邂逅
妖花が出るという、くだんの山。
近くの町で一泊すると、おれたちはさっそく森に入った。
「おおきくて、うごく、おはなさん……」
フィオは小さな足でぐんぐん前に進む。
謎の巨大花という存在に、どうやら期待値が高まっているようだ。
秋の気配の濃厚な森は、甘い土のにおいがした。
と、大きな川が行く手を阻む。
「ぱぱ……」
「よし、しっかりつかまって」
フィオを抱えて川を渡る。
「地図によると、このへんなんだけどな」
地図を手に、あたりを見回す。
と、
「あら、また会ったわね」
軽やかな声がした。
振り返ると、五、六人の集団がいた。
先頭の若い女性の姿が、豊かな髪を払う。
「覚えてる? 生物学者のカナンよ」
ホットパンツに、露出のあらわな服。目を細めたあだっぽい笑顔には見覚えがあった。以前、黄金蝶という幻の蝶を探しているときに知り合ったのだ。
「お久しぶりです。調査ですか?」
「ええ。このあたりで、変わった植物が発見されたと聞いてね」
「妖花のことですね。ちょうど、おれたちも探してて」
「あら、そうなの。見つけたら、ぜひ教えてほしいわ」
フィオと顔を見合わせる。
「見つけたら、いったいどうするんですか?」
「そうね、生物学者としては、採取して、研究対象にしたいところね」
研究対象……つまり……?
「切り刻んで、薬漬けにして、徹底的に調べてやるわ」
「「!?」」
硬直するおれとフィオをよそに、カナンは楽しげに舌なめずりする。
「植物なら、味も気になるところね。実はなるのかしら? 意志があるという話だけれど、痛覚はあるのかしら? ぜひ確かめなきゃ」
「……!」
フィオが怯えているのに気づくと、カナンは「冗談よ」と片目をつむった。
「私たち、あくまで『生物』学者ですもの。切り刻んだり、食べたり、そんな野蛮なことはしないわ?」
「カナン、そろそろ行こう」
仲間に声をかけられて、カナンは「ええ」と答えた。
「じゃあね、素敵なパパさんに、かわいい召喚士さん。また会いましょう」
色気たっぷりの投げキッスを残して、華麗に去っていく。
「……フィオ、大丈夫か?」
フィオは今にも泣きそうな顔で震えていた。
「お、おはなさん、みつける……!」
「そうだな」
妖花の正体はわからないが、とりあえずカナンたちより先に見つけたほうがよさそうだ。
おれたちはそれから数十分、森をさまよった。
道を外れて探してみたが、それらしき姿はない。
「困ったな」
途方に暮れていると、一匹のちょうちょが、フィオのそばにやってきた。
「ふあ……」
まるで誘うようにフィオの周囲を舞う。
やがて森の奥へと飛んで行った。
「行ってみよう」
ちょうちょのあとを追って、森を分け入る。
その時。
「! フィオ」
慌ててフィオを引き戻した。
木陰に隠れて、声を潜める。
「あれを」
おれの視線を追って、フィオが上を見上げた。
「ふわぁ……」
そこには、一輪の巨大な花がそびえていた。
「すごいな……」
小さくつぶやく。
ようやく遭遇したそれは、おそろしく大きかった。背丈は木々に迫り、二階建ての家くらいある。太い茎の先に、花が一輪咲いていた。色はピンクでかわいらしいが……このサイズになるとすごい迫力だ。花びらだけでフィオと同じくらいありそうだ。
シャルロッテの話では、意志があるという話だったが……
花が、ゆっくりと頭(?)をもたげた。
茎や葉を伸ばし、大きく伸びをする。それだけでは飽き足らず、膝(?)を回したり、脇(?)を伸ばしたりしている。
「……運動してる……」
花は胴体をひねるようにして振り返り――ハッ! と身震いした。
おれたちに気づいたらしい。
「やばい……!」
逃げるより早く、妖花がぐわりと枝葉を振り上げた。
「!」
