それぞれの戦い
地面に、焼け焦げた紙吹雪がわだかまっていた。
拾い上げる。
千切れた切れ端に、魔方陣の一部が描かれていた。
まさか、と目を見張る。
「魔物を召喚したのか……!?」
だが、それにしては召喚者の姿がない。
しかも魔物は同時多発的に発生している。召喚士が複数人、それもよほど手練れの召喚士がいない限り不可能だ。
「いったいどうやって……!」
『ヴオオオオオ!』
視界の隅に黒い光が走って、新たな魔物が顕現した。
別の生徒に飛びかかろうとしたそれを、音もなく斬り伏せる。
おれはアシュリーたちを振り返った。
「結界を張る! みんなを集めてくれ!」
「わかった!」
周囲の人々が集まったのを確かめて、中庭を結界で覆う。
「わ……!」
「す、すごい……!」
生徒や客の顔に安堵が浮かぶ。
ひとまず中庭はこれで安全だ。
そう思った刹那、遠く校舎から悲鳴が上がった。
おれはほぞを噛んだ。
全体の状況が掴めない。
一体一体は、おそらくE級。
だが、魔物は校舎の中のまで潜り込んでいる。
その上数が多い。
人がごった返す中で、これだけの数を排除するのは至難の業だ。
「どうする、ケント!」
「っ……!」
中庭を見回した視界に、噴水が飛び込んできた。
おれは駆け寄ると、両手を合わせた。
口の中で水と風の精霊に呼びかけ、魔術を練り――水面に、校内各所の様子が映し出された。
アシュリーが息を呑む。
「! すごい……!」
おれは密かに歯を食い縛った。
やはり制御が難しい。魔力がごっそり持って行かれる。
ふらつきそうになるのを踏みとどまり、水面に目を走らせた。
敷地のあちこちで、戦闘が勃発していた。
各教室、正門前、調理室、修練所、錬金棟、召喚棟――校内に入り込んだ魔物の群れを、教師たちが迎え撃つ。
だが、狭い場所で一般客を守りながらの戦闘に、教師たちも苦戦している。
「怖い、怖いよぅ!」
「一体どうなってるの!?」
怯える客たちを、生徒たちが背中に庇う。
「大丈夫ですから、隠れていてください!」
「俺たちに任せて……!」
自分たちだって怖いだろうに、あるものは歯を食い縛って剣を抜き、あるものは震えながら魔物を睨み付ける。
おれは水鏡に向かって叫んだ。
「一人で戦うな、他の生徒と協力してあたれ!」
校内に、おれの声が響き渡る。
生徒たちが弾かれたように顔を上げた。
「ケント先生!?」
「倒さなくていい、力を合わせて切り抜けろ! 模擬戦闘と同じだ!」
「……!」
「いいか、中庭に集まるんだ! ルートはおれが指示する! 大丈夫、みんなならできる!」
「! はい!」
生徒たちの瞳に希望の光が浮かんだ。幼い顔が決意に引き締まる。
ここを拠点にして、彼らを中庭まで誘導する。幸い、この中庭は敷地の中心に位置し、どの棟からも比較的近く、状況も把握しやすい。――何より、おれがいる。
「ステラ、地図を!」
「はい!」
ステラがマップを広げた。
比較的魔物の少ないルートを書き込み、水鏡で指示を出して、生徒たちをできる限り安全に、中庭へ誘導する。
と、水面から校長の声がした。
「ケント先生、聞こえるかい!?」
「!」
体育館だ。
校長が観客たちを誘導し、その背後で、教頭が鞭を振っては魔物をたたき伏せていた。
子どもに襲いかかろうとした魔物を魔術で消し飛ばしながら、校長が叫ぶ。
「こいつは術式召喚だ!」
「術式召喚……!?」
「召喚者を必要としない、特殊な召喚だよ!」
「!」
「術式召喚には、魔力を織り込んだ特殊な魔道具が必要なんだ! だが、これだけ大規模な術式、我々に悟られず結界の中に持ち込めるわけがない! 黒幕がいるぞ!」
「……!」
握った拳に力が籠もる。
「体育館は私とココに任せたまえ! きみは生徒を誘導しつつ、大元を叩いてほしい!」
「分かりました! 健闘を!」
校長が「おうよ」と微笑み、教頭が冷たい一瞥をくれる。
「誰に向かってものをいっているのです。早くやるべき仕事にかかりなさい」
「はい!」
そうしている間にも、紙吹雪に描かれた魔方陣から、魔物たちが次々に沸いて出ては、生徒に襲いかかる。
早く大元を叩かなければ。しかし、そんな膨大な魔術を秘めた魔道具、いったいどこに……――
奥歯が軋んだ音を立て――はっと目を見開いた。
「魔道書……!」
半月前、マロニエールが、どこかの貴族から寄贈されたのだと喜んでいた。古代魔術で封がされていて、開くことができなかった、あの本……!
