おばけなんてないさ?
休日の朝。
畑に水を撒いていると、フィオがやってきた。
黒い布を抱えている。
「おお、フィオ。銀星祭の準備はどうだ?」
フィオは、布の上に重ねてあったチラシを差し出した。
「お」
チラシには、大きく『おばけやしき』と書かれている。
ポップな幽霊や狼男、こうもりの絵が、わくわく感を演出している。
「すごいな、チラシ作ったのか。おもしろそうだな。フィオは何の役なんだ?」
「…………」
返事がない。
見ると、フィオは黒い布に顔を埋めるようにしてうつむいていた。
「フィオ?」
腰を屈めて覗き込む。
フィオはぽつりと呟いた。
「……こわい」
「ん?」
フィオが顔を上げる。
翡翠色の瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっていて。
「おばけ、こわいぃっ……」
おばけの衣装は、自分で作らなければならないらしい。
礼拝堂の椅子に座って、おれは縫い物を指南した。
「糸を通したら、玉留めして。うん、上手。指、気をつけて」
フィオはどうやらドラキュラ役のようで、大きなマントを、慣れない手つきで一生懸命縫っていく。
おれも、ほつれたところを直したりと、ちょこちょこ手伝った。
フィオはおばけやしきが怖いと怯えていたが、ひとまず衣装ができれば、気持ちも変わるかもしれない。
というわけで、まずは衣装作りに取りかかることにしたのだ。
マントの端に、リルがじゃれつく。
と。
「できた……」
フィオがマントを広げる。
「おー、がんばったな」
拍手すると、フィオは嬉しそうに頬を染めた。
よかった、ちょっと元気になったようだ。
リルも嬉しそうに尻尾を振っている。
「試しに着替えておいで」
ドラキュラセットの上に、マントを重ねてやる。
黒いズボンと白いシャツは、クラスメイトに借りたらしい。
「一人で着られるか?」
フィオはこくんと頷くと、小部屋に入っていった。
衣装を着ることで、モチベーションが上がってくれればいいのだが。
待つことしばし。
「ぱぱ……」
フィオがおずおずと顔を出した。
「ん? 着替えたか?」
「……きがえた」
「どれどれ?」
手招きすると、フィオはちょっともじつき、それから小走りにやってきた。
「……どう?」
「…………」
可愛い。
全身をすっぽり覆うマントに、胸元で結んだ赤いリボン。黒づくめの格好が、よりフィオの幼さを引き立てている。その口にはご丁寧に、小さな牙まで付いていた。
「かわ……――」
喉まで出かかった言葉を呑み込む。
ドラキュラなのだから、かわいい、というのも変か。
似合ってる……も、なんか違うな。
「すごく、その……かっこいいな」
「……かっこ、いい?」
フィオは長いマントを見下ろして、戸惑っているようだ。
すごく可愛い。フィオも、この自分を見たら、やる気になるかもしれない。
姿見の前まで連れて行く。
「ほら、どうだ?」
フィオは鏡に映った自分を見て、びくりと硬直した。
「……こわい」
「え?」
「どらきゅら、こわいぃ……」
なるほどなるほど。
しがみついてきたフィオを抱き上げ、背中を叩く。
「そうか、怖いかぁ」
そうだよな。怖いものは怖いよな。
おばけやしき当日、フィオはおそらく、真っ暗な中で待機しなければならないのだろう。
まわりはおばけ(に扮したクラスメイト)だらけ。
想像しただけで恐ろしいに違いない。
かといって、クラスの出し物に、おれが四六時中ついているわけにもいかないし、フィオはそんなこと望んでいないだろう。
「銀星祭、出るの、やめるか?」
「…………」
フィオはおれの肩におでこを擦り着けるようにして首を振った。
「うん、そうだな」
担任の先生の話では、フィオはここのところ、ちゃんとクラスにも馴染んできて、休み時間にはクラスメイトと遊ぶようになったそうだ。
フィオも、怖がりながらも、本当はクラスメイトと一緒に銀星祭を楽しみたいのだろう。
だから、怖いと言いながらチラシを持ってきて、慣れない手つきでドラキュラのマントを一生懸命縫った。
「フィオ」
おれはフィオを降ろすと、その前にしゃがみ込んだ。
「実はな、このマント、内緒でお守りを縫い込んでたんだ」
「おまもり……?」
「そう」
おれは、自分が裾上げした部分の糸を切り、開いた。
中から、フェルトを切って作った、白いおばけが出てきた。
「!」
つぶらな瞳に、丸っこいシルエット。
フィオは、チラシに描かれていたおばけのことは怖がっていなかった。
フィオに縫い物を教えながら、チラシのおばけに似せて作り、こっそり忍ばせていたのだ。
「これはな、おばけと、仲良くなれるお守りだ」
「なかよく……?」
「そう。これを持っていたら、おばけは、フィオを仲間だと思う」
「なかま……」
フィオは想像力が豊かな子だ。
それはとても素晴らしい才能だが、今はその想像力が、おばけやしきを必要以上に恐ろしいものに変えてしまっている。おばけなんかいない、おばけなんか怖くないと言い聞かせたところで、一度広がった想像の翼は、そう簡単には飛ぶのをやめてはくれないだろう。
なら、その豊かな想像力を、別の方向に向けてやればいいのだ。
「これを持っている間、フィオは、おばけと仲良くできる。フィオと友達になるのは、どんなおばけかな?」
「…………」
おまもりを見つめるフィオの瞳に、好奇心の光が灯った。
得体の知れないものへの恐怖は、友達になれるかもしれないという期待に変わる。暗闇で怯える時間は、新しい友達を待つ時間に変わる。何が出てくるか分からないドキドキは、どんなおばけに会えるのかというわくわくに変わる。
「このお守り、リルの毛も編み込んであるんだ」
リルがわん! と吠えて尻尾を振った。
「ただし、おばけと仲良くなりたかったら、ちゃんとドラキュラのふりをするんだぞ。できるか?」
フィオはおれを見つめて、こくりと頷いた。
「できる」
「いい子だ」
おれは、再びお守りをマントの裾に縫い込むと、縦結びになっていたリボンを結び直してやった。
マントの裾を握って、フィオはにっこりと笑った。
「ありがと、ぱぱ」
おれは笑って、その頭を撫でた。