ノアの弱点
その日、おれはノアと一緒に、踏み台を作っていた。
「アシュリーとフィオが使うなら、あんまり高すぎないほうがいいよね」
「そうだな。本棚の二、三段目に手が届くくらいでいいよ」
ノアと相談しながら、木材を切って磨いていく。
ニスが乾くのを待って、次の工程に取り掛かろうとした時。
「わああああああああああああ!?」
隣で絶叫があがったかと思うと、おれは勢いよく押し倒されていた。
「うおっ!」
仰向けに投げ出された身体に、ノアがまたがる。
「やだ、やだやだ、やだああああああああああ!」
「ど、どうしたんだ、ノアっ……!」
ノアはおれに馬乗りになったまま、普段の冷静さが嘘のように、半泣きで喚いた。
「ケント、とって、とってぇ!」
「え、な、なに……」
よく見ると、髪にコガネムシがからまっている。
「わあああああ、これとってぇ~!」
「わ、分かったから、動かないで」
「ひ~」
細い銀髪を引っ張らないよう気を付けながら、コガネムシを取る。
「もう大丈夫だぞ」
声をかけるまで、ノアはびくびくと身を竦ませていた。
「うぁ」
よほど怖かったのか、ノアはおれに乗ったままぐすぐすと鼻を鳴らした。
「あ、あり、ありが……」
「ノア、もしかして、虫が苦手なのか?」
「ひょぁ!? そっ、そそそそそんなこと、なっ、なななっ……!」
その時、悲鳴を聞きつけたのか、ステラが駆け付けた。
「どうなさいました?」
ステラは、ノアに押し倒されているおれを見てびっくりしたようだが、おれの手元を見て微笑んだ。
「あら、コガネムシ」
「ステラは平気なんだな、虫」
「ええ、【ヤツ】以外は」
「ヤツ?」
ステラは「ええ」と頷いた。
「あの、黒光りする、【ヤツ】のことです」
目が完全に据わっている。なるほど、NGなのはゴキブリだけらしい。……そういえば、入浴の最中におれに助けを求めたこともあったな。
コガネムシはおれの手を歩き回っていたが、やがて飛んで行った。
「大丈夫か、ノア?」
ノアは両手で顔を覆っている。
「うう、バレた……虫が苦手だってバレた……」
なんでも器用にこなす子だと思っていたが、どうやら虫はダメらしい。
「もう生きていけない……」
「そんなに気にすることないんじゃないか? 苦手なもののひとつやふたつ、誰にだってあるし……」
「でも、恥ずかしいよ! もう大人なのに、虫が苦手だなんて!」
十二才は、おれからすると充分こどもだが、完璧主義のノアは、弱点がある自分が許せないのだろう。
「ううぅ」
ノアは力なく唸っていたが、勢いよく顔を上げた。
「ねえケント、む、む、虫嫌い、克服したい……っ!」
「でも、無理して克服しなくても……」
「魔物の中には、虫型のやつもたくさんいるんだよ! これじゃあ冒険者になったときに困るよ!」
「うーん」
ノアは剣士を目指している。確かに、苦手は早い内に克服しておいたほうがいいのかもしれない。
「じゃあ、特訓するか」
「ありがとう!」
「その前に、降りてもらってもいいか?」
「あ、ご、ごめんなさい」
次の日の朝、おれはサラダを口に運びながら切り出した。
「今日は、ノアとクエストに行ってくるから」
「何泊くらいになりますか?」
「遅くても明後日には帰ってくるよ」
メイプルシロップたっぷりのフレンチトーストを食べながら、アシュリーが手を上げる。
「あしゅりもいく!」
「ごめんな、今回は連れて行けないんだ」
「なんでー?」
ノアはたぶん、虫が苦手なことはあまり知られたくないだろう。
なんと応えようか迷っていると、ステラがアシュリーにいたずらっぽく耳打ちした。
「ケントさんは、ノアとデートなのですよ」
「「ぶっ」」
ノアとそろって噴き出す。
アシュリーは「えーっ!」と目を丸くする。
「ノア、いいなー、いいなー」
「ね~。うらやましいですよね~」
「ふぃおも、ぱぱとでーと、したい……」
ノアはしどろもどろになって取り繕う。
「ご、ごめんね、今回はぼくが借りるけど、帰ってきたら、順番で行こうね!」
「うん!」
「ふふ、楽しみですねぇ」
支度を調えると、アシュリーたちに見送られて、教会を出る。
「いってらっしゃーい!」
馬車でアマンへと向かいながら、ノアに話しかける。
「まずは、虫系のモンスターを倒すことを目標にしようか」
「……デート……ケントとデート……」
「……ノア?」
「そっ!? そうだね、いい天気だね!」
「ええと、そうだな」
曇りだけど。
アマンに着くと、ギルドに入った。
掲示板の近くに立っていた冒険者に尋ねる。
「虫系のモンスターがいるダンジョンって、ありますか?」
戦士らしき男は自信満々に、とあるクエストを示した。
「おお、それならここはスゴいぞ! デカいのからキモいのまで、うじゃうじゃ出る!」
場所は、南のジャングル地帯にある、遺跡。
依頼内容は、【魔物退治】と書いていた。遺跡にはびこる魔物たちを駆除してほしいという依頼だ。ランクもEと、ちょうどよさそうだ。
「どうだ、ノア……」
振り返る。
ノアはすでに涙目だ。
「……やめるか?」
「な、なんで!? ぜんぜん怖くないよ! デカいのからキモいのまで、うじゃうじゃ出るんだってさ、楽しゅみ!」
盛大に噛んでいる。
……やってみてだめそうなら、無理せず帰ってこよう。