温泉パニック!
宿を出て、大通りに向かう。
石畳の道の左右に、屋台が並んでいた。
「今日はおまつりなの!?」
目を輝かせるアシュリーに、ステラが笑う。
「違うのよ、ここはいつもこうなの」
「えっ、まいにちおまつりなの!? なんで!?」
まったりとした雰囲気の中にも、温泉街特有のにぎやかさがあった。
時折吹き上げる蒸気に、リルがじゃれつく。
街を彩る看板やのぼりが、気分を高揚させた。
「ねえステラ! あしゅり、おんせんたまご食べたい!」
「わ、はちみつアイスだって。なんだろ、気になる」
「おまんじゅう、おいしそう……」
温泉街というのは、なんでこんなにわくわくするのだろう。大人のおれでも目移りしてしまう。
アシュリーはぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「ぜんぶ食べたーい!」
「もうすぐ夕ご飯だから、一人ひとつだけにしましょうね」
アシュリーはノアとフィオを呼びよせ、ひそひそと相談する。
「みんなでわけっこしよ。あしゅり、おんせんたまごね」
「フィオ、おまんじゅう……」
「じゃあぼくはアイスにするよ」
お目当ての食べ物を手に入れると、一口ずつ交換して食べはじめる。
「おいしー!」
微笑ましく見守っていると、アシュリーがアイスのスプーンを差し出した。
「はいパパ、あーん」
「ん」
と、土産を売っている店に差し掛かった。
「あっ、みて、かわいい!」
アシュリーが駆け寄る。
犬や猫、ウサギなど、動物を模した小さな木彫りの人形が、店頭に並んでいた。
「パパ、ベアちゃんとローザちゃんに、おみやげかってもいい?」
「ああ」
自分たちもめいっぱい楽しみながらも、ちゃんと友達のことも考えられる、そのやさしさが嬉しい。
子どもたちは歓声を上げると、ああでもないこうでもないと選び始めた。
「どれがいいかなー?」
「ねこちゃん、かわいい……」
「手作りだから、顔が少しずつ違うね」
やがて、決まったらしい。
「これはベアちゃんに! こっちは、ローザちゃん!」
選んだ人形を包んでもらう。
「わーい! ぱぱ、ありがとー!」
アシュリーはほくほくしている。
「ローザちゃん、よろこんでくれるかなぁ?」
「きっと喜んでくれるよ」
温泉街をたっぷり堪能して、部屋に戻る。
「けっこう歩いたな」
お茶を飲んでくつろいでいると、従業員がやってきた。
「お夕飯をお持ちしてもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
しばらくするとお膳が運ばれてきた。
アシュリーが目を輝かせる。
「おこめだー!」
「わあ」
用意された食事は、限りなく日本食に近かった。小さな鍋がついていて、目の前で火をつけてくれる。
「沸騰したら食べ時ですので」
ごはんを盛ると、さっそく手を合わせた。
「いただきます!」
どれもおいしい。優しい味付けが、歩き疲れた体に染みる。
普段はあまり食べられない、魚料理もたくさんあった。
フィオはちまちまと一生懸命魚の骨を除いていたが、やがて途方に暮れておれを見上げた。
「……ほね」
「どれ、取ってやろうな」
子どもたちは、生まれて初めて食べる料理に、一口ごとに感動していた。
ノアがふと目をあげる。
「ケント、なんだか懐かしそうだね」
「そうか?」
ステラもうなずいた。
「そういえば、建物の作りやお料理にもあまり驚かれていなかったようですが……このあたりにお住まいになっていたことがあるのですか?」
「うーん、そうといえばそうかな……」
リルも、特別に用意された肉を食べて満足そうだ。
おなかいっぱいになると、ステラが嬉しそうに手を叩いた。
「さあ、お風呂に入りますよ」
「わーい!」
いよいよこの旅の目的、温泉だ。
みんなで大浴場に向かう。
「おれはこっちだから」
