アシュリー、覚醒?
店内を探すと、奥まった一角にその背中を見つけた。
一冊の本の表紙をじっと見つめている。
ほっと胸をなで下ろす。
「絵本か?」
声を掛けると、アシュリーがぱっと顔をあげた。
「うん、大賢人リュカさまのおはなしだよ。あしゅり、このおはなしがいちばんすき!」
「アシュリーは、もう字は読めるのか?」
「よめるよ!」
「そうか、すごいな。フィオはどうかな」
「フィオはねぇ、まだだよ。あとちょっとだよ」
なるほど。この世界では、字は六歳から習い始めるらしい。
子ども向けの参考書を何冊か見比べる。
しばらく預かるわけだし、基本的な教育もしたほうがいいんだよな、たぶん。
……教育か……おれにできるかな……?
ポケットに手を突っ込んでガムをくちゃくちゃやっている後輩の姿が蘇って、無意識に胃のあたりを押さえる。
「パパ、どうしたの? おなかいたいの?」
「いや、ちょっと、社畜時代の古傷が……」
アシュリーは心配そうにおれを見上げていたが、やがて小さな腕を伸ばしてぎゅっと抱きついてきた。
「アシュリー?」
「大丈夫よ、パパ。あしゅりがついてるからね。
いたいの、すぐになくなるからね」
おなかに感じるぬくもりに、心がじんわりとほどけていく。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
頭を撫でると、アシュリーは嬉しそうに歯を見せて笑った。
本を買うと、本屋を出る。
食料とあわせて結構な荷物になった。
アシュリーも持ちたいというので、ステラたちへのお土産を持ってもらう。
「そういえばアシュリーって、魔術は使ったことあるのか?」
「ないよ。おべんきょうだけ」
なるほど、座学しか受けていないわけか。
そうだよな、呪文を暗記するだけでも大変だろう。
「呪文は? 覚えてるか?」
「うん! いえるよ!」
アシュリーは小さな手をばっと空へ掲げた。
「いだいなるホノオのせいれいよ、われにちからをあたえたまえ! なんじのちからをもって、あくをうちたおせーっ!」
元気はいいが、熱風すら起こらない。
それはそうか。
本によると、魔術は要は精霊との契約らしい。
意味も分からず文言だけ並べたところで、精霊も応えようがないだろう。
まずは言葉の意味を理解した上で訴えかけなければ――
そこまで考えたところで、ふと疑問が兆す。
精霊と契約を結ぶのに、本当に呪文が必要なのだろうか?
おれが知る限り、契約というよりも、なんかこう、もっと直感的というか、感覚的というか……いや、おれが元異世界人だからかも知れないが……
試しに提案してみる。
「アシュリー、呪文はいいから、イメージするんだ」
「いめーじ?」
「そう。どんな魔術を使いたいのか、想像して、思い描くんだ。アシュリーはどんな魔術を使いたい?」
「火!」
「うん。火を使って、何をしたい?」
アシュリーは「きゃんぷふぁいあー!」と目を輝かせた。
「ぶんかさいの時ね、校庭で、みんなできゃんぷふぁいあーしたの!」
「そうか」
ちょっと安堵する。
アシュリーたちは、学園で火竜に襲われたと聞いた。
それでも、アシュリーは炎を怖がってはいない。
キャンプファイアーは、学園での大切な思い出のひとつなのだろう。
「じゃあ、その時のキャンプファイアーを思い出して。それで、精霊さんにお願いするんだ」
「おねがい?」
「そう。学校では習ってないかもしれないけど、呪文を唱えず、直接精霊さんに語りかけるんだ……できるか?」
アシュリーはじっと考え込んでいたが、やがてうなずいた。
「わかった」
「あ、ちょっと待って。こっちにおいで」
街の端、壁際の空き地まで連れて行く。
平らな岩の上に荷物を置いた。
人もまばらでちょうどいい。
「この辺がいいかな」
赤い粒子が多く漂っている場所を見つけて、そこにアシュリーを立たせた。
「ここで、精霊さんにお願いするんだ。キャンプファイアーを思い出して、心を込めて」
「うん」
アシュリーは、両手を組み合わせて、目を閉じた。
白い頬にまつげの影が落ちる。
風が吹いて、艶やかな髪がなびいた。
その姿ははっとするほど神秘的で。
花びらのような唇がほどけた。
鈴に似た麗しい声が響き渡る。
「せいれいさん、おねがい……!」
赤い髪が、燃えるように光を帯び――次の瞬間、おれたちの前に、見上げるほどの火柱が出現した。
「ちょ……!?」
「わあ、すごーい!」
平和な街の一角に、赤い炎がごうごうと逆巻く。
おれは慌てて水を出現させて消火した。
急いであたりを見回す。
幸い誰にも見られていなかったようだ。
密かに額の汗を拭った。
「パパ、できた! できたよ!」
「す、すごいな」
「えへへ~」
よほど嬉しかったのか、アシュリーはおれの腕をぶんぶん振ったり絡みついたりしている。
まさか一回目で成功するとは思わなかった。
だが、これではっきりした。
大切なのは、呪文という媒体よりも、むしろ直接精霊に語りかける『イメージ』だ。
……それなのに、この世界ではなぜ呪文という形式が一般化しているのだろう。
イメージを練ることにさえ慣れれば、はるかに効率がいいのに……
……いや、それとも逆か?