緊張が走る。
剣の柄に手を滑らせた瞬間、フィオが飛び出した。
「あっ、フィオ!」
止める暇もなく、フィオが茎に抱き着く。
『!?』
硬直する花を見上げて、きらきらした顔でいうことには、
「おはなさん、おおきい……! かっこいい……!」
とどめにほおずりされて、花はあわあわと葉っぱを上下させた。
「……慌ててる……」
フィオはきょろきょろとあたりを見回した。
「ひとりなの……?」
妖花がまるでうなだれるようにしてうなずく。
「おはなさん……ひとりで、さみしかったね……いいこ、いいこ」
フィオが、ぎゅっと茎を抱きしめる。
『…………』
妖花はしばらくじっとフィオを見下ろしていたが、やがて葉っぱがおそるおそる伸び、その頬をなでた。
その時、鋭い声が飛んだ。
「見つけたわ!」
振り返る。
カナンたちの姿があった。
カナンが怪しく輝く瞳で妖花を見つめる。
「アメージング! なんて変わった花なの! おとなしく研究させなさい!」
地響きとともに、研究魂に取りつかれた研究者たちが殺到する。
フィオがおろおろとうろたえた。
「に、にげなきゃ……」
この花を、なんとかカナンたちの手から守らなければならない。
だが、どうやって……!
歯を食いしばった瞬間、妖花がフィオを抱きあげた。
「!?」
妖花は、花弁を震わせて力み――子供の腕ほどもある根が、ぼこっ、ぼこっと引っこ抜ける。
「ちょ……!?」
自由になった妖花は、フィオを抱えたまま猛ダッシュで逃げ出した。
「動けるのかよ!?」
慌てて後を追う。
「あっ、逃げるわよ! 確保! 確保ーっ!」
カナンたちが追ってくる。
妖花は、木々の間を全力疾走する。すごいスピードだ。
「ちょ、待っ……!」
デッドヒートを十分ほど繰り広げたころ、妖花がついに立ち止まった。
行く手には崖がそびえている。
「はぁっ、はぁっ……!」
「ふふふ、追い詰めたわよ……!」
息を切らせたカナンたちが、妖花をじりじりと取り囲む。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、まずは穏便に話し合おう」
「大丈夫、悪いようにはしないわ、怯えないで。ちょっといじくったりめくったり齧ったりするだけだから……」
そういう形相がすでに怖い。
妖花はかがみこんで何か拾うと、カナンめがけて投げつけた。
「きゃっ!」
カナンに当たりそうになったそれを、すんでのところでキャッチする。
「っ、と……なんだ、これ?」
それは青い小瓶だった。
よく見ると、妖花の足元には、同じような瓶が山積みになっていた。青いものだけでなく、緑のものもある。
さらに、その近くには、妖花を小さくしたような可憐な花が咲いていた。
「おまえ、もともとここに生えてたのか」
『…………』
妖花がうなだれる。
おれは手元の小瓶に目を戻した。
「マジックアイテムか?」
呟くと、カナンがうなずいた。
「瓶の色と形状からして、おそらく、『力の水』と『叡智の水』ね」
聞いたことのない薬だ。
「本来は、『力の水』は筋肉を増強させる効果が、『叡智の水』は知能を上げる効果があるのよ。けど、どうやら失敗作のようね」
積みあがった小瓶を見やる。
不法投棄というわけか。
カナンは腕を組んで、妖花を見上げた。
「つまりこの子は、自然発生的なものじゃなくて、アイテムによる突然変異ってわけね」
おそらく、もとに戻る方法を探して、商隊を襲っていたのだろう。
「元の花に戻れるのか?」
「ええ。薬が抜ければ、普通の花に戻るわ。何日かかるか分からないけれど」
葉っぱに抱かれたフィオが、花びらを優しくなでた。
「もうだいじょうぶだよ……」
妖花は力なくフィオを下ろした。
フィオと二人、瓶を片付ける。
