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孤独死クライマー

作者: 青井青

「しかし、ひどいね、こりゃ……」


 社長の高田沙希がぼやくようにつぶやいた。青いつなぎの作業服の上に白いビニールの防護服を着ている。


 家の出入り口を塞ぐようにゴミがうずたかく積まれ、玄関の天井近くにまで達していた。潰れたポリ袋、空き缶やビール瓶、スチール製のキャビネットなどが地層のように積み重なっている。


「警察はどうやって遺体を運び出したんですか? ここ、マンションの三階ですよね。ベランダは無理ですよね」


 同じい白い防護服に身を包んだ新城(まこと)が素朴な疑問を口にする。沙希が「なか見りゃわかるよ」と言った。


「真、さっそく頼めるかい?」


 青年が、わかりました、と答え、ゴム製の手袋をはめる。頭にフードを被り、口に防臭機能のついた防塵マスクをはめ、目を透明なアイガードで覆う。


 ゴミ屋敷は雑菌の巣窟だ。作業には細心の注意を要する。現場で釘を踏み、翌日に足が腫れて高熱を出し、破傷風で足を切断した同業者もいる。


 真が肩にロープの束を担ぎ、ゴミ山を見上げた。


(さて、ルートは……)


 頭の中で先に〝登攀〟のイメージを描く。クライミングで大切なのは足場だ。しっかりと足をポイントに乗せれば、無理なく次のホールドを手で取りにいける。


 真はスポーツクライミングの選手だった。普段は特殊清掃業者として働きながら、週末は大会に出場し、上位に入賞する実力者だった。


 最初にゴミ袋が二つ重なった場所に足をのせ、ぐっと体重をかける。


(よし……いける)


 つま先立ちで足の親指に力を入れる。


「ふだんの〝壁登り〟に較べてどうだい?」


「オーバーハングはないですけど……びっくり箱みたいな怖さはありますね」


 ゴミ山の途中で真の動きが止まる。手でホールドがとれそうな場所が見当たらない。


「無理すんじゃないよ。ヤバいと思ったら降りてきな」


「大丈夫です。いけます」


 いったん横に足を移動させ、ルートを変えた。ゴミ山にがっちり挟まった金属のキャビネットに手を掛け、慎重に這い上る。


 頂上に達し、天井とゴミの隙間に身体を潜り込ませる。廊下から「どうだい?」という社長の声が聞こえた。


「廊下もゴミだらけですね……」


 ずっとゴミが続き、天井との間に三十センチほどの隙間しかない。


 真はロープの端を外に向かって落とすと、肩に縄の束を掛けたまま、天井に頭をぶつけないよう、うつ伏せで這うように進んだ。


 リビングに近づくにつれ徐々にゴミの山が減りはじめた。ようやく立ち上がることができ、腰を屈めながら坂を下る。やがてリビングらしき場所に出た。


 そこのゴミは膝ぐらいまでの堆積だった。ロープの端を大型の冷蔵庫に結び、外にいる有希に大声で伝える。


「オーケーです。ロープを固定しました」


 真はリビングの真ん中あたりに目を向けた。そこだけフローリングの床がのぞき、黒い人型の染みが浮かんでいた。


(液状化してたのか……)


 だから社長は「中を見ればわかる」と言ったのだ。発見時に遺体は白骨化し、警察は現場検証をした後、骨だけ運び出したのだろう。


 壁に寄せた棚に写真が飾ってあった。近づいて手にとった。


 制服姿で黒いバイクに跨がった三十代ぐらいの長髪の男性が写っていた。バイクの後部シートには黄色いボックスが固定され、「オート急便」という文字が見てとれた。


 沙希が遅れてリビングにたどり着いた。


「ひえー、やばかった。家の中で登山した気分だよ」


 真が手にしている写真に気づき、沙希が言った。


「村橋祐司、49歳。ずっとバイク便で働いていたらしいけど怪我で退職。その後は非正規でイベント設営とか、倉庫の仕事をしていたらしい」


 結婚はしておらず、最後は引きこもりのような暮らしをしていたという。


 沙希が部屋を見回してつぶやいた。


「どうやって買い物に行ってたんだろうね? ゴミ山を毎日、上り下りしてたのかな」


 真はなんとなく想像がついた。あのゴミ山はバリケードだ。自分の死を覚悟して、玄関の前に積み上げたのだ。買い溜めた食料が尽きた後は水でしのぎ、やがて死に至った――一種の緩慢な自殺だった。


