ケント、うっかりワイバーンを倒す
顔を上げる。馬に跨がった黒服の女性が、おれたちを見下ろしていた。
あっ、これたぶん警察的な人!
下手するとしょっぴかれるやつ!
「あっ、いや、違っ……! この子は娘のようなもので、邪な意図はまったくなく……っ!」
しかし、おれとはしどろもどろに言い訳するおれとは裏腹に、黒服の女性は泰然と頷いた。
「ああ、子どもはすぐに脱ぎたがるものだからな」
そうなの!? 女の子も!? 女の子もそうなの!? 子ども怖い!
アシュリーが全裸になろうとするのをやめて、スカートの裾をつまんだ。
おすましスイッチが入ったらしい。
「こんにちは、きけいたいさま。あしゅり、パパとデートなの」
「そうか。今日は最高のデート日和だからな。
ですが、どうぞ風邪を召さないようお気をつけください、レディ?」
気障なほほえみが、グッとくるほど様になっている。
この女性、下手な紳士より紳士だぞ。
女性はひらりと馬から下りた。艶やかな黒髪が風になびく。
「申し遅れた、私はアマン騎警隊の副隊長、スイレンという」
濃紺の瞳が、おれが抱えている大量の荷物にちらりと向けられた。
「急に声を掛けてすまない。あまり見ない顔だと思ってな。かといって、旅人ではないようだが……」
この荷物を見ればそうなるか。どうやらこの街の警察は優秀らしい。
「初めまして、ケント・オーナリーです。
自給自足に憧れて、最近、丘の上の教会に引っ越してきたんですけど、どうしても食料が足りなくて、買い出しに」
「そうか。よろしく、ケンタくん」
「ケントです」
「ここはいい街だろう」
スイレンはふわりと笑うと、濃紺の瞳で、公園でくつろぐ人々を見渡した。
「自然は豊かだし、商業も栄えている。人々は温厚で犯罪も少ない。これ以上に住みよい街はないよ」
「魔物に襲われることはないんですか?」
この世界に着てからずっと気になっていたのだ。
ダンジョンに巣くう魔物は冒険者が出向いて討伐するとして、街を襲う魔物に対しては誰がどう対処しているのだろう。
「アマンは小さいが、優秀な騎警隊員が揃っているからな。ワイバーンでもこないかぎり――」
まるでその言葉を遮るようにして、耳障りな雄叫びが空気を揺るがした。
『ギィェェェエェェェエ!』
空を見上げる。馬車ほどもある竜が、上空を舞っていた。
スイレンが声を上げる。
「ワイバーン!」
えええええええ!? 言ったそばからワイバーン来ちゃった! 噂をすれば影的な!?
慌ててアシュリーを後ろに庇う。
悲鳴が渦巻く中、スイレンが細剣を抜き放った。
「さがれ!」
は虫類独特の細い瞳孔が、おれたちをとらえる。
ワイバーンは大きく翼を打つなり、一直線に降下してきた。
「騎警隊副隊長の名にかけて、誰一人として傷付けさせはしない!」
迫る牙を、スイレンが正面から迎え撃つ。
高い金属音が弾けて、ワイバーンが再び上空へ舞い上がった。
すかさずスイレンが馬の鞍から弓矢を取る。
上空に狙いを定めた瞬間、ワイバーンが羽ばたき、強風が吹き付けた。
「くっ……!」
スイレンがよろめく。
ワイバーンの両眼がこちらを見据えた。
と思った次の瞬間には、身をうねらせて降下してきた。
大きく開いた顎が迫る。
「パパ……!」
アシュリーが裾にしがみつく。
瞬間、おれはとっさに魔術を発動させていた。
噴水に向けててのひらをかざす。
水が生き物のように盛り上がる。
大蛇と化した水流がワイバーンを飲み込み、地面に叩き付けた。
『ギギィッ……!』
一瞬動きの止まったワイバーンを、スイレンの剣が貫く。
『ギイエェェェェエェエエエェェ!』
胸の悪くなるような断末魔を残して、ワイバーンが黒い霞と化した。
固唾を呑んで見守っていた市民たちから、わっと歓声が沸く。
「スイレンさま、お見事!」
「アマンの守護神! 騎警隊の誉れ!」
しかしスイレンは剣もしまわず立ち尽くしたまま、まっすぐにおれを見ていた。
「今のは……」
やべっ……!