イメージは人によってばらつきがある。
長い歴史の中で、誰でも制御できるように、呪文という媒体を作り出したのか?
だがアシュリーは実際に呪文なしで魔術を発現させたしなぁ。
アシュリーによっぽど素質があったのか、あるいは……――
答えのない思考をこねくり回していると、アシュリーが空を見上げた。
「ねえ、パパ。水のにおいがするね」
「ん?」
そういえば、さっきもそんなこと言ってたな。
それでアシュリーについていったら、噴水を見つけたんだっけ。
アシュリーにつられて空を見上げた。
青い粒子がやけに多い。
西の空に、灰色の雲が垂れ込めている。
「はやくかえろー」
「そうだな」
荷物を持ち、街を出た。
アシュリーに歩調を合わせて街道を行く。
教会が見えてきた頃、鼻先にぽつりとぬるい水滴が落ちて、じきに激しい雨になった。
◆ ◆ ◆
濡れ鼠になって帰ってきたおれたちを、ステラとノア、フィオが出迎えた。
「まあ、大変。今お風呂を沸かしていますからね」
「ありがとう」
受け取ったタオルで肩を拭く。
髪を拭かれながら、アシュリーはステラにネックレスを差し出た。
「ステラ、いつもありがとう! これ、お土産だよ!」
「あら、素敵! 嬉しいわ、アシュリー」
「これはノアと、フィオに!」
「すごい、かっこいい……!」
「うさちゃん……」
喜ぶ三人を見て、アシュリーは満足げだ。
雨に濡れないよう、自分がびしょ濡れになっても守ってたもんな。
「良かったな、アシュリー」
「うん!」
「じゃあ、これはアシュリーに」
おれはアシュリーに、一冊の本を差し出した。
アシュリーが本屋で食い入るように見ていた、大賢人リュカの絵本だ。
アシュリーは目をまんまるにして立ちすくんだ。
「いいの?」
「もちろん。おつかい、ついてきてくれてありがとうな」
アシュリーの顔に、今日一番の笑顔が弾けた。
「ありがとう、パパ!」
絵本を抱きしめてくるくると回る姿に、温かな喜びがこみ上げる。
「さあ、お風呂に入って、ごはんにしましょう」
買ってきたばかりの食材を使って、今夜は今までにないくらい豪華な料理になった。
五人で食卓を囲む。
「あのね、それでね、こうえんに行ったらね、まものがおそってきたの!」
「まあ、大変」
「でもだいじょうぶ! パパとスイレンさんが、ばしゅーんってやっつけてくれたから!」
「アシュリー、フォークを振り回すと危ないよ。フィオ、ちゃんと前を見て。ああ、ほら、こぼれてる」
少女たちの笑顔が、ランプの光に柔らかく照らされる。
その光景を見ながら、おれは温かいスープをゆっくりと口に運んだ。
この子たちを引き取るって決めたときは、正直どうなるかと思ったけど……なんだか、楽しくやっていけそうだ。
◆ ◆ ◆
屋根に、しとしとと雨の音が響く
子どもたちが部屋に入った後、買ってきた本を整理していると、ステラが買ったばかりの茶葉でハーブティーを淹れてくれた。
「ありがとう」
「アマンの街はいかがでしたか?」
「いいところだよ。人は優しいし、店もたくさんあるし。アシュリーも喜んでた。
騎警隊の副隊長とも知り合えて、何か困ったことがあれば言ってくれってさ」
「そうですか」
縫い物に目を落としながら、ステラは小さく呟いた。
「本当に、何から何までありがとうございます。ケントさんは、私たちの命の恩人です」
「そんなことないよ。逆に助けられてるし」
教会の修繕作業や、畑作り。掃除に洗濯、料理。
日常生活で助けられているのはもちろん、アシュリーたちのおかげで、自分がどんどんこの世界に馴染んでいっている気がする。
それに、自分一人だったら、思いのほか退屈していたかもしれない。
「そういえば今日、アマンの街でアシュリーが魔術を発動させて」
何気なく言うと、ステラが顔を上げた。
「魔術を使ったのですか? アシュリーが?」
「ああ。それも、無詠唱で」
「無詠唱で!?」
「おれもびっくりしたよ。初めてって言ってたけど、才能あるんだな」
「…………」
返事はない。
見ると、ステラは何やら真剣な顔で考え込んでいるようだった。
「ステラ?」
その横顔に話しかけようとした時、食堂の扉が開いた。
困り顔をしたノアが、ステラを呼ぶ。
「ステラ。フィオが……」
お読みいただきましてありがとうございます。
また、感想とても嬉しいです! 更新がんばります!