はじめての授業
次の日、朝のホームルーム。
おれは、魔術士課程下級クラス――つまり、アシュリーのクラスに来ていた。
マロニエールのあとについて入ると、教室が「きた!」とざわめいた。
段状に並んだ机が教壇をぐるりと取り囲み、二十人ほどの生徒たちが座っている。彼女たちの目はわくわくと輝き、中でもアシュリーは今にも立ち上がりそうにそわそわしていた。
マロニエールが口を開く。
「えー、みなさん、おはようございます。今日から新しく副担任になりました、ケント先生です!」
わあーっと拍手が起こる。
「それではケント先生、自己紹介をおねがいします!」
おれは壇上に立った。
「初めまして。ケント・オーナリーです。マロニエール先生の補佐として、【精霊学】を受け持つことになりました。よろしくお願いします」
「何か質問あるひと!」
マロニエールが投げかけると同時、生徒たちが一斉に手をあげた。
「ケントせんせー! だいけんじんってほんとうですか!」
「アシュリーにききました! じゅもんをとなえずに魔術をつかうって!」
「魔術みせてくださいっ!」
「ケントせんせい、いくつなの!? このみのタイプは!? かのじょはいるの!?」
まるで蜂の巣をつついたような騒ぎだ。
クラスメイトがキラキラと目を光らせる中で、アシュリーは満足そうに胸を張っていた。
そんな中、すっと手が上がった。
喧噪が止む。
集まった視線の先で、少年がゆっくりと立ち上がった。
少し癖のある黒髪に、聡明な光を宿した黒目。利発そうな男の子だ。
少年は小さな身体に似合わず、傲然と腕を組んだ。
「お初にお目に掛かる、大賢人。オレはエル・デュ・アルディウス。由緒正しい、アルディウス伯爵家の嫡男だ」
難しい言葉を知ってるんだな、すごい。おれがこの年のころなんて、ミノムシをミノから押し出して噛まれてたぞ。
エルと名乗った少年は、ふんと鼻を鳴らした。
「どこの馬の骨かも分からないよそ者が、このユリシス学園の教師とは笑わせる。大賢人を名乗るからには、それなりの家の出なんだろうな? たいした実力もないのに大賢人を詐称すれば、不敬罪に問われても文句は――」
「エル!」
アシュリーが、机を叩いて立ち上がる。
「パパはすごいんだよ! せかいでいちばん強いんだからっ!」
「ん、なっ……!」
エルは一瞬頬を染めて怯んだが、すぐさま噛み付いた。
「なにがパパだ! 世界一なんて、だれが決めたんだよ!?」
「あしゅりだよ! パパはとってもつよくてやさしくて、せかいいちのパパなんだよ!」
「そんなの、ただの主観じゃないかっ! 世界一を冠するからには、ちゃんと魔術士協会の認定を受けて、しかるべき儀式を踏んでだなっ……!」
「ねぇパパ、ケルベロスをやっつけたときのおはなし、してもいいーっ?」
「えぇ~っ、ケルベロスを!?」
「うそーっ、すごーいっ!」
「聞けよーっ!?」
エルは真っ赤になって地団駄を踏むと、おれに指を突きつけ、子狼よろしく牙をむいた。
「オマエの魔術をみせてみろ、大賢人! このオレを唸らせたら、一流の教師と認めてやる! その代わり、もしブザマをさらしたら、二度と大賢人を名乗るなよっ!?」
「わかったよ」
おれは頷いた。このままでは、エルもおさまりがつかないだろう。
おれが負けたところで、自分で大賢人を名乗っているわけではないので、今までとあまり変わらない。
「いいですか、マロニエール先生?」
「もちろんです! 一限目は精霊学なので、ちょうどいいです! ただし、物を壊してはダメですよっ!」
「はい」
頷いて、教室を見渡す。
ええと……屋内だし、できるだけ地味な魔術がいいな。爆発や炎系、土系は却下、何か浮かせるとか、光らせるとか……やっぱり風系が無難かな。
