第1話 悪夢の自己紹介
入学式翌日。
登校した俺は自分の席で本を広げた。中身は最近お気に入りのライトノベルだ。大切な人に裏切られた主人公が裏切り者に復讐するという内容で、その復讐内容が中々に凄惨で一時期話題となった。
本来なら昨日のうちに読み切る予定だったが、昨日の帰り際に発せられた言葉の意味が理解できずにあれこれ考えていたら読み切れなかった。
結局、あの発言は聞き違いという結論に至った。
入学直後だから緊張していたし、先生が話している最中に余計なことを考えていた。いくらここでの生活が通過点とはいえ緩みすぎていた。これは反省案件だ。
魔法とかこの世にあるわけない。
小学生でもわかることじゃないか。
冷静になろう。特待生でこの学園に入学した時点で人生の勝ちは確定している。バラ色の未来はすぐそこに迫っている。
心を落ち着けながら読書を開始して数分。
「おっはよ」
後ろの席の女子生徒が登校してきた。
最初は誰に挨拶をしているのかわからなかった返事をしなかったが、ポンと肩に手を置かれて再び「おっはよ」と声を掛けられた。
「……おはよう」
顔を向けずに返す。
「テンション低いね。もしかして、緊張してる?」
「別に」
「いやいや、絶対緊張してるって。よし、緊張をほぐすためにお喋りしよう。前後の席のよしみで仲良くしようじゃないか」
仲良くだと?
冗談じゃない。友達って言葉ほど信じられないものはないからな。
高校では淡々と授業を消化し、上位の成績で卒業する。通っている連中は全員ライバルだ。下手に構って遊びにでも誘われたら貴重な時間を失いかねない。こういうのは最初に態度で示すべきだ。
というわけで、無視することにした。
後ろの女子はめげずに何度も話しかけてきたが、すべて無視した。
「……しょうがない。まずは簡単そうなとこから崩しますか」
無視されてプライドが傷ついたのか、後ろの女子は呟いてどこかに向かって歩き出した。すぐに誰かと話す声が聞こえてきた。しばらくすると会話が盛り上がったようで、声には笑いが混じっていた。
恐るべきコミュ力だ。その社交性の高さはかつての悪友を彷彿とさせる。
まっ、あいつがここに通うとかありえないけどな。
しばし平和な時間が流れた後、チャイムが鳴って教室の扉が開いた。
「おはよう」
担任が入ってきた。
近衛先生は若い女性教師だ。年齢は二十代前半だろうか。キャリアウーマンとか弁護士を連想する知的な雰囲気が漂っていた。スーツ姿が似合っており、いかにもデキる女という印象を受ける。
……この人が魔法学園とか言わないよな。
昨日のあれはやっぱり聞き違いだろう。
「さて、まずは自己紹介をしてもらう。入寮した者は面識もあるだろうが、通いの生徒もいる。特技でも趣味でも何でもいいから自由に喋ってくれ」
初日の恒例行事だな。
机の初期配置は五十音順で、番号が早い順に自己紹介する運びとなった。クラスメイトに興味がなかったので再び読みかけの本を開いた。
数人が自己紹介を終えたところで教室がざわつく。
「北沢……です。好きなのは体を動かすことで、中学時代は陸上をやってました。苦手なのは勉強かな。好きな言葉は”真っ向勝負”で、長所はポジティブなところ。短所は気が短いところっす。ってわけで、よろしく」
自己紹介が終わると、近くから女子の声が聞こえてきた。
「めちゃくちゃ爽やか系イケメンだね」
「背も高いよ」
どうやら自己紹介した男子はかなりのイケメンらしい。
本を読むのに夢中で名前を聞き取れなかった。
北沢という苗字でイケメンに一人心当たりがあるものの、あいつが姫華学園に受かるはずがないので別人だろう。そもそもわざわざこっちの高校に進学する理由もないしな。
さして気にせず読書を続ける。
