召喚しよう
次の日。
雨はすっかり上がっていた。
朝からみんなで大掃除に取りかかる。
まだ使っていない部屋も窓を開け、埃を掃き出した。
「うわ、すごい埃っ」
「みてパパ、ぞうきんがまっくろー!」
「けほ、けほ……」
ひと通りきれいにして回ると、元からあったほうき二本と、古いシーツで作ったぞうきん十二枚がおしゃかになった。
すごい達成感だ。なんだか空気が澄んだ気がする。
二階と屋根裏までは手が回らなかったので、また後日ということにした。
屋根裏にはまだ一度も登ったことがないが、いったいどうなっているのだろう。
昼食を挟むと、午後いっぱいかけて、畑を広げた。
起こしたばかりの畝に、アマンの街で新たに買い足した種や苗を植える。
「わー、おさかなさんがいっぱいいるよー!」
最初はアシュリーも手伝っていたのだが、いつの間にか湖の浅瀬で魚を追いかけていた。
「ちょうちょ、きれい……」
フィオは、畑の横に咲いた花の前でじっとうずくまっている。
良かった、少し元気になったようだ。
花が好きなんだな。生活に余裕が出てきたら、種を買って花壇を作ろう。
ステラは裏で洗濯をしてくれている。
ノアと二人、泥だらけになりながら、畑に新たな野菜を植える。
ノアは地味な作業に、ちょっと不満そうだった。
「魔術でやれば早いのに」
「こういうのは自分の手で育てるのが大事なんだよ。愛情を注いでやればやるほど、元気にのびのび育つんだ。ほら、緑が鮮やかだろ?」
苗の周りを優しく抑えながら、おれは充実感で満たされていた。
これぞ憧れの自給自足生活。
おれたちのスローライフはこれからだ!
隣の畑を見ると、最初に来た頃に植えた野菜たちは、随分育っていた。
「こっちはあと少しで収穫できそうだな」
満足感に浸るおれに対して、ノアはちょっといぶかしげだ。
「ねえ、ケント。これって大根だよね?」
「ああ」
「大根って、この季節に採れるっけ? それに、昨日の今日で、成長早すぎない?」
「あ、あー……どうかな? そういう品種なんじゃないのか?」
『野菜すくすくスキル(仮)』のことは、まだ黙っていたほうがいいだろう。
なにせおれは、この世界でイレギュラーな存在すぎるし、このスキルだって、ラディエルの様子からするとかなり珍しいスキルのようだ。
何が発端になって、おかしな事態になるか分からない。
彼女たちを巻き込まないためにも、異世界や自分の出自、スキルについては黙っていたほうが懸命だろう。
ひととおり水を遣って、手に着いた土を払う。
「収穫が楽しみだな」
「うん」
「大豆が育ったら、醤油とか味噌も造りたいな」
「ショーユ? ミソ?」
道具を片付けて休憩を挟むと、剣を抜いてノアと向かい合った。
ここのところ、作業のあとノアと手合わせするのが習慣になっていた。
おれとの手合わせが、ノアにとっては報酬にあたるらしい。
「やっ!」
ノアはおれののど元目がけて、切っ先を繰り出してきた。
まっすぐに突き込まれるそれを、刃の平で受けて右に流す。
ノアはめげずに何度も踏み込んできた。
筋がいいのか、昨日よりも格段にうまくなっている。
ただ、やはり動きが硬い。
「くっ……!」
剣を大きく弾かれて、ノアが後退った。
剣を持ち直して、再びおれをにらみ据える。
その姿を見て、おれは首を傾げた。
「ノア、もう少し力抜けるか?」
「え?」
最初から気になっていた。
フォームは綺麗なのだが、どこか硬いというか……
おれはノアの背後に回ると、柄の上から手を重ねた。
「もっと、こうして……」
「!」
ノアが硬直したのを感じて、慌てて手を離す。
「あ、ごめん!」
「う、ううん」
ノアは耳まで赤くなりながら、小さく首を振った。
その様子に、ますます罪悪感が掻き立てられる。
年頃の女の子だもんな、触られるの、嫌だったよな。
うーん、あんまり女の子と関わったことがないから、距離感が難しい……
ひとり考え込んでいると、背後の繁みからがさりと音がした。
『ガアアアアアアアアアアア!』
耳をつんざくような咆哮が空気を震わせるのと、ノアが「ケント!」と悲鳴を上げるのは同時だった。
