眠れない夜には
腰を浮かせようとしたステラを制して、立ち上がった。
「おれが行くよ」
ノアについて、食堂を出る。
子ども部屋に入ると、ひっく、ひっくとくぐもった声が聞こえてきた。
奥のベッド、布団がこんもり盛り上がっている。
小さな繭に、アシュリーが心配そうに寄り添っていた。
ベッドに腰掛けると、その上にそっと手を置く。
「フィオ。大丈夫、大丈夫だよ」
震えるぬくもりを、布団の上からさすった。
根気強く諭していると、やがて優しい雨音に誘われるようにして、フィオがおずおずと顔を出した。
白い頬に、大粒の涙が伝っている。
赤く泣きはらした目に笑いかける。
「どうした? 怖い夢でも見たか?」
フィオの顔がくしゃりと歪んだ。
小さな両手を伸ばして、おれにしがみついてくる。
「いい子。いい子だ」
しゃくりあげる背中を叩き、柔らかな金髪を梳く。
と、アシュリーが袖を引っ張った。
「パパ、これよんで」
「ん」
大賢人リュカの絵本を受け取る。
アシュリーが、フィオの頭を撫でた。
「フィオ、パパがごほんをよんでくれるよ!」
「うん……」
二人に見えるように絵本を開き、字を指で追いながら、ゆっくりと読み上げる。
「大賢人リュカが、いつ、どこで産まれたのか、知る人はいませんでした。たくさんの人々が、魔王に苦しめられている時、リュカは、ある日ひとりの勇者の前に現れて、こう言ったのです――」
どうやら大賢人リュカが、勇者を導き、魔王を倒すまでの物語らしい。
子ども向けにかみ砕かれているので、おれにとってもまたとない資料になる。
「――こうして、グリフォンに乗った大賢人リュカの導きにより、勇者は魔王を倒しましたとさ。めでたしめでたし」
そろそろ寝たかなと思って目を上げると、フィオはらんらんと目を光らせていた。
「……なんで? なんで目ぇかっ開いてんの?」
「パパのお話もっと聞きたいから、まだ寝たくないんだって!」
「そっかぁ」
逆効果だったか。
でも良かった、元気になったみたいだ。
安心しながら、細い髪を撫でる。
「大丈夫。明日も明後日も、読んでやるから」
「……ほんと?」
「ああ」
フィオはまだ少し不安そうだ。
と、アシュリーが裾を引っぱった。
「あのね、パパの服、かしてほしいの」
「ん?」
いったい何に使うのだろう。
もちろんこの子たちの頼みならいくらでも貸すけれど。
「分かった、今持ってくるな」
部屋を出ようとすると、アシュリーは頑なに裾を引っぱった。
「違うの、これがいいの」
「? ああ」
怪訝に思いながら上着を脱ぐ。
手渡すと、アシュリーは嬉しそうにフィオのベッドに潜り込んだ。
「フィオ、いっしょにねよう。これ、パパの服、ぎゅってしてねるんだよ。そしたら寂しくないでしょ?」
アシュリーはおれの上着を抱きしめて鼻を埋めた。フィオも真似をして、顔を押し付ける。
そのまま二人して静かになった。
……え、大丈夫か? 汗くさくないか?
試しに袖に鼻を押し当ててみる。
……無臭、だと、思う……けど……
ちょっと恥ずかしいけれど、二人が安心するならいいか。
それに、飼い主の服に埋まる子犬みたいで可愛い。
ひとまず安堵して、布団を掛け直していると、ノアが小さくささやいた。
「ありがとう、ケント」
「ああ。ノアは? 無理してないか?」
しっかりしているように見えても、ノアだってまだ子どもだ。
まじめでまっすぐな性格ゆえに、無理をしているのではないかと心配だった。
ノアは「えっ?」と目を泳がせた。
「ぼっ、ぼくは別に、ケントの服とかなくても平気だしっ……!」
「あ、いや、そうじゃなくて……辛いこととか、悩みとかないかなーって」
「!? !? !? な、ないよっ! ない!」
「そうか。何かあったらすぐに言うんだぞ」
「分かった! もういいでしょ、おやすみっ!」
ノアに押し出されて廊下に出た。
ドアが閉まる直前に見えたノアの耳は、真っ赤に染まっていた。
ちょっと長居しすぎちゃったかな。
アシュリーとフィオはともかく、ノアは年頃の女の子だもんな、悪いことをした。
食堂に戻ると、ステラが心配そうに顔を上げた。
「フィオは、大丈夫でしたか?」
「ああ。ちょっと寂しくなっちゃったみたいだな」
無理もない、急に環境が変わったのだ。
不安になる夜もあるだろう。
――あるいは、火竜に襲われた時の恐怖を思い出したか。
何にせよ、一日でも早く傷が癒えるように、できることをしてやりたい。
ステラは「そうですか……」と目を伏せた。
ふと、さっき読んだ大賢人リュカの絵本の中で、気になったことを尋ねる。
「ステラ。魔王は、百年前に大賢人と勇者たちが倒したんだろ? なんで魔物がいなくならないんだ?」
ステラは首を振った。
「それが、分からないのです。ここ数年ほどでさらに魔物が増え、様々な場所で、強大な魔物が現れはじめて……四天王が復活したのではないかという噂も流れています」
「そうか」
アシュリーたちの学園を襲った火竜も、その一端なのだろうか。
その日、雨は夜半過ぎまで降り続いた。