虹色の繭
用紙を取って、窓口に行く。
シャルロッテはてきぱきと受け付けてくれた。
「手続きは以上になります。お気を付けてどうぞ」
「ありがとうございます」
「それと、クエスト自体はEランクなのですが、デスピードの目撃情報もございますので、お気をつけください」
「デスピードって?」
小声でノアに尋ねると、蒼白な顔で教えてくれた。
「Dランクの魔物だよ。別名、巨大ムカデ……うねうね……足が百本……」
「分かりました、ありがとうございます」
シャルロッテに礼を言い、魂が半分抜けているノアを回収して、ギルドをあとにする。
馬車に乗って街を出た。
クエストの前に、どの程度虫がだめなのか、確認しておいたほうがいいだろう。
「ノアは、虫全般が苦手なのか?」
「全般って?」
「たとえば蝶々は?」
「……大丈夫」
「トンボは?」
「う……大丈、夫……」
「蛾は?」
「ダメ」
「蟻」
「ダメ」
「ゲジゲジ……」
「ダメ!!」
一口に虫嫌いといっても、虫によって程度があるらしい。
山を越えると、少しずつ暑くなってきた。
町で馬車を降り、地図を手に入れる。
「ここから先は徒歩だな」
その日は宿に泊まり、翌朝、おれたちは件の遺跡へと向かった。
ノアを連れてジャングルに分け入る。蔦が絡み合い、頭上で見慣れない鳥が奇妙な声で鳴く。
湿度が高くて息苦しい。歩いているだけでじっとりと汗ばむ。
ところどころ、切り出された岩のような塊が転がっていた。
「大丈夫か、ノア」
「うん」
「もし無理そうなら、早めに言うんだぞ」
「分かった」
言葉少なに頷くが、その表情は硬い。
見たこともない蛾が、目の前を横切る。やはりジャングルだけあって虫が多い。
ノアは一歩歩くごとに、「ひっ! ひぃっ!」としゃっくりみたいな音を立てていた。
しまいにはぐずぐずと鼻を鳴らし始める。
「うう……ケント……ケントぉ……」
「大丈夫、大丈夫」
半泣きになりながらも、引き返す気はないらしい。気丈な子だ。
生い茂る草を踏み越えて歩くこと、半時ほど。
ついに、ジャングルの中から遺跡が現れた。
「ここか」
相当昔の遺跡なのだろう。
天井は崩れ落ち、壁はかたむいて、石の床からは木や草が生えている。
「そこ、崩れてるから気を付けて」
「うん」
亀裂を飛び越え、がれきを乗り越える。
したたる汗を拭った時、崩れかけた壁から、ぬっと黒い影が現れた。
出てきたのは、馬ほどもある蟻だった。
『ピギィィイッ!』
「い、イヴィルアント!」
黒々とした塊が、おれたち目がけて突進してくる。
「ひぃぃぃぃっ!?」
ノアは目を閉じ、闇雲に剣を振り回した。
その頭に食らいつこうとする蟻を、剣で弾く。
『ピギーッ!』
「ノア、敵をしっかり見るんだ!」
「だ、だって……!」
その時、視界の隅で何かがぞわりと蠢いた。
振り返る。
子犬ほどのダンゴムシが数十匹、うぞうぞと群がろうとしていた。
「わああああああああああああ!?」
ノアは絶叫するなり、思いっきりジャンプしておれの頭にしがみついた。
「ちょ、ノア、前が見えない!」
「わああああ、こないで! こないで! やぁぁだぁぁぁぁぁっ!」
その後も、巨大芋虫やらカブトムシやらカタツムリやら、ありとあらゆる魔物が襲いかかってきた。
ノアはその度に半狂乱で剣を振り回しては、最終的におれにしがみついてきた。
「噂通り、すごい数だな」
核を拾いながら呟く。
返事がない。
振り返ると、ノアはしょんぼりと肩を落としていた。
「ごめんなさい……」
「いいよ。それより、大丈夫か?」
おれはともかく、ノアの精神的な負担のほうが心配だ。
ノアは小さく頷いた。
その頭に手を置く。
「とにかく、クエストを終わらせないとな。先へ進もう」
「うん」
魔物の気配に神経を研ぎ澄ましながら、遺跡探索を続ける。
沼の横を通りかかった。もとは地下だったらしい。水が溜まって、緑色に濁っている。
「深そうだね」
「ああ」
頷きながら、たかってくる羽虫を払う。水源が近いせいか、虫が多い。
遺跡にはところどころ花も咲いていた。
可憐な花に、色鮮やかな蝶々がとまっている。
おれはノアを手招きした。
「ほら、ノア」
「うう……?」
「大丈夫、ちょうちょだから」
促すと、ノアは薄目で蝶々を見遣った。
「すごいな、この羽根の模様。カラフルだ」
「……うん」
「バッタも、教会で見かけるのよりも大きいな」
「う……そう、かも……」
ノアの元来の好奇心と観察眼が発揮されて、ちょっとずつ落ち着きを取り戻していく。
「それにしても、さすがジャングル、すごい虫の数だな」
「うん。しかも、どんどん増えてきてるよう、な……――」
ノアが言葉を呑んで後退る。
蝶々や蟻、ダンゴムシたちが、おれたちのまわりに集まりつつあった。
「え、な、なに!? なんで!?」
明らかに尋常ではない数だ。
戸惑うおれたちをよそに、虫は次々に群がってくる。
「わああああ! こないでぇ!」
「ノア、ノア、落ち着いて。大丈夫だ」
虫たちはおれたちに殺到するものの、一定の距離を保っていた。
「これは……」
ノアもおそるおそる目を開く。
「……なんだろう……?」
おれたちの周囲で、おろおろと右往左往している。まるで助けを求めているようだ。
虫たちはやがて遺跡の先へと進み始めた。
「ついていってみよう」
「う、うん」
ノアも頷いて、虫を踏まないよう神経を研ぎ澄ませながら踏み出す。
列を成す虫たちのあとを、慎重に追った。
その先に目をやって、ノアが呟く。
「……光ってる……?」
顔を上げる。
壁の向こう、淡い光がこぼれていた。
壁に背をつけて、そっと覗き込む。
もとは部屋だったのだろう、崩れ落ちた一角に、なにか横たわっている。
「蛹……?」
ノアがささやく。
それは、巨大な繭だった。
周囲を舞う小さな羽虫たちが、木漏れ日を浴びて金色に光っている。
近付いてみる。
それはやはり、虫の蛹のようだった。大きさはノアと同じくらいある。フォルムは縦長の球状で、虹色に光っていた。
「きれい……」
透明な輝きに導かれるように、ノアがそっと手を差し伸べる。
「……動いてる」
おれも触れてみた。
手のひらから、心地良い温かさと、とくとくと微かな脈が伝わってくる。
孵化が近いのかもしれない。
「なんの蛹だろう」
と、集まっていた虫たちが、一斉に散開した。
「な、なに……!?」
『ギギ、ギギギ……』
不気味な音に、はっと振り返る。
――壁の裏から、巨大なムカデが姿を現した。
ノアが蒼白な顔で叫ぶ。
「デスピード!」