 真が棚に目をやった。他にも仲間とツーリングに行った写真などが飾られていた。


「……バイクが好きな人だったんですね」


「案外、死因は肺かもしれないよ。バイク便を長くやってると排気ガスで肺が真っ黒になっちまうんだ」


 村橋祐司は俗に言う「氷河期世代」だった。危険なバイク便の仕事を続け、その後も非正規の仕事を転々とし、最後は賃貸マンションの一室で孤独死したのだろう。


「ご遺族は?」


「ウチに依頼してきたのはお兄さん。一度もこっちには来てない。まあ、遺族からすりゃかかわりたくないんだろうけど、薄情なもんさ」


 真はじっと写真を見つめた。バイク便の制服に身を包み、笑っている長髪の男は自信にあふれ、生き生きして見えた。なぜ孤独死をしてしまったのか、今となっては何もわからない。


 沙希が遺体のあった場所に線香を供え、二人で手を合わせた。仕事を始める前の儀式だった。


「……さてと、とりあえずこのゴミ山を片付けて、外に出る導線を確保しないとね」


 二人はゴミの整理に取りかかった。処分するものとリサイクルできるものを分ける。遺族に渡すもの――預金通帳、有価証券、貴金属類、帳簿、鍵類、手帳や日記などは別の段ボールに入れる。


 沙希が社長を務める高田クリーンサービスは、遺品整理士認定協会に加盟していた。特殊清掃だけでなく、形見品や価値のあるものを買い取ったり、リサイクルに出して遺族に還元するのを売りにしていた。


「長い人生の最後がゴミ山に埋もれて孤独死……人生ってのはいろいろだね」


 沙希がゴム手袋をした手で椅子をリビングの隅に運ぶ。


「誰が気づいたんです?」


 沙希が手で床を指さし、「下の住人」と言った。


「この感じじゃ、床の(さね)を突き抜けて下地まで染みこんだね……基礎までいってるかもしれない」


 孤独死の場合、数カ月間、遺体が放置されたり、中には一年近く気づかれない人もいる。階下の住人やガスの検針員などが異変に気づくことが多い。


 片付けをしていた真の手が止まる。


「社長、これ――」


 預金通帳だった。真から受け取り、沙希が赤い冊子を開く。


「へー、100万もあるよ……けっこう溜めこんでたね」


 沙希が別の段ボールに通帳を入れる。過去には一千万近い金額の入った預金通帳が見つかったこともあった。


 孤独死の現場では、お札や小銭が床に落ちていることが多い。最初は物を元の位置に戻さなくなる。やがてリモコンの電池が切れても、冷蔵庫の中身が腐っても放置する。ついにはゴミ捨てが億劫になる。