とっさに目を逸らすが、スイレンは信じがたいとでも言いたげに口を開いた。
「魔術を、使ったのか……? 無詠唱で?
……大陸の南、ヴィラリシアに大賢人が現れたと聞いたが、君はもしや……?」
「い、いや、人違いで――」
「あのね、パパはすごいの! じゅもんをとなえないで魔術を――もがっ!」
おれはとっさにアシュリーの口を塞ぐと、大声を上げた。
「い、いやー、まさか噴水がワイバーンを押さえつけるなんて、びっくりしたなー! アマンの噴水すごいなー!」
スイレンは底知れない目でじっとおれを見ていたが、やがて視線を緩めると、ひらりと馬に跨がった。
「ここで逢ったのも何かの縁だ、ミスター・コント」
「ケントです」
「困ったことがあったら、遠慮なく言ってくれたまえ」
「ありがとうございます」
「それと、最近物売りを装った物騒な輩が出没しているらしい。くれぐれも気を付けたまえ。それでは、いい一日を」
スイレンは軽やかな笑みを浮かべると、馬を駆って去って行った。
ほっと胸をなで下ろす。
追及されなくて良かった、またヴィラリシアの二の舞になるところだった。
そういえば、アシュリーにはちゃんと言ってなかったな。
アシュリーの前にしゃがみこんで、視線を合わせる。
「アシュリー。おれが魔術を使えることは内緒だ、いいな?」
「どうして? パパはすごいのに! あしゅり、パパがせかいいちの魔術士だってこと、みんなに知ってほしいよ!」
こんなにきらきらした目で世界一なんて言われたのは初めてで、思わず口元が緩んでしまう。
「ありがとう、アシュリー。その気持ちは嬉しいけど、これは秘密なんだ」
「ヒミツ?」
「そう。おれとアシュリーとステラとノアとフィオだけの秘密だ」
「どうして? ヒミツがばれると、どうなっちゃうの?」
「……おれがとっても困るかなぁ」
今面倒ごとに巻き込まれれば、アシュリーたちとの平穏な生活も一変してしまう。
それはどうしても避けたかった。
するとアシュリーは頬を上気させて、何度も頷いた。
「まかせて、パパ。あしゅり、ヒミツをまもるの、じょうずだから。あしゅり、パパとのやくそく、まもるよ」
「ありがとう」
頭を撫でる。
そのあと、公園をあとにして、本屋に寄った。
魔術についての本を片っ端から見ていく。
どの本も、教会の書庫にあった本と同じく、精霊と人間との歴史や、呪文を中心に載せていた。
「うーん。やっぱり呪文ありきなのか?」
魔術に関する本を、何冊か厳選して購入する。
他にも剣術や召喚術の基礎を記した本、魔力の研究書や歴史書を手に取った。
今のおれには、知らないことが多すぎる。
この世界の勉学を学ぶのは、もちろんおれ自身のためでもあるが、アシュリーたちのためでもあった。
アシュリーは魔術士、ノアは剣士、フィオは召喚士の卵だ。
学園が復興したときに困らないよう、魔術や剣術、召喚術の基礎くらいは理解して、教えられることならば、できる限り教えてやりたかった。
と、ふと極彩色の表紙が目に入った。【オススメ新刊!】とポップがついている。
「『食ハンター・オルダーの最強レシピ本』……?」
ついでにラインナップに加える。
なにしろ子どもたちは育ち盛りだ、ステラがいてくれてるとはいえ、おれも栄養について学ばなければ。
「あれ?」
気付くとアシュリーの姿がない。
「アシュリー?」
おれは慌てて辺りを見回した。