暗雲
「がんばってるな」
「うん! もうすぐ焼きたてのクッキーができるよ! まっててね!」
可愛らしいエプロン姿のアシュリーに、クラスメイトが声を掛ける。
「アシュリーちゃん、ストローどこー?」
「あっちのたなの上だよ!」
「アシュリー、ポーションがたりなくなっちゃった!」
「いまもってくるねー!」
アシュリーはクラスメイトの中心となって、ぱたぱたと駆け回る。
とても頼りにされているようだ。
ちょっと目頭が熱くなる。
フィオと手をつないだステラも、「まあまあ、立派になって……」と涙ぐんでいた。
レジでは、ベアトリクスとローザが目を回している。
「え、えっと、クッキーがひとつに、ハーブ茶がふたつ……銀貨をみっつもらったから、おつりは金貨が……あれ???」
「あたしの作ったゼリーが食べたいなら、順番に並びなさいよね! ルールを守れない人間には、特大魔術をお見舞いするんだから! いい!?」
テンパり幼女とツンデレ幼女の接客は、どうやら好評のようで、列は伸びに伸びている。
と、クッキーを運んできたアシュリーを、エルが呼び止めた。
「アシュリー。おまえ、交代の時間だぞ。あとはオレたちに任せて、遊んでこいよ」
「ありがとう、エル! 準備してくるねー!」
アシュリーが裏に引っ込む。
アシュリーを待っている間に、おれはマロニエールを見つけて声を掛けた。
「マロニエール先生」
「あっ、ケント先生! どうですか、銀星祭、楽しまれてますかっ?」
「はい、おかげさまで。これ、よかったら」
差し入れを渡すと、マロニエールはぱぁぁっと笑顔を咲かせた。
「わあああ! ありがとうございますです! 大事にいただくのです!」
そんなに喜ばれると、こちらまで嬉しくなってしまう。
マロニエールはさっそくわたあめを頬張りながら、時計を見上げた。
「そろそろ体育館で模擬戦闘がはじまりますね! 校長先生が張り切ってました!」
選抜チームによる生徒同士の模擬戦闘は、今回の銀星祭の目玉だ。
企画が持ち上がった当初、発起人であるおれが司会進行をすると申し出たのだが、校長が「私が! やる!」と目を輝かせて譲らないので、お言葉に甘えてお任せしている。
あとで観に行ってみよう。
おれはふと天井を見上げた。
「そういえば、校内放送とか、ないんですね」
「こうないほうそう?」
「あ、いえ」
前世のように、プログラムのアナウンスがあれば便利だと思ったのだが……どうだろう、魔術でできるかな。風の魔術を応用すれば可能な気がする。かなり繊細なイメージが必要だし、魔力の消耗は激しそうだが――
その時、アシュリーがやってきた。
「おまたせー!」
「お疲れさま。大盛況で良かったよ」
「うん! はいこれ、焼きたてクッキー! ティティたちが、みんなで食べてって!」
「ありがとう」
みんなで外に出る。
と、
「あっ、いた!」
振り返ると、ノアが息を切らせてやってくるところだった。
その格好は、猫耳メイドのままだ。
「ごめん、着替える暇なくて……」
「わー! ノア、かわいいっ!」
「ねこちゃん……!」
「あ、えっと……着替えなきゃ、ならないんだけど……」
ノアはそう言いつつもしゃがみ込み、フィオに猫耳を撫でさせてやっている。
ステラがふふっと喉を鳴らした。
「そのままでいいのではないですか?」
「でも、恥ずかしいよ……」
「はずかしくないよ! ねこちゃんメイドさんと、おててつないで歩きたい!」
「あるきたい……」
ふんふん興奮している子どもたちを、おれは微笑ましく見守り――背後から軽薄な声がした。
「おっ、メイドだ! 猫耳はえてる!」
「かーわいー」
他校の学生だろうか、やや柄の悪い男たちが口笛を吹く。
「ちょっと声かけてみようぜ」
無遠慮な足音が近付いてくる。
おれは黙ったまま、とっさに魔術を編み上げた。
精霊たちが、不穏な軋みをあげ――
「……!?」
「お、おい、行こうぜ……」
ただならぬ気配を感じたのか、男たちは怯んで去って行った。
……ちょっとおとなげなかったかな。
