補習を受けよう
ある日の休日。
おれはひとり、教壇に立っていた。
ベアトリクスにローザ、剣士課程のランジア他、二十名ほどの生徒が、おれを見つめている。
ここに集まった生徒は、みんな精霊学の赤点――つまり、補習者たちであった。
「補習ですか?」
オウム返しに問うと、マロニエールは「はい」と肩を落とした。
「先日、精霊学の小テストを実施したのですが、一部生徒の成績が、芳しくなく……」
渡された名簿には、課程問わず、二十名ほどの名前が連なっている。
「みんな精霊学の赤点常連というか、いわゆる問題児でして……ケントさんならなんとかしてくれると思いまして……!」
正直、ちゃんと教えられるか不安だが、他の先生は銀星祭の準備で忙しいようだし、少しでも力になれたら嬉しい。
「おれでよかったら」
というわけで、初めての休日出勤。
目標は、ここにいる全員を、明日の再テストに合格させること。
なのだが――
「だりぃ」
背もたれに大胆に身を預け、ランジアがうめく。
「せっかくの休日に補習とか、マジありえねー」
「ランジア、膝を閉じて。はしたないわ」
ロッテが涼しい顔で忠告する。
おれは名簿に目を落とした。
「ええと、ロッテは合格してたはずだけど……」
「自主補習です。先生の授業は、おもしろいので」
「そ、そうか」
素直にうれしい。
その隣で、ランジアが口を尖らせる。
「魔術とか、マジ使わねーし。てか、剣士課程が精霊学勉強するとか、意味不明だし」
たしかに、魔術を使わない立場からしたら、精霊学などまどろっこしいだけだろう。他課程の生徒も、うんうんと頷いている。
ランジアは爪をいじってふてくされる。
「補習受けたって、どーせまた赤点だし。やるだけムダじゃん?」
「知ってる、ランジア? 再テストで赤点を取ったら、銀星祭に参加できなくなるそうよ」
「はあ!? ウソっしょ!?」
「本当よ。勉学が学生の本分なのだから、当然でしょう」
「はああああ!? 銀星祭出れないとか、マジありえんーっ!」
「銀星祭に出るためにも、再テストに合格しないと」
その隣で、ローザがぎりぎりと爪を噛んでいた。
「なんであたしがこんなことっ……!」
一方のベアトリクスは、脳天気に目を輝かせている。
「ほしゅうって、きゅうしょくの仲間か?」
魔術士課程で赤点を取ったのは彼女たちだけだ。二人とも、学校自体が初めてなうえに、字も覚えたてだから無理もない。人間の魔術とは系統が違うだろうし。
(それはそれとして……)
名簿を眺める。
事前に調べたところ、ここに集まっている生徒たちは、決して怠け者だとか、やる気がないというわけではない。
精霊学は赤点でも、他の教科ではトップに食い込んでいたりする。
たぶん、意欲の問題だ。
(まずは興味を持ってもらうのが先だな)
おれは補習者たちを見渡して、口を開いた。
「精霊学の補習を担当する、ケント・オーナリーだ。よろしくな。えー、はじめに、呪文の基礎構成についての復習だが――」
「呪文とか、たるい」
いきなりの全否定だ。
「何をいっているの。呪文は、精霊学の基礎中の基礎よ」
ロッテの言う通りだ。
呪文は魔術の型であり、基礎である。
確かにテキストにはそう描かれている。
……が。
「そうだな。まずは、テキストを閉じようか」
「え?」
ランジアは頬杖をついたまま、ぽかんと口を開けている。
他の生徒も怪訝そうだ。
「えーと、どうするかな……」
おれは生徒たちを見回し、ふとランジアの爪を指さした。
「ランジア、それ」
「んあ?」
ランジアの爪は艶のあるピンク色に塗られ、きれいな石やラメがちりばめられていた。
「自分でやったのか?」
「……そーだけど? なに? 校則違反とかいっちゃう系? 別にいーじゃん、好きなカッコしてるだけだし――」
「きれいだな」
「!?」
思ったままを告げると、ランジアが目を見開いた。
教室がざわつく。
「え? は? なに……」
「ムラもないし、細かいし、デザインも可愛い。器用なんだな」
「…………」
ランジアはしばしぽかんとしていたが、やがて赤くなって頬を掻いた。
「や、なんか……先生に褒められたこと、なかったし……フツーに照れるっつーか……」
素直ないい子だ。
おれは笑うと、ランジアに向かって手をかざした。
「そういうのが好きなら……たとえば、魔術を使えば、こういうこともできる」
「え?」
手首を返し、指を鳴らす。
一陣の風が舞い、ランジアの髪に、きらきらと光の粒子がまとわりついた。
「!? え、なに!? なにこれ!? えっ!? えっ!?」
「水の精霊を集めて結晶化した」
ランジアは呆けた顔で、「……やべー」と呟いた。
「他にも、肌に優しいミストで洗顔できたり……」
