隣の9番目さん
公式企画「春の推理2023」に参加しています。
【主人公】29歳・男性・会社員
夜中のサービスエリアは閑散としていた。
取引先との交渉が思った以上に長引いてしまい、すっかり遅くなってしまった日帰り出張の帰り道……俺は高速道路のサービスエリアに立ち寄ることにした。
このサービスエリアは休日の家族旅行などで時々利用しているが、いつもは空いている駐車スペースを探すのに苦労するほど混雑している。大型バスが何台も駐車すると、女性用トイレの前には行列ができるほどだ。
だが平日、ましてや夜も更けた時間帯に1人でやって来ると雰囲気がこんなに変わるものなのか。俺はいつもと違うサービスエリアの光景に、まるで異世界にでも迷い込んだかのような気分になっていた。
とりあえずお腹が空いていたので食事でもしよう。あらかじめ妻に夕食は済ませると電話しておいた。2歳になるひとり息子も今頃はゆめのなかであろう。俺はここに来るといつも必ず食べているラーメンセットを注文した。
大型モニターに番号が表示され、ラーメンセットを受け取り席について食べる。
――よかった、いつもの味だ。
俺はこのラーメンの味で、ここがいつも来ているサービスエリアなのだ……と改めて実感した。
食事を終えた俺は家路を急ぐことにした。今日はこのまま直帰で明日は休み、久しぶりに家族サービスでもするか。
売店で妻と息子のためにお土産を買って車に戻った。だが急に尿意をもよおした俺は、お土産を車内に置くと再びサービスエリアのトイレに向かった。
※※※※※※※
サービスエリアのトイレもこの時間は閑散としていた。いつもは小便器を選ぶ権利など行使できず、空いている便器を使わなければならない混雑っぷり……しかしこの時間帯は選び放題だ! とはいえどこを使っても一緒ではあるのだが。
俺は手前から5~6番目にある小便器の前に立った。え? 5~6番目ってお前は正確に数えられないのかだって? 逆に聞きたいが、君たちは公衆トイレで便器の数をいちいち把握するのかい? つまりそれほど重要な問題じゃないってことだ。
小便器の前に立った俺は、1日に何度もする行為なので特に意識することなくズボンのファスナーを下そうとした。
と、そのとき……驚愕の事態が起きたのだ!
後から誰か人が入ってきた。男性用トイレなのでほぼ間違いなく男だろう。するとその人は迷うことなく一直線にこちらへ向かってきて……
俺の隣にある小便器の前に立ったのだ。
――えっ、何で?
俺は目の前(正確には隣)で起こっている状況に戦慄が走った。
その前に、この状況でなぜ戦慄が走るのか説明が必要だろう。特に一部の女性の方には、まず男性用トイレの構造から説明しなければなるまい。
男性用トイレは個室以外に小便専用の便器が存在する。いわゆる「立ちション」専用だ。これには個室のような仕切りがなく、男たちはお互いの存在を認識した状態で並んで用を足しているのだ。
だから何? 元々そういう構造で設置されているのだから、隣に立っていても問題ないじゃん……そう思う人もいるだろう。だがよく考えてほしい!
この時間帯、サービスエリアは閑散としている。もちろんトイレも閑散と……いや、それどころかこのとき、トイレには俺1人しかいなかったのだ!
しかも、サービスエリアのトイレというのはメチャクチャ広い。数えたことはないが、数えきれないほどの小便器がある! このような状況で……
なぜ後から入ってきた人が、これだけ空いているのにもかかわらず……何の迷いもなく「俺の隣」に立ったのか?
俺はこの「招かれざる隣人」の出現に、思わずファスナーを下す手を止めた。
※※※※※※※
なぜこの人は他にたくさんある小便器には目もくれず「俺の隣」を選んだのだろうか……謎が深まるばかりだ。
一応、思い当たる「答え」はある……だが、この答えは「最悪の答え」だ。とりあえずこの答えが正解だとは考えたくないので後回しにしておこう。俺は気持ちをポジティブに切り替えて、この異常事態に陥った理由を推理してみた。
――!?
――あぁ、わかった!
この人はきっと……「せっかちさん」だ! きっと尿意が限界だったので、隣に誰かいようがいまいが関係なく一番手前の小便器を……って
……違うじゃーん!!
この場所……手前から5~6番目だよ! ここが何番目の便器かだなんて意識していなかったけど、この人のせいで正確な数を知りたくなってしまった。
トイレの入り口は向かって左側、隣の人は俺の右側にいる。俺はそっと左側を向き、小便器の数を数えてみた。1……2……3……
……8番目だった。どこが5~6番目だよ! 人間の視覚っていい加減だなぁ。
まぁどっちにせよ、「せっかち説」は無くなった。
じゃあ何? 何でこの人はこれだけ空いている……ってかこれだけ数多い小便器の中から、わざわざ俺の隣を選んだの?
もしかして連れション希望? 1人でするのは寂しいから一緒にって……いやいや、初対面の人にそんな要求をされたら人見知りじゃなくても引くわ!