振り向きざま、下から掬い上げるように切り払う。
『オオ゛オオオ゛オ゛オ゛オオ゛ォ!』
まさに飛びかからんとしていた毛むくじゃらの巨大な影が、剣に両断されてどさりと倒れた。
たちまち黒い霞となって溶け消える。
ノアはぽかんと立ち尽くしていた。
「す、すごい……」
「熊みたいな魔物だったな」
「バグベアーだよ。ポピュラーな魔物だけど、知らないの?」
「ああ。初めて見た」
「ケントって、何でも出来るのに、変に知識かたよってるよね」
「そうなんだよ。実はちょっと困ってて」
素直に打ち明けると、ノアはなんだか嬉しそうに腰に手を当てた。
「しょうがないなぁ。ちょうど、書庫で図鑑を見つけたから、教えてあげるよ」
ノアはいそいそと教会に戻ると、魔物図鑑を持ってきた。
切り株に並んで座る。
ノアは図鑑を開くと、巨大な熊の絵を示した。
「さっきのがこれ。バグベアー。暗がりが好きで、赤い目が特徴だよ」
「なるほどな。あ、これ、初めてここに来た時、湖から出てきたやつだ」
「これはマーマン。水様性の魔物で、ランクはC。他に水辺に出現する魔物は、ケルピーとか、セイレーンとかがいるよ」
「こっちの気味が悪いのは?」
「タキシム。墓地にしか現れないから、ここらへんで遭遇する心配はないと思う。逆に要注意なのはこれ、ドライアド。ドライアドは森に多いし、木に擬態できるんだ。しかも強さに個体差があって、レベルが高いのに当たるとすごく厄介」
「ノア、詳しいんだな」
「うん、自分で勉強したんだ。どんな魔物でも倒せるように」
「そうか、偉いなぁ」
頭を撫でると、ノアは頬を膨らませた。
「子ども扱いしないで」
そう言いながらも、頬が染まっている。
ふと、その手元に目を落とす。
図鑑は、火竜のページで止まっていた。
アイスブルーの瞳が、縋るようにおれを見る。
「ねえ。どうすれば、もっと強くなれるの?」
「あー……」
言葉に詰まって頭を掻く。
おれは一から基礎を積んだわけではないので、言語化して教えようとすると難しい。
ただ何というか、ノアの太刀筋を見ると、問題は技術どうこうよりも、もっと根本的な部分にあるような気がする。
フォームは綺麗だし反応も早いんだが、どこかぎこちないというか……
ノアは唇を引き結んだまま、じっとおれの言葉を待っている。
向けられるまなざしは、こちらが怯むくらいまっすぐで。
「……ノア」
「なに?」
余った野菜の種を放り上げて、空中でぱしっと握り込む。
「今の、何個あったか、分かるか?」
「え……」
種をポケットにしまって、おれは笑った。
「じゃあ当分は、この訓練な」
「なにそれ、わけわかんない」
ばかにされたと思ったのか、ノアは不服そうに口を尖らせた。
と、後ろから小さな足音がした。
振り返る。
「どうした、フィオ」
「…………」
フィオは、おずおずと両手を差し出した。
小さな手の上で、リスがうずくまっていた。
足をケガしている。
野犬にでも襲われたのだろうか。
「よし、待ってろ」
倉庫から木箱を持ってくると、丸く穴を開けた。
中に乾いた藁を敷き詰め、子ども部屋から見える木に取り付ける。
くたりと脱力しているリスを、ドングリと一緒に、そっとその中に入れた。
回復系の魔術もないでもないが、あまり使いすぎると、生き物がもともと持っている治癒力を減退させてしまうらしい。
この程度のケガなら、治癒を待つのが一番だ。
フィオを抱き上げてやると、心配そうに中を覗き込んだ。
「時々、様子を見にこような」
フィオが頷く。
降ろしてやると、俯いてもじもじしていたが、やがて消え入りそうな声で呟いた。
「ぱぱ、ありがと……」
「……!」
目の奥がじーんと熱くなる。
ぱぱって……フィオに、ぱぱって呼ばれた……かわ、可愛わわわわわ……ええー、子どもってこんなに可愛いの……? やばい、なんか目覚めそうだ。
溢れる尊さを密かに噛み締めていたつもりが、どうやら口に出ていたようで。
「……ロリコン」
「!?」
ノアの冷たい目が突き刺さって、おれは慌てて弁解したのだった。
◆ ◆ ◆
三時のおやつ、ステラがリンゴのコンポートを作ってくれた。