「どうしたの、ケント?」
「なんでもないよ。いいんじゃないか、そのままで。可愛いし」
「け、ケントがそういうなら……」
みんなで銀星祭マップを見ながら、出店を巡る。
貴族も一般客も、みんなめいめいに出し物を楽しみ、あるいは展示に感心しているようだった。
模擬戦闘も見学にいったが、予想以上の大入りで、体育館のギャラリーは観客で埋め尽くされていた。
連携のとれたチーム戦は迫力があり、両者がぶつかり合うごとに歓声があがっていた。校長の実況にも熱が入っている。
どうやら大成功だ。この様子なら、心配ないだろう。
「模擬戦闘、すごかったねー!」
「かっこ、よかった……」
「ぼくもエントリーすれば良かったかな」
興奮しながら、体育館を後にする。
と、
「やあやあ、ケント先生」
「校長先生」
校長がご機嫌で追ってきた。
「いやぁ、模擬戦闘が好評でねぇ! 他校の先生方から、問い合わせが殺到してるよ。ゴルゾフくんなんか、特に泡を食っててねぇ、あれは見ものだった」
校長はくふふふ、と人の悪い笑みを浮かべている。
「おかげで、どうやら面目を保てそうだ。支援金についても心配要らないだろう。本当にありがとう」
「いえ、おれはなにも」
「きみがなんといおうと、きみは今回の銀星祭の功労者だ。存分に楽しんでくれたまえ!」
「ありがとうございます」
校長と別れ、賑やかな校内をアシュリーたちと歩く。
「ねぇパパ、チョコバナナたべたい!」
「見て、あの看板。脱出ゲームだって。おもしろそう」
「ぱぱ、あのね……ふぃお、うさちゃんの、あくせさりー、ほしい……」
ステラが手にしたマップをみんなでのぞきこみながら、食べ歩き、手作りのアクセサリーを見て回る。
召喚棟ではふれあいコーナーが設置され、小さな子どもたちが嬉しそうにうさぎやハムスターを抱っこしていた。
「ねえパパ、あっち! あっちにいってみようよ!」
繋いだ手から、幸せの温度が伝わってくる。
騒がしくて、賑やかで、笑顔が溢れていて。
この歳になって、まさかこんなふうに、学園祭を楽しめるとは思ってもみなかった。
まるで青春が戻ってきたみたいだ。
人で溢れる校舎を抜け、中庭に出た。
店はなく、休憩スペースになっている。人が少なくて、落ち着いた雰囲気だ。
噴水が、澄んだ水を湛えている。
「次は、錬金棟に行ってみましょうか。魔術で実験をしているそうですよ」
「わあ、おもしろそう!」
「去年見たけど、樽が大爆発してたよ。大丈夫かな……」
中庭を横切ろうとした時、視界の端で、カラフルな紙が舞った。
見ると、ピエロが紙吹雪をまいていた。
「……あんな企画、あったかな……」
そういえば、校舎のあちこちで見かけた。
一応、全クラスの企画には目を通したはずだが、記憶がない。出し物の呼び込みというわけでもなさそうだし……
「ぱぱ……?」
「ああ」
おれはフィオに呼ばれて、歩き出そうとし――
背後から、黒い光が走った。
「な……!?」
振り返る。
芝生の上に、漆黒の影が佇んでいた。
黒い体毛に覆われた四肢に、赤い瞳。巨大な熊の形をした獣――
「魔物……!?」
『グルルルルル……』
凶暴な唸り声が地を這う。
「うそ……な、なんで……!」
ノアが後退ると同時、そこかしこで悲鳴が弾けた。
顔を上げる。
校舎の窓に、襲いかかる魔物と、逃げ惑う生徒の姿が見えた。
「どういうことだ……!」
校内に、魔物が顕現している。
異常事態だ。
背中に冷たい汗が伝い――
『グオオオォォォオォォオオオオ!』
黒熊が腕を振り上げ、ノア目がけて突進した。
「!」
考えるより早く、剣を引き抜く。
掬い上げた刃が、魔物を両断した。
「す、ご……」
まとわりつく黒い残滓を、剣を大きく振って払う。
「なんだ、これは……!?」
「学園には結界を張っています! 魔物は入れないはず……!」
「いったいどこから……!」
辺りを見回す。
さっきまでいたはずのピエロの姿がない。
芝生の上に目を凝らしていたフィオが叫んだ。
「ぱぱ、あれ……!」
「!」