あと考えられる理由は……そうか! きっとこの人は高齢者か障がい者で、この小便器はそのような方に譲る……って電車やバスの優先席じゃねぇよ!!
じ、じゃあ……こっの人はプロだ! でもってここは「よく回る台」で確変を狙いに開店からここで……ってパチンコ台でもねぇよ!!
まぁでも、「パを抜いたモノ」は出すけどな……下ネタ失礼!
となると残された答えは……散々この結論から逃げ回っていたが、やはりこれしか考えられない……ということなのだろうか?
この人……「その気がある人」だ! 気は「き」とは読まず「け」と読む。
それでこの人は俺の隣に立ち、横目で俺の「パチンコからパを抜いたもの」をジロジロ眺めようとしているに違いない。現在考えられる最悪の「ケツ論」だ。
同性愛を否定するつもりはないが俺は「ノンケ」だ。なのでいくらその気があっても勘弁してくれ! ムリなものはムリ……これは男女関係なく言えることだ。
俺には妻も子どももいる。確かに子宝には恵まれたが、だからといって人に自慢できるような……銭湯で2度見されるような「モノ」は持ち合わせていない。
なのになぜこの人は俺にロックオンしたんだ? なぜ俺の一の物を覗き込もうとしているのだ? 男なら誰でもいいのか?
いや待て待て待て! 隣に立っているという事実だけでこの人が「その気がある人」だとは証明できない……それは間違った推理だ! ましてや俺の一の物を覗き込んでいるかどうかだなんて、この人の顔を見ない限り確認できない……。
――じゃあ……顔を見てみるか?
俺はそーっと右側に視線を向けようとし……いやダメだっ!
もし隣の人がノンケだったら、立場が逆になり俺が「その気がある人」と思われてしまう。逆にもし隣の人が本当に「その気がある人」だったら目線が合った瞬間に『相思相愛』が確定! 更にこの人が自分の一の物を俺に見せつけて……
「や●ないか?」
と囁いてきたら最期、俺は個室に連れていかれあんな事やこんな事……え? あんな事とは何かって? そんなのネットで「ウホッ」と検索すりゃわかる。
ここはR15だ。プラス3にならないよう不用意な言動は慎もう。
そんなことを考えているうちに俺の尿意は限界になってきた。もうこれ以上の我慢は無理……しかもいつまでもこの体勢でいたら俺の方が変な人だと思われる。
意を決して俺はズボンのファスナーを下した。隣からジョボジョボと音が聞こえている……たぶんこの人は今、自分の放尿に集中しているから俺の一の物を覗き込まれることは無いだろう。俺は出来るだけ便器に近づくと、両手で一の物を見られないようにガードしながら用を足した。
するとこちらの放尿が終わる前に、隣の人は便器を離れ手洗い場へ向かった。
――何だ、取り越し苦労だったのか。
俺は後ろの貞操が守られたことに安堵した。手洗い場にいたその人の後姿は、体格の良い普通のおっさんだった。
※※※※※※※
手を洗っている最中、俺の頭の中にある疑問が残っていることを思い出した。
――なぜ、あの場所?
色々推理してみたが全くわからない。このまま迷宮入りか? まぁでも、貞操の危機が去った今となってはどうでもよいこと……だが気になる。
「あっ、すみません」
「あぁ、いえいえ……」
トイレを出ようとしたとき、2人の中年女性とぶつかりそうになった。トイレの清掃員だ。こんな時間でも掃除しているのか……どうりでいつもトイレがきれいなワケだ。そう思っていると2人の清掃員が何やら雑談を始めた。
「あれ、今日は『9番目さん』は来てたのかしら?」
「えっ、なーに? 9番目さんって……」
どうやらこの2人は先輩後輩みたいな関係のようだ。俺はその「9番目さん」という言葉が気になり、思わず彼女たちの会話を盗み聞きしてしまった。
「いつもこの時間に来るトラックの運転手さんなんだけどね……ちょっと変わってる人で、必ず手前から9番目の便器を使うの!」
「えっ、それで9番目さんなの?」
「そうよぉ! 最初は気がつかなかったんだけど、何か同じ人だよなぁって思って観察してたらさ! すっごいのよこの人! この便器に対する執念がさぁ!」
「執念?」
「そう! この9番目を他の人が使っていてもさ、便器なんか他にいくらでも空いているのに使わないの! ずっと9番目が空くまで後ろで待っているのよ……だから9番目さんってみんなから呼ばれているの! でも何でここなんだろうねぇ?」
「さぁ? でもそれを観察していたアナタも執念深いわよねぇ……」
「あっはっは」
――なるほど、そういうことだったのか!
確かに……こういう「同じ場所にこだわる人」っているよ! 俺が勤める会社の社員食堂や休憩室でも、本来なら自由に座っていいのに同じ場所へ意地でも座ろうとする人とか……いるよ!
――あーあ、しょーもないことに神経をすり減らしてしまった。
俺は車に戻りエンジンをかけると、妻と子どもの待つ家路に向かった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
この話はフィクションですが一部、経験談が含まれております。