いきものがかり
礼拝堂の窓から、ヤギが草をはんでいるのが見える。
「フィオ?」
おれは、自分の膝に視線を落とした。
フィオが、おれの腿に顔を伏せて丸まっている。
フィオは昼休みになると、必ず礼拝堂にきていた。
淡い金髪をステラが心配そうに撫で、リルがくんくんと鼻を鳴らしながら足下を行ったり来たりする。
おれは時計を見上げた。
「フィオ。もう教室に戻らないと」
「…………」
そっと肩を揺すると、フィオはようやく身を起こした。
何度も振り返り、涙ぐみながらとぼとぼと礼拝堂をあとにする。
「……心配ですね」
ステラが眉を下げる。
「担任の先生のお話では、なかなかクラスに馴染めないようで……」
繊細で優しいフィオは、おれと初めて会った時も、ひどく怯えていた。教会で共に暮らし、何気ない会話を積み重ねていく中で、ようやく心を開いてくれたのだ。
窓の外、今にもくしゃくしゃに潰れてしまいそうな、小さな背中が見える。
その姿を見て、おれはひとつの決心を固めたのだった。
「あっ、大賢人さまだ!」
次の日。
フィオのクラスを訪れると、生徒たちが一斉に声を上げた。
「……!」
目を見開くフィオに、おれは笑って軽く手を振った。
マロニエールとフィオの担任に頼んで、見学させてもらいに来たのだ。
ちょうど召喚術の授業らしい。
生徒たちが、床に描いた魔方陣をぐるりと囲んでいる。
「次、フィオちゃんの番だよ」
クラスメイトが優しく場所を譲る。
「あ、あぅ……」
フィオはおろおろと魔方陣の前に立った。
今にも消え入りそうな声で、一生懸命呪文を唱える。
「……は、はるかなる、えにしに……み、みちびかれし、と、とも、ともがらよ……わが、わが、ちしお、わが、ちにくに、よりて、……こ、ここ、に、けいやく、を……っ」
声の震えから緊張が伝わってくる。きっと、頭の中は真っ白になっているだろう。
呪文を唱え終わったが、何も起こらない。
「ぁぅ……」
フィオはじわりと涙ぐみ――その前に、巨大な影がぬうっと聳え立った。
「フィオくん」
フィオのクラスの担任であり、召喚術を受け持つマックレール先生だ。
数名しかいない男性教師のひとりで、歳はおれと同じくらいだが、特筆すべきはその体格。とにかくガタイがいい。胸板は厚く、背はおれより頭ひとつぶん高い。
さらにはコワモテというのか、なかなかいかめしい顔つきをしている。頬の向こう傷がなおさら迫力を増しているが、ライオンとじゃれ合っている時についた傷らしく、中身は生徒と動物を愛してやまない、心優しい先生だ。
「ええと、フィオくん。呪文はだな、召喚獣への語りかけであるからして、もっと心を込めて……」
「ぁ、ぅ……」
いかつい顔に間近に迫られて、フィオがみるみる涙ぐむ。
マックレール先生はあわあわと手を振った。
「あ、ご、ごめんな、フィオくん。先生が強く言いすぎたよ……」
「ふ、ぇ、ぇ、ぇ、ぇ……」
「あ、あ、違うんだよ、怒っているわけではなくてだな……」
焦った先生の顔が、またぞろ迫力を増す。
コワモテ教師が、涙目の幼女を前におろおろと取り乱している。
おれは慌てて駆け寄った。
フィオを抱き上げる。
「すみません、ちょっと、落ち着かせてきますから」
そう笑いかけると、マックレール先生は熊のようなガタイを縮めた。
「す、すみません、ありがとうございます」
フィオの背中を優しく叩きながら、教室を出る。
扉を閉める間際振り返ると、先生とクラスメイトたちが、心配そうに見送っていた。
おれはひと目を避けて、裏庭に出た。
花壇の前のベンチに、フィオを座らせる。
「落ち着いたか?」
頭を撫でながらそう問うと、フィオは涙を拭ってこくりと頷いた。
花壇を囲う柵の先に、とんぼがとまっている。
「……なあ、フィオ。放課後、飼育小屋で、動物のお世話をしてみないか?」
「?」
フィオが、不思議そうにおれを見上げる。
おれは笑って、一枚の羊皮紙を見せた。
「生き物係だ」
そして放課後、俺たちは敷地の外れにある、飼育棟の前に立っていた。
「すごいな」
小学校にあった飼育小屋というレベルではない。屋根は高く、広さは体育館ほどもあるだろうか。仕切られた小部屋から、さまざまな鳴き声が聞こえてくる。
