VS巨大ムカデ
怖気立つような光景だった。
平べったい身体はぬらぬらと黒く光り、その側面から無数の足が生えている。おぞましい口が、獲物を求めるように左右に開いた。
『ギギギギギ、ギギ……!』
デスピードはおれたちに飛びかかることなく、何かうかがっている。
ノアがはっと顔を引き攣らせた。
「蛹を狙ってる……!」
『ギギ、ギギギギ、ギギ……』
デスピードは蛹に狙いを定め、ゆっくりと首をもたげた。
「このっ……!」
ノアが地を蹴って切りかかる。
首を狙った一撃を、デスピードはうっとおしそうに避けた。
「こっちだ!」
背後に回ったノアを追って、デスピードが向きを変える。
蛹から意識を逸らすことには成功した。
だが――
「くっ……!」
虫への恐怖に囚われているのか、動きが硬い。
蠢く足に剣を弾かれて、ノアがよろめく。
「ノア!」
おれはノアに駆け寄ると、壁の裏に引きずり込んだ。
「はぁ、はぁっ……!」
「いいか、ノア。正面から立ち向かうだけじゃだめだ」
アイスブルーの目を覗き込む。
「ノアは勇敢だけど、挑むことも逃げることも、同じくらい大事なんだ。冷静に当たりを見回して、戦局を見極めるのも、剣士として大事な素養のひとつだ」
「っ……!」
ノアは一瞬悔しそうに顔を歪めたが、おれを見上げた。
「どうすればいいの?」
「地形を利用するんだ」
「地形を……」
デスピードはおれたちを探してうろついている。
おれはノアと頷き合うと、その頭目がけて石を投げつけた。
『ギギ、ギギギギ……』
デスピードが振り返る。
その視界の真ん中に、ノアが躍り出た。
「こい!」
『ギギィィィィ!』
デスピードが無数の足を動かして突っ込んでくる。
ノアは軽やかにステップを踏んで避けた。
一撃を加えては、深追いすることなく後退する。
『ギィィ、ギィィィ……!』
怒り狂ったデスピードがノアを追う。
「いいぞ、そのまま誘い込むんだ!」
何かあったらいつでも発動できるように、魔術のイメージを練りながら走る。
やがて、沼に出た。
ノアが沼を背に、デスピードに退治する。
『ギキィィィ!』
デスピードが巨体をうねらせ、ノアに躍りかかった。
「っ!」
ノアは横に跳んで避けると、デスピードの背中めがけて剣を叩き込んだ。
『ギィィイィィッ!』
デスピードが沼に転がり落ちる。
『ギギ、ギギ、ギ……!』
のたうち、這い上がろうとしたところを、ノアの細剣が首を狙って一閃した。
『ギ、ギ……!』
断末魔を最後に、頭が跳ね飛ぶ。巨体が崩れ落ち、黒い霞と化した。
「はぁっ……はぁ……」
「よくやった、ノア!」
「う、うん!」
ハイタッチして、蛹の元に戻る。
蛹は虫たちに囲まれて、静かに横たわっている。
ノアはその柔らかな表面に手を当てた。
「ケント、この子、連れて帰ろう」
「いいのか? どんな虫が出てくるか、分からないぞ?」
「でも、ここにいたら、別の魔物に襲われちゃうよ」
予想通りの答えに、「そうだな」と笑う。
「おれが背負うよ」
「ううん、大丈夫」
ノアが蛹を背負う。おれは縄を使って固定してやった。
集まってきた虫たちが、心配そうにざわめく。
「大丈夫だよ、任せて」
ノアは笑うと、蛹を背負い直した。
馬車に乗って、家路をたどる。
ステラたちに事情を話して、蛹を教会に運び込んだ。
淡く輝くそれを、空き部屋のベッドに横たえる。
「おおきいねー!」
「きれい……」
「何の蛹でしょうね?」
五人で蛹を見守る中。
縦に、ピッ、と薄い線が入った。
「あ……!」
亀裂が少しずつ広がり、その隙間から、しおれた羽根と、華奢な背中が覗く。
やがて水面から浮かび上がるようにしてゆっくりと現れたのは、白い少女だった。
透き通るような肌に、純白の髪。羽根は濡れ、力なくうなだれている。
少女は白いまつげをまたたかせ、ぼんやりとノアを見つめた。
「わー、きれいー!」
アシュリーとフィオが目を輝かせ、ステラが息を呑む。
「蝶の亜人ですね」
「…………」
少女は微かに身じろいだ。
羽根がかすかに震えるが、まだ湿っていて飛べないようだ。
ノアがおれを見上げる。
「ねえ、ケント。この子が飛べるようになるまで、ぼくが面倒みていい?」
「ああ。困ったことがあったら、すぐに相談するんだぞ」
「ありがと」
白い少女に、ノアがそっと囁く。
「ここは、安全だから。飛べるようになるまで、ゆっくり休んで」
「…………」
少女はノアを見つめて、ひとつまばたきをした。
しゃべらない少女を、ノアはかいがいしく世話を焼いた。
亜人についての本を調べて、湯に溶かしたはちみつを与え、羽根についた繭の残滓を拭う。
ノアに見守られながらたっぷり眠って、少女は少しずつ体力を蓄えていった。
そして、三日目の朝。
少女は空を振り仰いだ。
羽根は透き通り、小柄な体を繊細な体毛が覆っている。
森を見つめ、羽根を羽ばたかせる。
ノアが小さく問う。
「行っちゃうの?」
少女は濡れた瞳で、ノアを見つめた。
応える代わりに、身を乗り出す。
そのままノアの頬に、ふわりとキスをした。
「!」
ステラが窓を開け放つ。
少女はゆっくりと立ち上がると、外へと飛び立った。
まるで礼をいうようにこちらを見つめてから、森へ去って行く。
「がんばったな、ノア」
「……うん」
フィオが、ノアの袖を引っぱった。
「むしさん、すきになった?」
「うん、少し。でも、またあの巨大ムカデみたいなのに出会ったらと思うと、自信ないな」
頬を掻くノアに、おれは笑った。
「おれは、弱点があるからって、ノアが弱いとは思わないよ」
「え?」
「あの子を守ろうとして、巨大ムカデに立ち向かえただろ?」
「……うん」
ノアはふわりと微笑み――そのとき、開け放した窓から、黒い虫が飛び込んできた。
ベッドの上にぽとりと着地したのは、黒光りする甲と長い触角をもつ、……【ヤツ(ゴキブリ)】で。
「ひ――」
ノアの悲鳴が弾ける前に。
「いやあああああああああああああああああああああ!」
ステラの絶叫が響き渡った。
ステラは近くにあったポールハンガーを振りかぶる。
「黒キ悪魔……滅スル……!」
「す、ステラ、落ち着いて!? 落ち着いてーっ!」
おれとノアは、阿修羅と化したステラを必死に引き留めたのだった。