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さみしい夜には



 そしてマロニエールが最後に案内してくれたのは、


「ここが、ケントさんの新しいおうちです!」

「……これは」


 先の尖った三角屋根。質素な壁にはめられたステンドグラスに、控えめに輝く十字架。


「礼拝堂、ですか」

「はい! 実は、男性教師の寮がまだ完成していなくて、男性教師の方々には学校の空き教室に寝泊まりしてもらっているのです。礼拝堂にはステラもいますので、お互い安心かと思いまして!」

「ありがとうございます」


 住み慣れた教会を離れて、少し寂しい思いもあったけれど、どうやらなじめそうだ。


「それでは、何か困った事がございましたら、いつでもお呼びください!」


 マロニエールに礼を言って分かれる。


 と、引っ越し作業の途中だったのか、礼拝堂からアシュリーとステラが出てきた。


「あっ、パパ! すごい、せんせーのせいふくだー!」

「まあ。とてもかっこい……素敵です」

「ありがとう」


 礼拝堂が気に入ったのか、リルが「わん! わん!」と辺りを駆け回っている。


「ごあいさつ終わったのっ?」

「ああ。今日から礼拝堂で寝泊まりするから、よろしくな」


 ステラが「あら、まあ」と目を見張る。


「そうなのですね! まあまあ、大変、どのお部屋がいいでしょうか。ケントさんは遅くまで読書なさって、時々寝過ごしてしまいますから……あっ、奥に日当たりがよさそうなお部屋がありましたね、そこにしましょう。空気を入れ換えて、ベッドを整えなくては……」