と、奥から女の子が走ってきた。
「すみません、遅くなっちゃって!」
歳はノアと同じくらいか。
髪をお団子にまとめた、はつらつとした少女だ。
フィオの背中に手を添えると、フィオは緊張したおももちで口を開いた。
「ふぃ、ふぃお、です……よろしく、おねがい、します……」
「はじめまして、私はユマ。よろしくね、フィオちゃん」
ユマは白い歯を見せて笑った。頬には泥がついていて、乾いた藁の香りがふわりと漂った。
「ちょうど、人手が足りなくて困ってたの」
校内には、生き物係募集のチラシが、あちこちに張られていた。
ユリシス学園の飼育小屋では、普通の動物だけではなく、召喚獣の世話もしているという。何もしなくても希望者が集まりそうなものだが……
「それじゃあ、案内するわね」
ユマに案内されて、まずは手前の小部屋から順に、うさぎやニワトリ、ハムスター等を見て回る。
フィオは、最初慣れない場所にびくびくと怯えていたが、動物たちを見るうちに、少しずつ目を輝かせていた。
木の板で仕切られた小部屋の前に立つ。
ユマが白い馬を示した。
「これがユニコーンよ」
「おお」
思わず感嘆が漏れた。
均整の取れた美しい肢体に、よく手入れされた純白の毛並み。額に戴く角は、気高く輝いている。
「ユリシス学園は、大陸の召喚獣保護機関から、特別に許可をもらっているの。生態調査や研究にも協力しているのよ」
優しい目をしたユニコーンを、フィオは声もなく見上げている。
奥に、動物たちの世話をしている生徒たちの姿がちらほら見える。みんな忙しそうだ。
と、ユマが奥に向かって声を張った。
「ブラッシングはあと! 先に飼い葉あげて! その間に掃除、わらの回収急いで!」
驚いていると、ユマがはにかんだ。
「生き物係って、癒やされそうなイメージがあるけど、実はとてもハードなんです。朝は早いし、重労働だし、新しく入った子も、すぐに辞めてしまって……」
生き物係という響きから、カジュアルなものを想像していたが、思っていたより厳しいようだ。
「どうする、フィオ?」
「…………」
返事はない。
きらきら輝く翡翠色の瞳が、ユニコーンと、それを世話する生徒たちを見つめている。
おれはユマを振り返った。
「もう少し見学させてもらってもいいですか?」
ユマは「もちろん!」と笑った。
それから、ユマは詳しく説明しながら飼育棟を案内してくれた。
飼育している召喚獣はさまざまで、ペガサスや龍、フェニックス、麒麟という変わり種もいた。
「うちのヤギも、ここで預かってもらおうかな」
実はカプリコーンということもあり、礼拝堂の敷地で飼っていたのだが、この環境ならすんなり受け入れてもらえそうな気がする。
尋ねてみると、ユマは「いつでもどうぞ!」と腕をまくって張り切っていた。
奥まった一角に来た。小さめの檻が並んでいる。
「ここでは、親からはぐれた子や、ケガした子を保護してるの」
と、ユマのもとに少年が駆け寄ってきた。
「ユマさん、やっぱりだめです」
「そう……」
「だめって、何が?」
ユマはじっと考え込んでいたが、奥へと歩き出した。
「ついてきて」
案内されたのは、一番奥の檻だった。
「この子が、ごはんを食べなくて……」
そこには、鳥に似た動物がうずくまっていた。
焦げ茶の羽に、黄色い嘴。獣の四肢――
「グリフォンか」
確か、大賢人リュカが使役していた召喚獣だ。
成獣は牛くらいの大きさになるらしいが、このグリフォンは、両手に乗るくらい小さい。まだ子どもだ。
ユマは、ペースト状にしたエサを練って枝に刺すと、檻の間から差し込んだ。
「グリフォ。ごはんよ」
「…………」
グリフォンは微かに顔を上げてにおいを嗅いだが、すぐにうずくまってしまった。
「三日前に、弱っていたところを保護したんです。巣から落ちたみたいで、近くに親の姿もなくて……」
動かないグリフォンを、フィオはじっと見つめている。
「できたら自然に帰してあげたいんですが、このままじゃ……」
ユマが眉を下げる。
ふと、裾を引っぱられた。
フィオが見上げていた。
幼い顔に決意が漲っている。
おれは笑った。
「図書室にいってみよう」