忙しく思考を巡らせていると、ふと、エルのネクタイが歪んでいることに気付いた。
ちょうどいい。
おれはエルの胸元をまっすぐに指さした。
エルがびくりと顔を強ばらせる。
「えっ。な、なんだよ……っ」
おれは風の精霊を一点に収束させ、ねじれているネクタイを緩めた。
「え?」
エルが目を見張る。
その視線の先で、ネクタイがするするとほどけていく。
誰かが息を呑む音が聞こえた。
さらに意識を集中させ、ネクタイを結びなおす。
「う、わ、うわわわ……っ!?」
エルが悲鳴を上げ、教室がざわめく。
「えっ、えっ? これって、魔術……?」
「うそ……」
やがて、きれいな結び目が完成した。
おれはふう、と息を吐き――わああああっと教室が割れんばかりの歓声に包まれた。
「あ、あれ……?」
思った以上の反応に戸惑う。
なるべく地味な魔術を選んだつもりだけど……
と、マロニエールが必死の形相でつかみかかってきた。
「い、いいいいい今のっ、どどどどどどーやったのですっ!?」
「うわっ!? えっ、べ、別に、ごく地味な魔術で――」
「む、無詠唱で!? こ、こんな繊細な魔術をっ!?」
……そうだった、と思い出す。
この世界では、爆発や暴風などより、繊細で一見地味な魔術ほど難易度が高いんだった。人里離れたスローライフを送っていたせいか、どうも感覚がずれてしまっている。
「呪文も唱えずに、どうやってあんな複雑な魔術を!?」
おれは頬を掻いた。
「うーん……無詠唱だから(傍点)ですかね……?」
「え? それは、どういう……」
視界の端に、放心しているエルが映り込んだ。ついでなので、ずり落ちたサスペンダーも魔術で直してやる。
「…………」
エルは上気した頬を両手で押さえ、
「しゅ……しゅごい……」
アシュリーが嬉しそうに飛び跳ねた。
「ね! ねっ! パパはすごいでしょ!」
自慢げなアシュリーの声で、マロニエールがはっと我に返った。
開きっぱなしになっていた口を閉じて、生徒たちに向き直る。
「こ、こほん! えー。まあ、こんな感じで、ケント先生は、とってもすごいのです! なんかもう、それはそれはすごいのです! なので、心して教わるよーに!」
生徒に言い聞かせながら、キラキラ輝く瞳で小声でささやくことには、
「あとで、無詠唱の秘訣を教えてくださいっ!」
そして、記念すべき初めての精霊学。
おれたちはマロニエールにつれられ、裏口から外に出た。
中庭には、もう秋の終わりにも関わらず、青々とした芝生が広がり、噴水が澄んだ水を噴き上げていた。
その一角。
腰まである木の棒がいくつも立ち、わらで作った玉が乗っている。
「先週は、炎と風の複合魔術を学びましたね。その複合魔術を使って、今日は、あの的を撃ち抜いてもらいます!」
はい、と元気な返事。
「ではエルくん、見本を見せてくださいです!」
指名されて、エルが堂々と進み出た。
「さがってろ。ケガしても知らないからな」
手をわきわきと動かし、的から数メートル離れたところで、立ち止まる。
「…………」
空気がぴんと張り詰める。
傍目にもすごい集中力だ。
エルは両手を合わせると、芯の通った声で呪文を唱えた。
「『紅の精霊よ。其が宿るは我が瞼の裏。今こそ顕現せよ。我が胸は魂の揺り籠。我が腕は赤き桎梏。汝が力を以て、見えざる鎖を穿て』!」
最後の一節とともに、的が爆ぜた。
「わあ!」
歓声が沸く。
アシュリーが目をきらきらさせて手を叩いた。
「わぁ、すごい! すごいね、エル!」
「ふふん。声の出し方にちょっとコツがあるんだよなっ。まあ、落ちこぼれのアシュリーには、特別に、オレが直々に教えてやってもいいんだぞ」
その様子を見ながら、おれは思わず呟いていた。