水鏡に目を走らせる。
校内をくまなく探すと、どうやら休憩中だったらしい、廊下でおろおろしているマロニエールを見つけた。
「マロニエール先生!」
「は、はいっ!?」
「魔道書はどこに!?」
「えっ!? きょ、教員室なのです!」
おれは教員室の様子を見ようと、水面に手を翳し――
「っ!」
火花が走って、手を弾かれる。
「ケント!」
「っ、大丈夫だ……!」
強力な魔力に干渉されて、覗くことができない。
どうやらトリガーは魔道書に間違いないらしい。魔道書を寄付したという支援者も、黒幕の仲間だろう。銀星祭当日は結界が張られることを見越して、事前に仕込んでいたのか。ずいぶん周到だ。
「だとすれば……」
低く呟いた時、水鏡から悲鳴が渦巻いた。
魔術士課程下級クラス。
生徒たちが、客を背に庇って魔物の群れとにらみ合っていた。
前線に立ったエルが吠える。
「『紅の精霊よ! 其が力を以て、開闢の大地に楔を――』」
言葉半ばに、魔物が爪を振りかざした。
大振りの一撃を、エルは間一髪で避ける。
「チッ! 『紅の――』」
『ギキィィイイィィィイ!』
呪文を唱え直そうとしたエルに、魔物が殺到し――
地面から噴き上がった黒炎が、その全身を呑み込んだ。
「! ベアトリクス! ローザ!」
魔物たちの前に立ちふさがって、ベアトリクスが牙を剥いた。
「ここは通さないぞ!」
「あたしたちが食い止めるわ! 早く体勢立て直して! でかいのぶちかましなさい!」
「助かる!」
他の生徒たちも、交互に魔術を撃って魔物を牽制する。
やがて、エルの魔術が完成した。
「『紅の精霊よ! 其が力を以て、開闢の大地に楔を穿て!』」
本来の呪文より短い。
「短縮詠唱……!」
いつの間に修得していたのだろう。
勢いよく迸った業火が、魔物を一掃する。
「よし!」
残った魔物たちがちりぢりに逃げていく。
おれはすかさず指示を出した。
「みんな、よくやった! 深追いするな、お客さんを連れて中庭へ!」
「わかったわ!」
「こっちだ! ついてきて!」
エルたちが客を守りながら走り出すのを見届けて、ふ、と息を吐く。
中庭に張った結界に、水鏡、通信の制御――さすがに魔力の消耗が激しい。
呼吸を整えていると、ステラが額の汗を拭ってくれた。
「ありがとう」
戦況を見据える。
校内では、次から次へと新たな魔物が生まれている。
早く魔術書を始末しなければ……!
刹那、ノアが叫んだ。
「ケント、飼育棟が……!」
飼育棟の入口に、魔物が殺到していた。
ユマたちいきものがかりが応戦しているが、押されている。
その奥で、小さな子どもや動物たちが怯えているのが見えた。
「!」
フィオの顔が強ばる。
「まずいな……!」
救援を向かわせなければ。
ステラが地図を指す。
「プールでしたら教師もいますし、最短距離で召喚棟に向かえます!」
「いや、ルート上に魔物の数が多い、他の場所から……!」
周辺には十分な戦力がなく、そのうえ召喚棟に続く主なルートは、魔物に塞がれている。
このままでは手遅れになる。
おれが行くか、だが、中庭の守りは……!
