ヤギ騒動
思えば、予兆はすでにあったのだ。
さかのぼること、一か月前。
本を読んでいると、リルがけたたましく吠えるのが聞こえた。
どうやら小屋のほうからだ。
「どうしたのでしょう」
ステラが立ち上がり、様子を見に行く。
数分後、ステラが慌てて駆け込んできた。
「ケントさん!」
「どうした」
「ヤギが……!」
飼育小屋に駆け付ける。
中に入ったおれが見たものは、
「……光ってるな」
「はい、光ってます」
ヤギが、金色に発光していた。
光の反射というレベルではない。それはもう、まばゆいばかりに輝いている。
慌てて獣医学の本を調べてみるが、該当する症状はなかった。
小屋に戻って詳しく観察してみるも、光っていること以外に異常は見られない。むしろむしゃむしゃと草を食べて元気そうだ。
とりあえず、病気の類ではなさそうだ。
「まあ、様子を見てみよう」
「はい」
そして、それから三週間後――つまりさかのぼること、一週間前。
ヤギは時折思い出したように光りながらも、それ以外は特に問題なく、平穏に暮らしていたのだが――
「ケントさん!」
ステラが駆け込んできた。
「ヤギが……!」
急いで小屋に駆け付ける。
おれが見たのは、金色に光り、さらに、一角獣もかくやという見事な巻き角をはやしたヤギの姿だった。
「……立派な角だな」
少なくとも昨日までは、こんな角は生えてなかった。
ステラも心配そうに首をかしげる。
「急にどうしたのでしょう?」
「うーん」
本を読むが、やはり該当する症状はない。
おれは分厚い本を閉じて、結論をくだした。
「……成長期、かな」
「……成長期、ですか」
ヤギは相変わらず素知らぬ顔で草を食んでいる。
ステラはその様子をじっと見つめていたが、自信なさげに口を開いた。
「……あの、ケントさん」
「ん?」
「この子、メス……ですよね?」
「……そうだな」
ミルクが採れるのだから、そうだろう。
「では、なぜ角が生えたのでしょうか?」
「…………」
おれはしばし考え込んで、顔を上げた。
「成長期、かな」
「成長期、ですか」
そして、今朝。
「ケントさん! ヤギが……!」
二度あることは三度ある。
小屋に飛び込む。
ヤギの下半身が魚になっていた。
「……???」
言葉をうしなって立ち尽くす。
何度目をこすっても、状況は変わらなかった。ヤギの下半身が尾びれになっている。それはもう、太くてしなやかな、見事な尾びれだ。
ステラが困ったように頬に手を当てる。
「小屋を掃除しようとして、間違えて水をかけてしまい……そしたら、こうなって……」
「……水陸両用化したのか」
ヤギは特に気にする様子もなく、前足と尾びれで器用に歩きながら、むしゃむしゃと草を食べている。ちなみに今日も絶好調で光っているし、角まで輝いている。
湖畔で素振りをしているノアを呼ぶ。
「ノア、ちょっと来てくれ」
「? うん」
ヤギを一目見たとたん、ノアはつぶやいた。
「カプリコーンだ」
「カプリコ……?」
「神話に登場する、ヤギの幻獣だよ。雌雄同体で、下半身は魚なんだ」
これまでなら声を上げて驚いていただろうが、異常現象に慣れてきてしまったらしく、ノアは淡々と説明する。
ステラが眉をひそめた。
「一か月前まで普通のヤギだったのに、いったいどうして……」
「ケントが召喚したからじゃない?」
「……あ」
思い出した。
このヤギは、まだ召喚の仕組みを理解していなかったときに、しぼりたてミルクが飲みたいからと軽い気持ちでおれが召喚したのだ。
召喚は、動物との契約。つまり、召喚された動物は、そこにとどまっている間、召喚者の魔力を吸い続けることになる。
「それで幻獣化したのか」
立派な尾びれに、リルがじゃれついている。
「ケントさんといると、摩訶不思議な体験がたくさんできますねぇ」
「うーん」
転生時にもらったスキルは、『願望反映』だけのハズなんだけどなぁ。
ヤギは特に困っている様子はないが、問題は誰かに見られた時だ。
万が一、カプリコーンを飼っていることを誰かに知られたら……
そのとき、アシュリーの声が聞こえた。
「だれかきたよー!」
「!?」
教会を訪れたのはスイレンだった。
ステラを小屋に残して、出迎える。
「やあ。元気にしているか」
「おかげさまで」
スイレンはひらりと馬から降りた。
「警らのついでに、足を延ばしてみたんだ。何か、困ったことはないか?」
今絶好調でこまっているのだが、「大丈夫です」と笑顔でかわしておく。
スイレンの足元で、リルが鳴いた。
「わん!」
「おや。犬を飼い始めたのか。言ってくれればいいものを」
スイレンはしゃがみこんで、リルのおなかをわしゃわしゃとなでる。
「ははは、こやつめ、こうしてくれるわ。このぅ、これでもか、これでもか」
セリフは物騒だが、可愛がってくれている。
どうやら動物が好きらしい。
まさかこの黒い毛玉が、伝説の魔狼フェンリルだとは思わないだろう。
「それにしても、ここはいつ来てものどかだな」
スイレンは目を細めて、庭を見回し――妖花を見てぴたりと止まる。
「……あの花は?」
「あー、よく分からないんですが、気づいたら生えてて」
「……そうか」
と、小屋からヤギの鳴き声が聞こえてきた。
「メエエエエエ」
スイレンが小屋を振り返る。
「そういえば、ヤギを飼っているのだったな。元気か?」
「そ、それがちょっと、風邪をひいているみたいで……!」
「それは大変だ」
スイレンは迷うことなく小屋に足を向けた。
「か、風邪が移りますよ!」
「大丈夫だ、人間には移らないよ。これでも騎馬隊の副隊長なのでな。獣医学の知識も多少ある。少し診てやろう」
止める暇もなく、スイレンは大股に歩くと、小屋に入った。
万事休すか……!?
思わず息をのんだが、ヤギの下半身には布がかけられていた。
「……!」
ステラが緊張した面持ちでうなずく。どうやら機転を利かせてくれたらしい。幸い、光もおさまっている。
「こ、こんにちは、スイレンさま」
「これは、奥方。ご健勝でなにより」
スイレンはぎこちなく挨拶するステラに微笑みかけると、ヤギをじっくりと観察した。
「ほう、これはまた、立派なツノだな。どれ」
スイレンが布をつかみ、一気に剥いだ。
「あっ!」
おれとステラは思わず声をあげ――しかし現れたのは、何の変哲もないヤギの姿だった。
「……? ? ?」
目を白黒させるおれたちをよそに、スイレンは仔細にヤギを観察した。
「ふむ、目やにはなし。鼻水も出ていないし、毛づやもいい。どうやら風邪はほとんど治っているようだな」
「そ、そうですか、それはよかった」
「これだけの角をもつオスはそういないぞ。大切にするといい」
スイレンは手を挙げて帰っていった。
「……メスだもんな」
そう声をかけると、ヤギは「メエエエエエ」と鳴いた。
ステラが胸をなでおろす。
「どうやら、乾くと元に戻るようですね」
おかげで助かった。
「そのうち、珍獣動物園が開けるかもね」
ノアの言葉に、はは、と乾いた笑いが漏れる。
フェンリルに巨大花にカプリコーン。
どうやら、にぎやかな日々は続きそうである。