「うっそ!」
「炎と風の魔術を合わせれば、髪を巻いたりできる」
「えっ、なにそれ、めっちゃ盛れるじゃん!」
さっきまでの冷め具合はどこへやら、ランジアは興奮も露わに身を乗り出した。
「ちょっと、魔術って鬼エモいんですけど! あたし魔術士課程に転向しよっかな!?」
「いいと思うぞ。ランジアは、水の精霊と相性がいいみたいだしな」
ロッテがめがねを光らせた。
「相性があるのですか?」
「ああ。そして、自分と相性のいい精霊の質を理解していれば、呼びやすくなる。例えばこうして――」
おれは剣を抜いた。
握った柄に力を込める。
刀身に、青い光が走った。
「!」
「――武器に、四元素を付与することもできる」
水を纏った刃が、きらきらと輝く。
「す、ご……」
誰かが呟き、ランジアが勢いよく立ち上がった。
「ちょ、それってもしかして、水をうっすーく纏わせたら、めっちゃ切れ味よくなんじゃね!? 研ぐ必要なくなるんじゃね!?」
「そうだな」
さすがは剣士課程、いいところを突いてくる。
おれは魔術を解くと、剣を収めた。
「他にもたとえば、剣に炎を纏わせれば、植物系の魔物に大ダメージを与えられるし、足に風魔術を付与することで、機動力を上げることもできる。たとえ専門外だったとしても、魔術や精霊についての知識があれば、戦闘の幅を広げたり、有利に進めることができるんだ――」
と、おれの解説を、凜とした声が遮った。
「ねえケント! ぼく、それ、教えてもらってないんだけど……!」
顔を上げて驚く。
「ノア」
教室のうしろのドアから、ノアが顔を出していた。
「見に来たのか?」
「うん。ケントが補習を担当してるって噂を聞いて。ずるいよ、ランジアたちばっかり」
ノアは口を尖らせている。
気付けば、廊下に人が溢れていた。
「パパ、がんばれー!」
「がんばれ……」
アシュリーとフィオの姿もある。
なんだか逆授業参観みたいだ。いやでも気合いが入る。
ランジアが呟く。
「でも、魔術って、ぶっちゃけなんか怖いんだよね。いきなしバァン! って爆発したりするし……」
他の生徒もうなずいている。
なるほど。
「それは、魔術を『未知の力』だと思ってるからだな。呪文の意味がわかれば、仲間の魔術士がどのタイミングでどんな魔術を使おうとしているのかが分かるようになる。具体的に見てみようか」
おれは黒板に呪文を書き出した。
「呪文は一見すると難解だが、一度構成を理解すれば簡単だ。細かく分解して、訳していこう。たとえば、火を熾す魔術の、最初の一節――『紅の精霊よ』。これは炎の精霊への呼びかけだな。第二節は、どれくらいの範囲にどんな効果を望むかを示している。『我が掌に、闇照らす灯火を』、これは『我が掌』とあるから――」
生徒たちが一斉にノートを取り始める。
「――まあ要は、『精霊さん、ちょっとこの辺りを、ぽっと照らしてほしいんですけど、力を貸してくれませんか? あ、ちゃんとその分の魔力を支払うんで』ってことだ」
「超訳すぎるんですケド」
そういいつつ、ランジアは腑に落ちたようにすっきりした顔をしている。
と、ベアトリクスが手を上げた。
「オレサマ、呪文がなくても発動できるぞ!」
「そうだな。無詠唱の場合は、周りにはどんな魔術が発動するか予想ができないから、仲間との意思疎通がより大切になる。仲間と呼吸を合わせることも、冒険者として大事な要素だ」
ローザが肩を竦める。
「他人に頼らなきゃならないなんて、人間って軟弱ね」
おれは「そうだな」と笑った。
「だが、魔術とひとくちにいっても、攻撃だけじゃない。防御や、アタッカーの補助はもちろん、前衛に盾になってもらっている間に極大魔術を編み上げ、固定砲台として機能させる戦法もある。もちろん術者の得意不得意にもよるが、共に戦う仲間の理解度によって、戦術の幅は無限に広がる」
おれはローザに笑いかけた。
「あるモノはかけ算して、足りないモノは補い合う。人間は、そうやって強くなっていったんだ」
「……足りないモノは、補い合う……」
ローザは口の中で繰り返している。
別の生徒が「質問です」と手を挙げた。
「その子みたいに、無詠唱で発動できる人もいるってことですよね? なのに、なんで呪文が必要なんですか?」
「いい質問だ。それに答えるには、まず魔術の歴史を紐解く必要がある。魔術っていうのは、開闢期、黎明期、古代期を経て、今の形になったんだが、そもそも現在使われてる呪文っていうのは、古代期に定められた、いってみればひとつのシステムで――」
ひとつの質問に答えれば、また別の質問が出てくる。
どうやら、興味を持ってくれたらしい。
そうして最初から最後まで教科書を閉じたまま、補習は終わった。
そして、数日後。