自己紹介は順調に進み、前の席の奴が立ち上がったところで読書を中断した。
「次、中館」
「はい。中館颯太です。長所と短所は特になし。趣味もありません」
それだけ言って席に座る。
簡単すぎる自己紹介に全員戸惑っていたが、気にせず再び本を手に取った。
他の連中は趣味とか特技といった個人情報を晒していたようだが、個人情報をさらけ出したところでメリットはない。どうせ誰とも関わり合いになる気はないし。
「う、うむ。簡潔な自己紹介だったな。では、次――」
再び本の世界に旅立とうとしたところで、後ろの席の女子が勢いよく立ち上がった。
「はいっ、西野夏美です!」
聞き覚えのある名前に体が固まった。
「趣味はスポーツ観戦と食べ歩き、それからファッション関係全般。特技はメイクかな。好みのタイプは常にあたしを優先してくれる人で、好きな食べ物は焼肉とスイーツ系。ってわけで、仲良くしてください。ちなみに彼氏は随時募集中だから、そっちもよろしくね」
教室内がざわつく。
「ギャルだ」
「美少女ギャルだぞ」
男子達のひそひそ声を聞きながら、俺はごくりと息を呑む。
西野夏美は幼馴染の名前だ。
正確には四人いた幼馴染の内の一人だ。いつも面倒事を運ぶトラブルメーカーであり、場を盛り上げるムードメーカーでもあった。笑顔がまぶしく、ちらりと見える八重歯が特徴の少女。良くも悪くもノリがいいタイプで、よく一緒に馬鹿をやって怒られていた悪友だ。
単なる同姓同名だよな?
ゆっくりと振り返ってみる。
「っ」
そこに立っていたのは俺の良く知る夏美だった。あの頃よりも少し大人になっている。髪が茶色になり、ギャル感が増していた。
ガクガクと震えそうになる体を必死に押さえつけながら、先ほど自己紹介をした北沢という男子を見る。
ちらりと見えた横顔は紛れもなく幼馴染であり、夏美と同じく悪友である北沢冬樹だった。
どうしてこいつ等がここに?
縁が切れた中学二年の夏休み時点での学力は知っている。ここに入学できるようような成績じゃなかったはずだ。
衝撃は続いた。
「東山春香です」
この世で最も聞きたくない名前が聞こえてきた。
「趣味は料理です。家ではよく妹と料理勝負をしていました。いっぱい練習したから結構上手だと思います。特技はピアノです。最近はゲームもよくプレイします。よろしくお願いします」
恭しく頭を下げると、優雅に着席する。
東山春香もまた、幼馴染だ。
単なる幼馴染ではない。春香は最も親しい幼馴染であり、初恋の相手でもあった。そして、真っ先に裏切った女でもある。
てか、サラッと嘘を言いやがったな。
あいつは料理が下手だ。昔から生ごみのような物体を出して料理と言い張っていた。そのせいで何度か腹を壊した記憶がある。それに、ゲームするとか聞いたことないぞ。俺がゲームしてるのを楽しそうに見ていたが。
「清楚だ」
「正統派清楚系の美少女だ」
本で顔を隠しながら視線を送る。
長い黒髪を靡かせた清楚な雰囲気の美少女。あの頃よりも随分と大人っぽくなっている。白を基調とした制服がよく似合っている。なるほどクラスメイトの男子が言う通り清楚系美少女だ。
……マジかよ。春香までいるのかよ。
混乱と絶望の海を泳いでいると、トドメを刺された。
「南田秋人です。趣味は読書と天体観測で、最近は自分でも物語を書いています。得意なスポーツはテニスです。少し人見知りする性格ですが、仲良くしてくれると嬉しいです。よろしくお願いします」
かつての親友はクラスメイトに柔和な笑みを向ける。
女子達が色めき立つ。
「ちょっ、めちゃくちゃイケメンっ」
「王子様みたい」
俺は頭を抱える。最悪だ。このクラスには俺を裏切った幼馴染が在籍している。それも四人全員。
バラ色だったはずの未来が一瞬にして色あせた。