1. 出会いは突然に
高校に一年も通っていれば、朝起きてから支度をして学校に行くまでのプロセスなど、すでに何千回と繰り返して来た、いわば退屈なサイクルに過ぎない。それゆえ、その行為には何ら特別な意味合いや感情などの込めようがない。
だが、今日という日は若干違う。なぜなら、今日、和泉翔のクラスには、新たな転入生がやってくることになっているからだ。女子であることはすでに担任から伝えられているのだが、どんな名前か、などは全く知らされていないため、クラスの男子ども期待でワクワクなのだ。
もちろん、和泉翔も男であるので、楽しみといえば楽しみなのだが、他のバカな野郎どもとは違うのだ。大きく期待を外されたときにショックを受けないため、ではなく、ガッカリ感を転校生に見せないために、最初から過度な期待はしていない。
いや確かに可愛い子であってほしいとかいう願望がないわけではないが別にこっちの利得としてはあまり関係ない、彼女なんてできる訳ない系のこじらせ男子に暖かい春は来ないことを諦観した境地に至ったのだ、つまるところクラスの男子は転校生が入って来たときに変なリアクションをするなという話である。
「よっ、和泉」
「なんだ西川」
「おまえ、今日の転校生、どんな奴だと思う?」
「どんな奴って言われても…… 想像する材料が少なすぎるだろ」
「いやまあお前そりゃーそうだけど、もっとなんかあるだろ、こう、可愛い子かなーとか、美人タイプかなーとかさー」
「お前それ転校生にすっげぇ失礼だからな、何があっても絶対に失望感をあらわにするんじゃねーぞ」
「わかってるよ、それにしても俺はお前が羨ましいよ」
「は?」
「だってお前今、一人席じゃん? 転校生が座るのは絶対お前の隣だって」
あー、とがっくり肩を落とす和泉。転校生は授業後とかに女子がわらわら机の周りを取り囲んで質問攻めに合うんだろう、そしてそこで俺のような奴は邪魔者扱いされるであろう未来が見えたのだ。
クラスのみんなは転校生の登場を待ちきれない様子で、興奮して語り合っている。気持ちは分からなくもないが、あれこれ想像して語るには材料が少なすぎるし、転校生にかける思いが高まりすぎると心苦しさを感じさせてしまうものなのだ。
とは言っても、窓際最前列という最悪のポジションを誇る席の隣の空いた席を見て、ここに座る人がどんな人かを想像するくらいは許されるだろう。
「はいはい、みんな座れ〜」
先生の座らせる気のない座れコールにも、今日に限っては絶大な権力を持った独裁者の放った一声であるかのように、生徒全員が従い素早く着席。今か今かと固唾を飲んで、先生の次の言葉を絶対に聞き漏らすまいと集中している。
「えー、みんなわかっていると思うが、えっと……、いいやめんどくせ、形式的な挨拶はいいから、とにかくみんなお待ちかねの転校生登場の時間だ!」
クラス中から歓声が湧き上がる。先生はそれを鎮め、続けて言った。
「クラスの男どもに一つ……。お前ら、十全に期待していいぞ」
上がった歓声は、やや野太い低いものになった。それにしても、先生までこういうことを言っちゃうのか。
「さあ、お待ちかねの転校生は、この方だッ!」
ドアの方にクラスの視線を誘導すると、そこから入ってきたのはまぎれもない、一人の美少女とでも言うべき、男女を問わず惚れてしまいそうな、整った顔立ちをした女の子だった。クラスのいたるところから吐息の漏れる始末である。
彼女は無表情のまま教卓のある中央まで歩いてくると、クラスを軽く一望し、それから頭を少し下げ挨拶をした。
「じゃ、自己紹介の方を」
そう言われた彼女は、黒板の方を向いてチョークを手に取り、名前を書いた。
「秋葉凛です。よろしくお願いします」