カナンたちも手伝ってくれた。
大きな袋をもらって、瓶を詰めていく。
数十分後、あたりはすっかりきれいになった。花たちが風に吹かれて、まるで喜んでいるようだ。
嬉しそうな妖花を見上げて、カナンがうなる。
「さて、どうしましょう」
「連れて帰らなくていいのか?」
「私たちが追及するのは、自然の神秘なの。自然発生的な突然変異ならまだしも、アイテムによる変異となると、研究の対象にはならないわ」
それならよかった。
カナンはため息まじりに首を振った。
「とはいえ、このままここに放置するわけにはいかないわね」
誰かに見つかったら、また騒ぎになるだろう。
おろおろする妖花に、フィオが抱きついた。
「いっしょに、くらす……」
妖花の花弁が淡く色づいた。葉っぱが、フィオの髪をなでる。
「そうだな」
なにしろ、うちには幻獣フェンリルまでいるのだ。ちょっと大きな花が加わるくらい、どうってことはない。
小さなピンクの花たちが、さわさわと嬉しそうに揺れた。
「さようなら。優しいパパさんに、優しい召喚士さん」
「また、どこかで」
おれたちは、手を振ってカナンと別れた。
フィオは巨大花と手をつないで、楽しそうに山道を歩く。
……なんてシュールな絵面なんだ。
大きな花と手をつないで歩くなんて、まるで童話の世界だが、フィオのひたむきな愛が、妖花の心を開
いたのだ。そう思うと、なんだか嬉しかった。
人目をかわしながらの旅なので少し時間はかかったが、無事にアマンについた。
「ここで待ってられるか?」
街の外でそう尋ねると、フィオと妖花はこくりとうなずいた。
急いで報告書をまとめ、ギルドに提出する。
シャルロッテは一通り目を通すと、ひとつうなずいた。
「なるほど、アイテムの不法投棄による突然変異と」
報告書をファイルにはさみながら、ほう、と息を吐く。
「助かりました。不法投棄の業者についても、こちらで調べ、しかるべき処置をとらせていただきます」
「お願いします」
「それで、その妖花ですが……」
「うちで預かることにしました」
「えっ」
「本人(?)も、もとに戻りたがってるみたいなので、花が元に戻るまで、内緒にしておいてもらってもいいですか?」
シャルロッテはちょっと沈黙して、笑いながら首を振った。
「本当に、おおらかというか、懐が深いというか、……不思議な方ですね」
カウンターに小さな袋が差し出される。
「こちらが報酬になります」
重かったので覗き込んでみると、驚くほどの金貨が入っていた。
「こんなにいただけませんよ」
「特殊なクエストでしたので、これが相場です。本当にありがとうございました」
おれは礼を言って、ギルドをあとにした。
フィオと合流して、教会に帰る。
出迎えたステラは、妖花を見るなり、「まあ」と目を見開いた。
「うちで預かることになったんだ」
巨大花はぺこりと頭(?)を下げた。
「あら、礼儀正しいお花さんですねぇ」
「一応、花壇に植えるか」
花壇に連れて行くと、妖花はしばしあたりを探っていたが、やがてお気に入りの場所を見つけたらしい。文字通り根をおろした。
頬(?)に手(?)をあててくねくねしている。
どうやら喜んでいる……らしい。
「おおきいねー」
「しばらくすれば普通の花に戻るみたいだから、それまで仲良くしてやってくれ」
「うん! おはなさん、クッキーたべる?」
アシュリーはさっそく打ち解けていた。
フィオも満足そうだ。
くねくね動く花を見上げて、ノアがつぶやく。
「……なんか、どんどん謎の生き物が増えていくね」
「そうだな」
そしてこの先、さらに不思議な生き物が増えていくことを、この時のおれたちは想像もしていなかっ……いや、正直なところ、ちょっとだけ想像していた。