 ステラはいそいそと奥へ引っ込んだ。


 嬉しそうな鼻歌が聞こえてくる。


「遅くなってごめんな。手伝うよ」

「わーい! お引っこし、あとちょっとだよ! ノアとフィオはね、寮のおへやのほうに行ってるよ!」


 ノアやフィオと合流し、馬車から荷物を下ろしては、それぞれの部屋に運び込む。


「これ、だれのぬいぐるみかなぁ?」

「あっは、本多すぎ! ウケるー!」

「わぁ、野菜がいっぱい! これ、どこにはこべばいいんですかぁーっ!?」


 アシュリーたちの友達の力も借りて、巨大花を日当たりの良い花壇に植え、ヤギと馬を用意してもらった小屋に移し、手頃な木にハンモックを吊す。


 みんなが手伝ってくれたおかげで、引っ越しは夕食前に終わった。


「みんな、ありがとう。助かったよ」

「いーよぉ! ゆうごはんのおかずくれたら、ゆるしてあげるっ!」


 みんなで食堂に移動し、おいしい夕飯に舌鼓を打つ。


 約束通り、ルナにポークソテーを切り分けると大喜びして、リルにやっていた。


 それにしても、怒濤の一日だった。


 五日前、教会を出たことが随分遠く感じる。


 明日から授業だ。早く寝ないと。


 みんなで食堂を出る。


 学園の敷地は広い。


 蛍花の明かりが灯る中、子どもたちを寮の前まで送っていく。


 アシュリーは友達と手を繋いで楽しそうだ。


 久々の寮生活、積もる話もあるだろう。


「あんまり夜更かししないんだぞ」

「消灯後に出歩いてはだめですよー。見つかったら、ココ先生からおしりぺんぺんの刑ですからねー」

「はーい! フィオ、いこう!」


 手を振って分かれる。


 扉が閉まる寸前、何か言いたそうなフィオと目が合って、おれは思わず足を踏み出し――


 扉が閉まった。


「…………」

「ケントさん」

「……ああ」


 ステラの微笑みに促されて、歩き出す。











 その、夜。


 精霊学の教科書を読んでいると、ベッドで丸まっていたリルが頭をもたげた。


「どうした、リル」


 言ってから気づいた。


 泣き声だ。


 闇に、か細くしゃくり上げる声が響く。


 明かりを持って、部屋を出る。


 廊下の隅に、立ち尽くす影があった。


「ひ、ぅ……」


 小さな影に燭台を掲げる。


 それは、寝間着姿のフィオだった。


「フィオ」


 優しく呼びかけると、涙に濡れた顔が、おれを見上げた。


「……ぱぱ……」

「おいで」


 手を差し伸べると、フィオはくしゃりと顔を歪めて抱きついてきた。


 震える背中を撫でる。


「どうした? 眠れないか?」

「…………」


 応えないフィオを見上げて、リルが心配そうに鼻を鳴らした。


 おれは身を屈めると、冷え切ってしまった身体を抱き上げた。


「寒かったな。ステラにホットミルクを作ってもらおう。大丈夫、すぐに温まるよ」






 小さなキッチンに、ことことと優しい音が響く。


「もうすぐできますからね」


 ガウンを羽織ったステラが微笑む。


 どうやらステラもまだ寝ていなかったらしく、事情を説明するとすぐに用意を整えてくれた。


「楽しみだな」


 隣に座ったフィオが、こくりとうなずく。


 ミルクが温まるのを待っていると、扉の向こうから微かな物音が聞こえた。


「ん?」


 立ち上がってノブを握る。


 扉を開くと、ふたつの影がなだれ込んできた。


「わ、わ!」

「わぁーっ!」

「ノア、アシュリー」


 重なるように倒れ込んでいるのは、寝間着姿のノアとアシュリーだった。


「あ、え、えーと……」


 気まずそうなノアに笑いかける。


「どうした、寂しくなったか?」

「ちっ、ちがうよ、そんなんじゃないよ! ただ、ちょっと気になったっていうか……」

「フィオが、れいはいどうにいくのが、みえたから!」

「心配してきてくれたんだな」


 アシュリーは「うんっ!」と元気よくうなずき、ノアは悄然と眉を下げた。


「……おしりぺんぺんの刑かな?」

「ちゃんとおれから説明しておくよ」


 ステラがふふっと喉を鳴らし、鍋を火から下ろした。


「さあ、お待たせしました。たくさん作りましたから、みんなで飲みましょう」


 温めたミルクにはちみつをたっぷり入れて溶かし、五人分のカップに注ぐ。


「熱いから気をつけるんだぞ」


 フィオは頷くと、息を吹きかけて、カップに口を付けた。


 とたん、不安そうだった顔がふわりと綻ぶ。


 夢中で飲み始めるのを見て、おれも口を付けた。


 甘い香りが鼻に抜ける。はちみつとミルクが溶け合ったまろやかな甘みに、ほんのりスパイシーな香り。優しい舌触りに、心までほどけていく。さすがはステラ特製ホットミルクだ。


 と、ノアがふふっと笑った。


「ん。どうした?」

「なんだか、教会にいたころと変わらないなって思って」

「そうだな」


 温かな光景に目を細める。


「あ、そういえば、裏庭の花壇、自由に使ってもいいって」

「まあ。何を育てましょうかねぇ。フィオはなにがいいですか?」

「……コスモス」

「いいですね。花壇いっぱいに咲くピンクのコスモス、きれいでしょうねぇ」

「ねえパパ、ベアちゃんとローザちゃん、ここのこと、ちゃんとわかるかなぁ?」

「一応地図も渡してあるけど、どこかに目印を結んでおこうか」


 オレンジ色の明かりと、寝間着姿の子どもたち。温かくて甘いミルクと、他愛ない会話。


 まるで教会を出発する前まで、時が戻ったみたいだ。


 リルがフィオの膝にのぼって、頬を舐める。


 フィオはくすぐったそうに身をすくめた。


「フィオ」


 柔らかな金髪を撫でる。


「大丈夫。どこにいたって、おれたちは変わらないよ。ずっとフィオの味方だ。いつでも遊びにきていいから。眠くなるまで、こうしてみんなでお話をしよう」


 アシュリーも身を乗り出す。


「フィオ。またあつまろうね! あしたもあさっても、いっしょだからね! だいじょうぶだよ!」

「…………」


 フィオは応える代わりに、リルをぎゅっと抱きしめて笑った。




 それからおれたちは、道中見かけたきれいな鳥の話や、窓から見える星座の話、花壇に植える種の話をした。


「そういえば、みんな、銀星祭では何をするんだ?」


「あのね、あしゅりのクラスは、錬金術でアイテムをつくるよ!」


「ぼくはまだ知らないなぁ。もう決まってるみたいなんだけど、みんな教えてくれないんだよね」


「……なんでも、いい」


 やがて船をこぎ始めたフィオたちを寮に送って、ステラと帰り道をたどる。


 真っ暗な寮を見上げて、ステラが小さく呟いた。


「フィオは、もともとクラスでも無口で……きっと、寂しくなってしまったのでしょうね」


 そうだな、と頷く。


 住み慣れた教会を離れ、見知らぬ庭、真新しい校舎、賑やかな友だちとの再会。そしておれたちと居る時とはちょっぴり違う、アシュリーとノアの表情。


 繊細なフィオには、きっとあまりにめまぐるしすぎた。


 けれど、きっと大丈夫だと、そんな確信があった。この煉瓦造りの校舎が、夜空をどっしりと背負う寮が、そして同じ未来を目指すクラスメイトが、あの子たちの新しい居場所になっていく。


 ――彼女たちと出会って三ヶ月、あの教会が、おれたちの生きる場所になっていたように。


「…………」


 ふと、教頭に聞いた話を思い出す。


 学園の足下をじわじわと削り取っていく、危機。


 子どもたちのために、おれにも何かできることがあればいいのだが……






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