彼女、すなわち秋葉凛の挨拶は、全くの機械的動作であったにもかかわらず何やら神々しいものを感じ取れるほどで、全員が見惚れていた。
「それじゃあ、今度はこっち側から自己紹介だな。よしじゃあ和泉、お前の列から順番に行こうか」
先生の声で現実に引き戻され、慌てて立ち上がった。名前以外に特に言うことがないので、一連の自己紹介はスムーズに進んだ。秋葉は終始無表情で、立ち上がる人の顔を次から次へと見つめていた。
「一通り紹介も済んだところで一旦終わりにしようか。秋葉さんの席は、そこの空いてる席だ。和泉、世話してやれよ」
やばい。クラスの人から針のように鋭い視線を向けられていることが肌の感触からヒシヒシと伝わってくる。これは行動をミスると死ぬパターンだ。和泉のよろしくの挨拶は、無言のまなざしをもって返答とされた。
授業が終わると、それはもう激しい質問の嵐が秋葉を襲った。形容するなら、スズメバチを殺そうとかかっているニホンミツバチのような団子状態だろうか。中からは、はい、いいえ、くらいの返答しか聞こえなかった。
「いやー、ああいう場所にはさすがに近づけねーよな」
「全く同感だ」
和泉も西川も、窓側の格子に背をもたれ、転入生の方を眺めている。和泉の席は特にひどく、侵食が完全に進行してしまっていたのだった。
「にしても、期待をはるかに超えてきたな」
「ま、確かにそうだな」
決して否定はできない。残念な雰囲気になってしまうのが一番最悪のパターンなわけだが、それが避けられたのはいいことなのだ。
「でもちょっと高嶺の花すぎてさー…… お近づきずらいっていうかな〜」
「ったく、お前の頭にはそういうことしかないのか?」
「じゃあ逆に聞くけど、和泉は一ミリも、ほんのわずかな下心も抱いたことがないって誓えるのか?」
「……あっ、コイツ下心っつっちゃったよ、コイツ最悪だ!」
「質問に答えろさっきの質問に!」
もちろん和泉もそんな夢を見ないわけではないがそれはあくまで健全な夢なのであり、決して欲求のはけ口になったりしているわけではない。西川のようなゲス野郎とは違う、高潔な精神の持ち主なのだ。
「てかさー、無表情であれだけってことはさ、笑顔は一体どれだけの男をキュン死させるのやら」
「まずお前は間違いなく真っ先に死ぬな、多分救急車の中でピーってなって死ぬやつ」
「そうかもな。女の子の笑顔の破壊力っつーものは莫大だからな」
「お前…………気持ち悪いな」
すると、数人の女子が、団子状の群れの外縁から抜け出し、和泉のところへ向かって走ってきた。
「ちょっと和泉和泉、来て来て来て来て!」
「ん?」
「いいから来て来て!」
数人の女子が興奮した面持ちで和泉を拉致した。訳もわからず、とりあえず制服を引っ張られるままについていく。すると転校生を囲んでいた女子による壁が開き、転校生が視界に映る。
「こいつ? 本当にこいつなの?」
「この人で間違いない」
「なんでこいつなの? 昔からの知り合いとか?」
「そういう訳ではない」
過呼吸気味の興奮した女子のうちの一人、千葉春奈の甲高い疑問文と、秋葉の無機質なマニュアル的な返答が最高にミスマッチしていた。この異様な空気に和泉が押されていると、続けて驚愕の事実が判明した。
「本当にこの和泉に会いに来るためにここに転校してきたの?」
「はい」
和泉は、時間感覚が宇宙の彼方へ放り投げられたような気分になった。いやいやいや待て待て待て、いくらなんでも真昼間からこんな実現不可能な妄想に取り憑かれるほど欲求不満だったり悶々としていたりしているつもりはないし、こんな人とは面識はないというか高貴すぎて近寄り難いというかなんというか、とにかくこの女の子から名指しで会いに来たなんて言われるようなイベントのフラグを立てたつもりもないし、
「ええ〜〜〜〜〜〜〜?」
結局、当の和泉本人が一番驚いたのだった。目の前の秋葉とかいう女の子を見つめ、