焦りに眉を歪めた時、アシュリーが叫んだ。
「あしゅりたちがいくよ! パパはここにいて!」
「! だが……!」
叫びかけた言葉が、喉で溶け消える。
おれを見据えるアシュリーたちの顔には、決意の色が浮かんでいて。
「……頼んだ」
アシュリーはにっこりと笑うと、髪をなびかせて駆け出した。
「ノア、フィオ! 行こう!」
「うん!」
三人の背中が遠ざかっていく。
おれは水鏡を覗き込んだ。
アシュリーたちだけでは、援護はできても突破までは難しい、他に援護に向かえそうな戦力は……!
彷徨わせた視線が、庭園の上で止まる。
温室になだれ込んだ魔物たちを、ランジアやロッテをはじめ、剣を携えたメイドたちが撃破しているところだった。
「あっは、あたしめっちゃ強くなったかもー!」
「油断しないで、ランジア。あと少しよ」
「分かってるってー!」
鋭い剣技に魔物たちが両断され、たちまち黒い霞と化していく。
温室から飼育棟までのルートを確かめる。
少し遠いが、裏から回れば魔物の数は少ない。
おれは水面に向けて声を張った。
「ランジア! ランジア、聞こえるか!」
「大賢人!?」
「至急、飼育棟に向かってくれ! 魔物に囲まれてる、援護を頼む! 距離はあるが、裏庭から回れば戦闘は避けられる!」
「! 分かった! 厨房班はお客さんを中庭に誘導、メイド班はあたしについてきて! 飼育棟の救援に向かうよ!」
「ええ!」
剣を携えたメイドたちが、一斉に走り出す。
召喚棟に目を戻す。
ユマたちのもとに、アシュリーたちが駆け付けたところだった。
『ギェエェェェェェェェェエ!』
「はっ!」
子どもに襲いかかろうとした魔物を、ノアの剣が切り裂く。
『グゲエェェェェェエエェェ!』
「精霊さん、お願い!」
激昂した群れにアシュリーの魔術が炸裂し、何体かまとめて吹っ飛ばした。
「りる……!」
「ウォウ!」
フィオの呼びかけに応えて、リルが巨大化する。
巨大な黒狼と化したリルは、轟くような声で吠えると、魔物に飛びかかって食いちぎった。
ユマが泣きそうな声を上げる。
「フィオちゃん……!」
「ゆま……! ぶじで、よかった……!」
「ぼくたちが足止めするから、その間にみんなを避難させて!」
「はい!」
ユマがお客さんや動物たちを集める。
フィオは小さな子どもたちに手を貸し、リルの背中に乗せた。
「もう、だいじょうぶ……」
客たちの顔に安堵が広がる。保護された中には、グリフォンの幼生もいた。
一行が中庭に向かおうとした時、新たな魔物が立ちふさがった。
『グルルルル……』
「っ、きりがない……!」
ノアが歯を食い縛り、剣を構え直した時、救援隊が駆け付けた。
「お待たせっ!」
スカートが軽やかに舞い、鋭い剣が道を切り開く。
メイドたちの猛攻に、魔物の数はみるみる減っていった。
「さあ、今のうちよ!」
「大丈夫、落ち着いて避難して!」
「こっちだよ! みんな、青い光についてきてね!」
アシュリーたちがしるべとなって、一般客を導く。
おれは詰めていた息を吐き出した。
戦況を見渡す。
生徒たちは各所で合流し、戦術を組み上げ、魔物たちを退ける。
「無理にとどめを刺すな、身の安全を最優先に!」
「はい!」
魔物の群れを切り抜けた生徒たちが、続々と中庭に集結する。
「けが人はこっちへ! トリアージ急いで!」
「魔力に余裕のある人は支援に回って!」
「正門前、魔物の数が多くて押されてる! 援護頼む!」
ケガをした人たちを介抱し、あるいは援護へ向かう。
「パパ!」
「!」
アシュリーたちが走ってきた。
無事に帰ってきた三人を、おれは思わず抱きしめていた。
「わっ!」
「よくがんばった」
噛み締めるように告げると、アシュリーたちは顔を見合わせて笑った。
その頭を撫でて、おれは再び水鏡に向き直った。
生徒と教師たちの活躍で優勢にはなっているが、魔物は際限なく現れる。
魔術書を始末しなくては……だが、いったいどこに……――!
その、時。