「パパ、あーん」
膝に乗ったアシュリーが口に運んでくれるのを食べながら、ふと牛乳を買い忘れたことに気付いた。卵もだ。
カルシウムに、ミネラルたっぷりの完全食、どちらも子どもたちの成長には外せない食材だ。
またアマンに買いに行こうか。
でも、せっかくの自給自足生活なのだから、できたらここでまかないたいな。
いっそ牛やにわとりを飼うか。
いろいろと思考を巡らせている内に、ふと、召喚できないかと思いついた。
ラディエルがくれた能力の中には、召喚術も含まれていた。
それって牛やヤギなんかも召喚できるのだろうか。
ステラに尋ねると、小首を傾げながら頷いた。
「そうですね、可能だとは思いますが……」
おやつを食べ終えると、全員で裏庭に出た。
昨日買ってきた本を参考に、見よう見まねで地面に魔方陣を描く。
「召喚、なさったことあるのですか?」
「いや、初めてだ」
「ええっ」
本によると、召喚される獣の種類は、召喚獣、幻獣とランク分けられているらしい。
召喚獣は、いわゆるにわとりや馬、ねずみといった、おれたちが普段目にしている動物。
幻獣は、それらの獣が繰り返し召喚されることによって、魔力を得たもの。ユニコーンやペガサス、グリフォンなどがそれに当たる。
召喚獣は、召喚の報酬として召喚士から魔力を受け取ることで、徐々に幻獣化していくそうだ。
たとえば、馬が何度も召喚されて魔力を得れば、ユニコーンになる。
術者の魔力が高ければ高いほど、より力を持つ幻獣を召喚できるということだが……今回召喚するのは、普通の牛、もしくはヤギ。
「まあ、なんとかなるんじゃないか?」
魔方陣の上に手をかざす。
手引きには、召喚対象をリアルに想像することが大切だと書いてあった。
牛は世話が大変そうだし、大きくて怖いから、ヤギにしておくか。
目を閉じ、ヤギをイメージする。
ヤギってどんなだっけ? 白くて、蹄があって、もこもこしてて……あ、違う、これ羊だ。
「えっと……ヤギ、ヤギ……」
脳内でイメージをこねくり回している内に、まぶたの裏に光が差した。
「ん」
目を開くと、魔方陣の上に光の塊が現れていた。
やがて光が収束し、獣の姿になる。
角の生えたその生き物は、気だるそうに鳴いた。
「ンメエエエエエ」
「やぎだ!」
「やぎ……!」
アシュリーとフィオは大喜びだ。
やぎはマイペースにむしゃむしゃと草を食みはじめる。
「飼育小屋が必要だな」
先に小屋を作ってから召喚するべきだった。
反省するおれの横で、ノアとステラが唖然としている。
「な、なんでいきなり召喚できんの……しかも呪文なしで……わけわかんない……」
「召喚術で飼育用のヤギを召喚する方、初めて見ました……」
「え、そうか?」
こんな便利なのに、なんでだろう。
まあいいか。
「あとはにわとりだな」
と、フィオがおずおずと手をあげた。
「フィオ、にわとりさん、よぶ……」
「お。やってみるか」
フィオを魔方陣の前に立たせる。
「大丈夫でしょうか」
ステラは心配そうだ。
本来なら呪文が必要なようだが、アシュリーも無詠唱で魔術を使えたし、とりあえず試してみよう。
「いいか、フィオ。まず、にわとりさんの姿を思い浮かべるんだ」
フィオはこくりと頷くと、じっと魔方陣を見つめた。
傍目にもすごい集中力だ。
「いいぞ。そのまま、魔方陣に手を向けて」
言われたとおり、フィオは小さな手を差し出す。
魔方陣が淡い光を帯びた。
ふわりと温かな風が舞い上がり、中央から光の塊がせりあがってくる。
「まあ……」
全員が息を詰めて見守る中、光が強まり――やがて魔方陣の中央に、にわとりが現れた。
わっと歓声が上がる。
「がんばったな、フィオ」
「…………」
反応がない。
「フィオ?」
その顔を覗き込むより早く、小さな身体がふらりとよろめいた。
同時に、召喚されたにわとりがかき消える。
「フィオ!」
崩れそうになった身体を慌てて受け止める。
見ると、フィオは額に汗を浮かべ、意識を失っていた。
「ケントさん、こちらへ!」
「ああ……!」
おれはフィオを抱き上げると、空いている部屋に運び込んだ。