「すごいですね」
「はい! エルくんはとても優秀で、将来を有望視されているのです。すでに中級以上の実力はあるのに、いくら飛び級をすすめても、頑なに断るのです。なんででしょうね?」
「はあ」
エルは肩をそびやかしながら、ちらっ、ちらっ、とアシュリーを気にしている。その視線には、明らかな熱がこもっていて……うん、理由はなんとなく察しがついたぞ。がんばれ若者。
それにしても、あの難解な呪文をすらすらとそらんじるあたり、かなり鍛錬を積んでいる。ぽっと出のおれに懐疑心を抱くのも無理はない。
と、アシュリーが元気に手を上げた。
「マロニエールせんせー! あしゅりもやりたい!」
「おや。アシュリーは、先週の授業は受けていませんが……」
「できる気がする!」
「なるほど! ナイスフィーリングです! 魔術には勘も大切ですからねっ!」
冒険者育成校の授業、思ったよりゆるい。
でもまあ、魔術には勘が大切というのは同感だ。
「それでは、やってもらいましょうか。風と炎の魔術の応用ですよ。呪文は分かりますか?」
「はい!」
アシュリーは頷くと空を見上げ、くんくんと鼻を鳴らした。
「……アシュリー?」
「なにしてんだろ?」
あちこち歩き回るアシュリーを、クラスメイトが不思議そうに見守る。
やがてアシュリーは庭の一角に駆け寄った。
「?」
「なんであんな離れたところに……」
怪訝な視線の中、アシュリーは両手を組み、目を閉じた。
「…………」
中庭に静寂が降りる。
赤い髪がふわりと舞い上がり――
「精霊さん、お願いっ!」
アシュリーが叫ぶと同時、わらの玉がぱんっ! とはじけ飛んだ。
「!?」
声もなく仰天するクラスメイトたち。
アシュリーは嬉しそうに振り返り、
「できたー!」
「呪文は!?」
「? いまのがじゅもんだよ?」
「どどどどうして!? どうやったの!?」
アシュリーはまるで空を抱くように両手を広げる。
「ぱぱにおしえてもらったの! だいじなのは、精霊さんをおもうきもちだって!」
庭には色とりどりに輝く光の粒子が舞っている。これは精霊――この世界の四元素を司る存在だ。
どうやらおれにしか見えないものらしいが、アシュリーは優れた嗅覚で精霊の気配を探していたのだ。そして、赤い粒子と、緑の粒子――炎と風の精霊を、見事にかぎつけた。直接精霊に語りかけることで、魔術を発動させたのだ。
マロニエールは、感心を通り越して放心している。
「きょ、教会で初めて見た時、夢でも見ているのかと思ったのですが……現実だったのですね……」
アシュリーのもとに、生徒たちが殺到する。
「アシュリーちゃん、すごい!」
「ルナにもおしえてー!」
と、賑やかな喧噪の中、震えるわななきが上がった。
「な、なんで……なんでっ……!」
「エル?」
気付くと、エルが拳をにぎっていた。
「なんで呪文となえないんだよ! おかしいだろ!」
「おかしくないよ、精霊さん、こたえてくれるもん」
「だって、そんなの習ってない! 先生も、父さんも母さんも、じいさんもばあさんも、呪文が基本中の基本だっていってた! たくさん呪文を覚えたら、父さんみたいに強くなれるからって! だからオレ、どんなに難しい呪文も覚えたのに! 魔術の歴史だって、がんばって勉強したのに! そんな、そんなっ……!」
「エル……」
アシュリーが眉を下げる。
おれは、エルの背に手を添えた。
「!」
エルがおれを見上げた。黒い瞳が潤んでいる。
呪文の一節を聞いただけで分かった。この子がどんなに努力を積み重ねてきたか。どんなに真剣に、魔術と向き合ってきたか。
「大丈夫、エルがこれまで一生懸命学んできたことは、無駄じゃない。ぜんぶ、ちゃんと繋がってる。だから、これから一緒に勉強しよう。もっともっと、強くなろう」