「とりあえず誰か、救急車を。ひどい幻覚と幻聴がするんだ。もちろんあれな、精神病院行きのやつ」
「これはまぎれもない現実だ、目を覚ませっ!」
和泉を引っ張って来た千葉から顔に一発ビンタを喰らった和泉は、確かにこれは夢ではないことを確認し、和泉は正気に戻った。
「えと、あの、俺ってもしかして、前にどこかで君と会ったことがあったりする?」
どういうことだ? 少なくとも和泉側からの面識はない。それなのに「会いに来た」とはどういうことなのか。秋葉から直視された和泉は、胸の鼓動が少し高まった感覚がした。
「秋葉さんはこんな奴のどこがいいの? こんなすごい女の子のことを忘れちゃうほど頭に問題があるこのクソ和泉のどこがいいの?」
「それ、かなり俺が傷つくからやめろ」
そんな騒々しい掛け合いを気にせず、秋葉は顔色一つ変えることなく答えた。
「初対面」
なぜ、と、和泉はますます疑問を膨らませる。
「なんで俺なの? いや、自分で言うのも何だけど、俺には取り柄らしい取り柄はないよ?」
「あなたの能力を求めてここに来た」
「こいつの能力? こいつの能力は低レベルな人心推理よ? 裏返しにしたカードを当てる正答率が60パーセントちょいしかないポンコツよ? いくらでも上位互換が効く出来損ないなのよ?」
千葉が言葉を発するたびに和泉のメンタルのHPが削られていく仕様なのであった。だが和泉は、秋葉の先程から全く動いていなかった表情筋が、微かに動くのを見逃さなかった。
「そう」
秋葉は、和泉に向けていた顔を前に戻し、それから何かを思い出したかのように再び顔を和泉に向けた。
「あなたと二人きりで話がしたい。今日、空いてる?」
唐突の誘いに、一堂は愕然とした。ついにこの寂しい独り身の俺にも春が来たか、なんていう浮ついた感情を抱くよりも前に、なぜ、という疑問ばかりが先行する。それは、恋愛話で即座に盛り上がれる女子たちも同じだったようで、騒がしい教室が一瞬の静寂に包まれた。
「もちろん空いてるわよね、和泉」
「なんでお前が俺のスケジュール知ってんだよ、まあ空いてるっちゃあ空いてるけども」
「分かった」
秋葉さんは一体、何が分かったんだろう。だがこの空気には拒否という選択肢がないものと和泉は見た。断ったら即刻バッドエンド行きと分かる。しかしだからといって、はいを選択しても、クラスの男子どもから一発もらう程度は覚悟しないといけなそうだ。
和泉は現在、木々の茂る閑散とした中庭で、校舎の壁に背をもたれ、腕を組んでいる。
「どうしてこうなった……」
秋葉による衝撃の告白のあと、クラスは騒然。おかげで、移動教室にクラスメイト全員が遅刻するという珍事件まで起きた。その後というもの、秋葉との二人きりで話をする段取りが、和泉本人の手の届かない範囲でポンポンと進んでしまい、場所を指定され、時刻を指定され、今に至るわけである。
しかし、年頃の和泉にも思うところはあるのだ。まるでクラス全員が両思いであることを知っているにもかかわらず中々進展しない男女二人を見かねたクラスが、二人のいないところで告白のシチュエーションをセッティングし、くっつけてしまおう、というようなノリが感じられるのである。
いくら自分側に面識がなく、相手も初対面って確かに言ってたし、そんなことは絶対ないと理屈では思っていても、少しは期待してしまうのが男子高校生ってものだ。
「お待たせ」
「ああ、秋葉さん。で、話って?」
「…………。」
「あ、あの、秋葉、さん?」
「…………ここは他の人が見ている。二人だけの場所へ行きたい」
「ああ、うちのクラスメイトたちの覗きか。ここからなら話は聞こえないと思うけど」
「確実に誰にも聞かれない状況が欲しい。今から話すのは、私のこと。そして、あなたのこと」