 身の周りに無関心になり、やがてはお金でさえ〝ゴミ〟のように扱われる――それがゴミ屋敷ができあがる過程だった。


 ◇


「来週の土曜日でしたら、14時から15時の間ならお伺いできそうですが――」


 机でパソコンに向かう真の前で、六十年配の男性が客の電話対応していた。


 高田クリーンサービスの事務所だった。十畳ぐらいのオフィスに四つのスチールデスクが島の形に組まれ、窓辺に社長の沙希の机がある。


 今は社長の沙希と真、それに電話応対をしている山本という初老の男性がいるだけで、残りの二人の社員は外に出ていた。


 山本が客の電話対応を終えると、沙希が言った。


「山本さん、もう少しでお客さんが来るから、お茶出しをお願いできる?」


「わかりました。例のゴミマンションのお兄さんですか?」


「まったく、預金通帳が出たって聞いたら飛んでくるんだからゲンキンなもんだよ」


 ゴミ屋敷から金銭的な価値が高い品が出ると、それまで無関心だった親族が飛んでくるのは、特殊清掃業者にとってありがちな話である。


 約束した時間になり、事務所にスーツ姿の四十代半ばぐらいの男性が訪ねてきた。髪はきれいに整えられ、眼鏡の顔はきちんとした印象だ。


 山本がオフィスの隅にある応接スペースのソファに案内する。沙希と真がやって来て、低いソファテーブルを挟んで男性と向かい合う。


 山本がお茶を出した後、沙希が紙を差し出した。


「こちらが弟さんのご自宅にあった遺品のリストです。リサイクルできそうなものやこちらで買い取れるものには値をつけてあります。それとこれが――」


 ビニール袋に入れた預金通帳を差し出す。


「通帳です」


 男性はビニール袋から青い小冊子を出し、中の金額をちらっと確認した後、黙って閉じた。


 沙希が引き取り確認書をテーブルに置き、こちらにサインをお願いします、とボールペンを差し出した。


「弟さんとは普段、連絡をとられていたんですか?」


 沙希に訊かれ、男性はペンを走らせながら、いえ、と答えた。


「もう十年以上、音信不通でした」


 しかめ面の重い表情で続ける。


「就職氷河期世代というやつですよ。弟はどこにも就職できず、結局、学生時代にしていたバイク便の仕事を続けていました。社員ではなく歩合制の契約社員だったようです」


 怪我でバイク便を止めたことも知らなかったという。男兄弟とはそんなものかもしれないが、真は兄の態度にどこか冷淡なものを感じた。


「弟さんは地元に帰られようとはしなかったんですか?」


「学生時代からほとんど帰ってきませんでした。正社員じゃないし、結婚もしていなかったので肩身が狭かったんでしょう」


 兄はサインをした引き取り書を沙希の前に戻した。


「身内なのであまり言いたくはないですが……弟は典型的な〝負け組〟ってやつですよ。地元の同級生は結婚して家も建て、孫までいるやつもいるのに情けないったらありゃしない。まったく、こんな生活をしてるならウチの会社で雇ってやってもよかったのに」


 彼自身は地元で小さな広告代理店を経営しているという。雇ってもいいと言いながら、弟の連絡先も知らなかったようだから関心がなかったのだろう。


 真が足元の紙袋から箱を取り出し、テーブルに置いた。


「これ、部屋にあったんですけど、処分すべきかどうか迷って、いちおう保管しておきました」


 フタを開けると、中には色紙が入っていた。バイク便の同僚たちが、怪我で退職した村橋祐司に向けて贈った寄せ書きだった。


「預金通帳はゴミに混ざって床に落ちていたんですが、その色紙だけは箱に入れられて大事に保管されていたので……」


 兄はじっと色紙を見つめた。


 寄せ書きには「祐司さんのことは一生忘れません。俺の師匠です」「ユウさんがいなくなるとさみしくなります」「ユウさん、いつでも戻ってきてください!」などのメッセージがびっしりと書き込まれている。


「……このバイク便の会社、ウチの会社でも使うことがあるんです。この前いらっしゃったライダーの方に弟さんのことを話したらご存じでした」


 故人は怪我をした同僚のためにカンパを募ったり、待遇改善のために会社と掛け合ったりして、仲間たちからとても慕われていたという。


「余計なことかもしれませんが、弟さんなりに精いっぱい人生を生きられたのではないかと思います……」


 男性は黙ってそれを聞いた後、色紙をテーブルに戻し、「これは処分しておいてください」と言った。


 ◇


 週末の日曜日、真は巨大なクライミングウォールの壁面にへばりついていた。


 そこは郊外にある屋外型のボルダリング場だった。壁の高さは十六メートルを越え、国際大会も可能な施設である。


 額には汗がしたたり、顎から水滴が落ちていく。真の脳裏には、マンションの一室で孤独死をした男性のことが浮かんでいた。


 汗で指がずるっと滑り、真は片手の力だけで壁にぶら下がる。


(あの人は、ちょっとホールドする場所を間違えただけなんだ……でも誰だって落ちる……落ちたらまた登ればいい……)


 腕を伸ばして別のホールドを確保する。


 やがて頂上にたどり着いた。地上十六メートル、頭上には透き通るような青空が広がり、白い雲の上から太陽の光が降り注いでいる。


(ちょうど今ごろかな……)


 腰に巻いたウエストポーチからスマホを出し、SNSで「#村橋祐司追悼ツーリング」というハッシュタグを探す。


 SNS上には100台以上のバイクが富士山に向かってツーリングをする様子が流れていた。彼の死を知った昔のバイク便仲間たちが企画したものだ。


 彼が〝負け組〟だったのかどうかは真にはわからない。だが、これだけ大勢の人間に死を悼まれる人生が失敗だったとはどうしても思えない。


 たぶん、と真は空を見上げた。


 彼が49年の人生で残したのは、100万円の預金通帳ではなく、仲間たちからのあの色紙だったのだ――


(完)

孤独死クライマー・新城真が登場する短編は他に……


「叔母さんの遺品」


……があります。

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― 新着の感想 ―
素晴らしい作品です。 光を当てる場所が素晴らしい。 短編映画にしたら、カンヌに出せそうな。。。 このシリーズ、もっと書きませんか?
[良い点] 作者の優しい眼差しに惹かれました。 [一言] ワタシもずっと下読みの壁に阻まれながら、マイペースで書き続けています。 のんびりがんばりましょ。
2021/10/26 13:35 退会済み
管理
[良い点]  嫉妬を覚えてしまうくらい、良かったです。
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