか?」
え?
「分かりません」
誰だろう。
「私の世話をしたくなかったのかもしれません……」
使用人同然として扱われていた私が、アイリーンの代わりをしなければいけないとはいえ、風呂に入り、肌の手入れをされ、美しいドレスを着て出かけていくことを面白く思わない侍女はいるだろう。
「アイリーンが戻ったら、また、戻ってくるかもしれません……」
「ところで、一つ大事なことに、協力してあげようか?」
急に家令が私の肩に手を回した。
「大事なこと?」
「そう。ヴァイオレッタとして結婚するんだろう?だったら、当然夫婦としての営みもすることになる」
そうなるだろう。
「経験がないことで入れ替わりがばれるわけにいかないだろう?」
あ……。
「私が、バレないように、協力してあげるよ」
家令の手が肩から背中へと降りていく。
ぞわりと気持ち悪さが背中に走る。
「協力は……必要ありませんっ。急ぎでハンカチに刺繍をしないといけないので失礼します」
家令の手を振り払って逃げるように部屋を後にする。
気持ち悪い。
気持ちが……悪い。
確かに、ヴァイオレッタとして結婚するなら経験がないとおかしいと思われるだろう。
……触れられただけであんなに気持ちが悪い。家令と関係を持つなんて絶対に無理だ。
じゃあ、誰ならいいと言うの?
ルード様の顔が浮かんだ。
……だめ。
”アイリーン”とルード様が関係を持ったなんて、そんな過去を作るわけにいかない。
もし万が一、ルード様が”アイリーン”と関係を持ったことに責任を感じてしまったら?
義妹のアイリーンがルード様と結婚することを想像して胸が痛む。
私と結ばれることがないルード様だけど。誰かと仲睦まじく過ごす姿を近くで見ていたくはない。
……じゃあ、”ヴァイオレッタ”だったら?
ルード様は噂は聞いたことがあるみたいだけれど、”ヴァイオレッタ”とは会ったことがないみたいだった。
ヴァイオレッタとしてルード様に……。
想像してから首を大きく横に振った。
ルード様は不誠実な人ではない。