表情が読めないながらも、秋葉が非常に真面目な話を始めようとしていることは、和泉にも雰囲気で感じ取れた。どうやら秋葉は……
唐突に、秋葉は和泉に腕を突き出し、手のひらを差し出した。戸惑う和泉に、
「手を乗せて」
と落ち着いた調子で答えた。若干、いや、とてもドキドキしながら、手を乗せた。
「目を閉じて、この空間が、私とあなただけになるように願って」
「え? う、うん」
「想像して。一面真っ暗な空間。そこにいるのは、私とあなただけ。他には何もない。見渡す限り」
疑問に思いながらも、和泉は言われた通りにしてみる。いつまで目を瞑っていればいいのかよく分からなかったので、何か言われるまでずっと一面の闇を想像していた。しばらくして、秋葉から声がかかった。
「もう目を開けていい」
おそるおそる、目を開ける。想像とわずかに異なっていたものの、黒い空間に、和泉、そして秋葉の二人しかいなかった。微妙に光を発する結晶のようなものが蠢いており、ドームのように視界全体を包み、遠近感を喪失させる効果を生んでいた。
「なんだ……これは……」
「ここで行われることは、外部には絶対に漏れない。絶対に」
秋葉が念を押す。やはりそうだ、と和泉は確信した。
「私の能力は能力模倣。他者の超自然的能力と同等の力を再現することができる。」
「そんな夢みたいな能力……それがあれば、俺の能力を求める必要すらないんじゃないか? 希少性で言ったら俺はお前と同じくらいかそれ以上な自信はあるけど、君のに比べたら霞む程度のものだぞ?」
「いいえ。私が求めているのはあなたの能力だけではない」
「……どういうことだ?」
「私は自発的に能力を使うことができない。この空間に入れたのも、あなたによる操作があったから」
「…………………………ダメじゃん」
「つまり、そういうこと」
能力を自在に模倣することができるくせに、自分でそれを使うことができず、他人が介在しないと使えないとは。一言言わせてもらうなら、ものすっっっごくもったいない。
「でも、どうして俺なんだ?」
「あなたが周囲に隠している理由は推察できない。だけど私に誤魔化しは効かない」
やっぱりそうだ、と和泉は再度確信した。秋葉は和泉の本当の能力が何なのか、見抜いている。
「あなたの時間跳躍の力を借りたい」
「やっぱりそう来るか」
「あなたの時間跳躍を使えば、無限回のトライアル・アンド・エラーの末、運命を捻じ曲げることすら可能」
「君が想定しているような使い方と俺が想定しているような使い方が一緒だとすると、俺は多分期待に添えないぞ。そういう使い方はしたことがないからな」
構わずに秋葉は続ける。
「私の目的にはあなたが必要。そのために私は、ここまで来た」
「目的?」
「そう、目的。家族を、……取り戻す」
淡々とした説明口調の中、秋葉は最後の言葉を、はっきりと感じ取れる気概とともに発した。和泉は今までほとんど感情を見せなかった秋葉のしたたかな決意に圧力を感じた。
「だからそれに協力して欲しい、と?」
「そう。それに、あなたにも、メリットがある」
「俺に、メリット? 俺は別に生き別れた家族はいないんだが」
「いいえ。あなたは妹を失っている。あなたはそれを覚えていないだけ」
嘘なのか本当なのか、和泉には判断しかねた。感情をほとんど見せない秋葉の無味乾燥とした叙述は、言葉そのもの以上の情報を、何ら持たないからだ。
「そんな話」
「信じられないと思う。だから今はこの辺りで話を終わりにする。私の手に触れて、この空間から開放されることを願って。そして、最後に一つ」
秋葉から再び差し出された手のひらに、自分の手を重ねる。一回目の緊張感とはまた違った緊張感が和泉に張り詰めていた。
「……なんだ?」
「私の相互補完者に、なってほしい」