激昂
「こう天気の悪い日が続くと、洗濯ができなくて困りますねぇ」
窓の外に目を剥けて、ステラが眉を下げる。
空はどんよりと曇って、今にも泣き出しそうだ。
ここの所、珍しく曇り空が続いていた。
子どもたちも、家遊びに飽きて退屈そうだ。
窓辺に置いてある二つの包みを見て、アシュリーがぽつりと呟いた。
「ベアちゃんとローザちゃん、こないね」
いつか温泉で買ったおみやげを、いつ二人が来ても渡せるように、窓辺に飾っているのだ。
「そうだなぁ」
ベアトリクスたちが来なくなって、もう一ヶ月が経とうとしていた。
「アシュリー。同じ絵本、買ってこようか?」
あの日、ベアトリクスに渡した絵本は、アシュリーのお気に入りだった。ことあるごとに読んでくれとせがんでいたくらいで。
けれど、アシュリーは首を振った。
「ううん、いいの。あのえほんをよんでベアちゃんとローザちゃんが、いっぱいすてきなきもちになってくれたら、うれしいなぁ」
優しい笑顔に、胸が温かくなる。
おれは、いつか屋根裏で見つけた羊皮紙を開いた。
女の子が二人、楽しそうに笑いあっている絵。ピンクの髪をした子、その背中からは黒い翼が生えていて――
その時、リルが空を見上げた。
「わん、わんわん!」
「!」
弾かれたように視線を上げる。
遠く、灰色の空に、見慣れたシルエットが浮かんでいた。
「ベアちゃんだ!」
アシュリーを先頭に外に出る。
「ひさしぶり、ベアちゃん!」
「うん……」
ようやく訪れたベアトリスは、けれど力なく俯いたまま、目を合わせなかった。
やがて、背中に隠していた本を差し出す。
「あの、これ……」
「あっ」
アシュリーの絵本は縁が焼け焦げ、つぎはぎだらけになっていた。
「ごめん、あの……ごめん……」
ベアトリクスがうつむく。
今にも泣きだしそうなベアトリクスに、けれどアシュリーは、笑って首を振った。
「いーよ! それよりねー、今日はベアちゃんに渡すものがあるんだよ! ね、フィオ!」
フィオが、包みを差し出す。
「これ……」
「え?」
「この前、温泉に行ってきたんだ。そしたら、可愛い木彫りの人形を見つけて」
微笑むノアの肩を、ステラが抱いた。
「みんな、ベアちゃんが来るのを待っていたんですよ」
「ぁ……」
「あけてみて~」
ベアトリクスはおそるおそる包みを解いた。
中から出てきたのは、七体の小さな人形だった。それぞれ動物の形をしている。
アシュリーが嬉々として説明する。
「これね、あしゅりとフィオだよ。この大きいのがパパ。これがノア、これがステラ。それでね、こっちは、ベアちゃんとローザちゃん!」
「……っ」
ベアトリクスが声を詰まらせる。
アシュリーがその手を握った。
「ねえ、きょうはなにしてあそぶ?」
しかしベアトリクスは首を振った。
「あ、お、オレサマ、もう行かなきゃ……」
ベアトリクスが言いかけた時、上空から冷たい声が降り注いだ。
「やっぱりここだった」
「!」
いつの間に来ていたのだろう、空中にローザが浮かんでいた。
凍てつくようなまなざしで、ベアトリクスを睥睨する。
「あんた、全然こりてないのね。魔族としての誇りを捨てるつもり?」
「ご、ごめんなさい……」
「ほら、行くわよ」
ローザがベアトリクスの腕を引っぱる。
ベアトリクスがよろけて、アシュリーが「あっ」と声を上げた。
「ろ、ローザちゃん、なんで……」
戸惑うアシュリーを、ローザは冷たく見下ろす。
「ベアトリクスは魔族なの。あんたらなんかと違うの。二度と遊びにこないわ」
「そんな……!」
ローザは答えることなく、鼻を鳴らして飛び立とうとし――ベアトリクスが包みを持っていることに気付いたようだった。
「何よ、それ」
「お、おみやげだって……」
「ふん、くだらない」
ローザはそれを取り上げると、放り投げた。
「あっ!」
人形たちが、ぬかるんだ地面に落ちる。
必死に拾うベアトリクスを見下ろして、ローザは眉をひそめた。
「何してるの? そんなもの捨てて、さっさと帰るわよ」
「い、いやだっ!」
「……なんですって……?」
ベアトリクスは、人形を抱いたままうずくまる。
「あ、アシュリーたちが、オレサマのために買ってくれたんだ……!」
ローザの奥歯がぎしりと凶暴な音を立てた。
「っ、こんなにバカだとは思わなかった! こうなったら力尽くで連れて帰ってやる!」
伸ばされた手を、おれはとっさに掴んでいた。
「っ、触らないで!」
「ベアトリクスは、ここにいたがってる」
「そんなわけないじゃない! こいつは魔族よ! 低俗なあんたたちとは違うの!」
「魔族でも人間でも、好きな人と一緒にいたいって気持ちは同じじゃないか」
おれの言葉に背中を押されるようにして、ベアトリクスが顔を上げる。
「……っ!」
ローザをまっすぐに見つめるその瞳には、これまでにない強い光が浮かんでいて。
ローザの顔が怒りに染まった。
「どいつもこいつも……っ! もういい! ぜんぶぜんぶ、終わりにしてやる!」
ローザが跳び退るや、両腕を広げた。
「ケルベロス!」
呼び声に応えて、虚空に黒い裂け目が走る。
冷たい予感が背筋を貫いて、剣を抜き放つ。
「っ、さがれ!」
子どもたちを下がらせると同時、深淵から、巨大な犬が飛び出した。
『グルルル……』
太い鉤爪を備えた四肢。黒い炎のように逆立つ毛並み。そして、三つの頭。瞳には禍々しい赤をたたえ、牙の隙間からよだれがしたたり落ちる。
誰かが「ひっ……!」と悲鳴を上げた。
「ケルベロス……!? なんで……!」
ベアトリスが蒼白な顔で叫ぶ。
「あいつは魔王さまのペットで、魔界の番犬なんだ! 人間の力じゃ絶対かなわない! 早く逃げなきゃ……!」
刹那、真っ赤に燃える三対の瞳が、いっせいにおれたちをとらえた。
『グルォオアアアアアアア!』
地獄の番犬が咆哮を上げて躍りかかる。
おれは頭からかみ砕かんと迫る牙を、剣で弾いた。
『グガァアァァァアア!』
「く……!」
「パパ……!」
体勢を整えるより早く、三つの首が交互に襲い来る。
重たい一撃に剣がきしむ。子どもたちを逃がそうにも隙がない。
「こいつは、手ごわいぞ……!」
今までの魔物とは格が違う。背中に冷たい汗が流れた。
 