「っ……!」
エルはぐいと目尻を拭った。
アシュリーが走ってきて、その手を握る。
「!? なっ、なん……っ!」
「あしゅりもね、パパみたいな魔術は、まだできないんだ! パッてあらわれて、すぐきえちゃうの! 魔術、ぼうそうさせちゃったこともあるし……だから、いっしょにべんきょうしよ、エル! じゅもんのこと、れきしのこと、たくさんおしえて!」
「っ……!」
エルは真っ赤になって「し、しかたねーなっ!」と叫んだ。
その黒髪をわしわしと撫でる。大丈夫、エルの集中力と努力をもってすれば、すぐにコツを掴むはずだ。
と、マロニエールが口を開いた。
「ケント先生。今日は、先生が指導してみませんか?」
「え、いいんですか?」
「はい! 私も、ケント先生がどんな授業をするのか――ケント先生には、世界がどんな風に見えているのか、ぜひ聞きたいのです!」
大事な授業をこんな新米教師に任せてくれるとは、ありがたい。
ちゃんと教えられるか分からないが、精一杯、誠実にやろう。
生徒たちが、期待に満ちた目でおれを見上げる。
おれは彼女たちを見回すと、足下の芝生を指さした。
「じゃあ今日は、地面に寝転がってみようか」
「えっ?」
乾いた芝生には太陽が降り注ぎ、絶好の日和だ。
戸惑う生徒たちに笑って、アシュリーに問う。
「アシュリー、土の精霊を探してくれるか?」
「うん!」
アシュリーは真剣に空気のにおいをかいでいたが、やがて駆け出すと、金色の粒子が立ち上っている箇所を指さした。
「ここ! ここに精霊さんがいっぱいいるよ!」
「えっ、えっ?」
「精霊が?」
「どこ? 見えない……」
困惑する生徒たちを連れて、アシュリーの元に行く。
「じゃあ、みんなで寝てみよう」
エルは「服がよごれる……」とちょっとばかり渋っていたが、アシュリーが大の字になったのを見て、しぶしぶ仰向けに寝転んだ。
「どうだ?」
「つめたくて、しっとりしてるぅー」
「ちょっと甘いにおいがするっ!」
「……ざらざらする」
「うん。正解はないから、感じたままでいいぞ」
生徒たちはくすぐったそうに笑う。
目を閉じたり、土を撫でたり、めいめいに楽しんでいるようだ。
「その感覚を、よく覚えて。みんながいつも感じているにおいや、音。肌触り、味……もしかしたら、それは、精霊の気配かもしれない」
「!」
途端、子どもたちの目が輝く。
本来、精霊と子どもは、とても近しいものだ。
魔術は、四元素を司る精霊に魔力を捧げることで発動する。魔術士は、術のイメージを練り、精霊に伝え、魔力を捧げて契約を結ぶ。呪文はそれを簡略化するためのツールであり、必須ではないのだ。精霊と絆を結ぶことさえできれば、呪文がなくても魔術は発動する。そして多感な時期にある子どもは、精霊との親和性が高い。
とはいえ、事はそう簡単ではない。
呪文を用いず、自由でとらわれない魔術を使うには、三つの過程が必要になる。
「まずは、精霊の存在を感じられるようになること。そして、魔力の質と量を上げること。最後に、正確なイメージを練れるようになること」
生徒たちが首を傾げる。
おれは笑った。
「つまり、いま大事なのは、よく食べて、眠って、集中力をつけることだ」
「それならできそぉー」
「あとは、精霊の気配を知るために、外でたくさん遊ぶこと。いつもと違う色、におい、温度に敏感になること。それぞれの方法で、精霊の気配を感じるんだ」
おれなら視覚、アシュリーなら嗅覚。
きっと、人の数だけ、精霊との関わり方がある。
「精霊が多い場所は、おれやアシュリーが分かるから。少しずつ、精霊の気配を覚えていこう」
「はい!」
 