男湯ののれんをくぐろうとすると、フィオがはっしと手を握ってきた。
「? ?? ?」
なんだか呆然とすらみえるフィオの声を、アシュリーが代弁する。
「なんでいっしょじゃないのー?」
「男の人と女の人で分かれているのですよ」
ステラが説明してくれたが、アシュリーは残念そうだった。
「じゃあ、またあとで」
手を振って分かれる。
脱衣所に入ると、まだ早い時間帯のせいか、おれ以外に客はいなかった。
身体を洗い、湯船につかる。
暑すぎない温度で、心地よさが指先までいきわたる。
畑仕事で荒れた手に、お湯がしみた。
ふと、外に続く扉があることに気づいた。【この先、露天風呂】と書いてある。
「露天風呂があるのか」
湯船から上がって、外に出る。
石造りの湯船にたっぷりとお湯が張られ、湯気が立っている。その向こうには豊かな森が見え、左側には仕切りが立っていた。隣は女湯だろう。
内風呂よりもちょっと熱めだ。
ゆっくりとお湯につかる。
「ぁー……」
思わずうなるような声が出てしまった。
豊かな森を眺めながら、ほうと息を吐く。
スローライフ、ときどき温泉。社畜時代からは考えられない、理想の生活だ。あー、生きてるなぁ、と幸せな実感が押し寄せた。
と、仕切りの向こうから聞きなれた声が聞こえてきた。
「わー! おそとのおんせんだー!」
「露天風呂っていうらしいよ」
「きもちい……」
「癒されますねぇ」
アシュリーたちも露天風呂に来たらしい。穏やかな水音と会話から楽しそうな様子が伝わってきて、ほっこり和む。
と、アシュリーの声がした。
「あっ、カブトムシだ!」
「わああああああああああ!?」
突如としてノアの絶叫と、激しい水音が聞こえてきた。
「の、ノア、どうしたのーっ!?」
「落ち着いてください……!」
おれは思わず腰を浮かせた。
「だ、大丈夫か!?」
いったい何があった!?
そう問いかけるよりも早く、ただごとでない物音がして、仕切りが大きく揺れ、ばーん! と勢いよく倒れてきた。
「うおっ!?」
間一髪で跳び退る。
仕切りが湯面を叩いて、盛大に飛沫が上がった。
「な、なんだ!?」
やがて飛沫がおさまって、視界が開け――
「あ……?」
倒れた仕切りの向こう、ステラたちが立ち尽くしていた。
仕切りの上に倒れこんだノアも、きょとんとしているステラもアシュリーも、マイペースに温泉につかっているフィオも、もちろん裸で……――
アシュリーがぱっと顔をかがやかせる。
「あっ、パパー!」
おれは速やかに目をつむると、手を突き出した。
「よし分かった、三分間目を閉じてるから、その間に中のお風呂に戻りなさい。いい子だから」
「? はーい」
その後、従業員を呼んで仕切りを直してもらった。謝ると、もともと外れやすい仕切りだったらしい。これを機に丈夫なものに代えますよと笑ってくれた。
脱衣所を出ると、ステラたちが待っていた。
ノアがうつむく。
「あの、ごめんなさい……」
「いいよ。それより、似合うな」
四人は浴衣に着替えていた。
それぞれ柄も色も違って、とても華やかだ。アシュリーとフィオはかわいらしく、ノアは少しおとなっぽい。ステラは髪を上げているのもあって、色っぽかった。肌はいつも以上につやつやとして、まるでゆでたまごみたいだ。
アシュリーが嬉しそうにくるくると回る。
「パパ、どう?」
「可愛いよ」
「えへへ。パパもすてきだよー」
おれも一応浴衣に着替えたのだが、昔から和服が似合わないのがコンプレックスで……でも、そういってもらえると嬉しい。
みんなで部屋に向かう。
石けんの香りが鼻をくすぐった。
「それにしても、何があったんだ?」
歩きながら問うと、ノアは気まずそうに目をそらした。
「えっと……ちょっと、つまずいて……」
「そうか」
直前に聞こえた、カブトムシ云々とは関係ないのか。
「もう布団敷かれてるかな」
「私、お布団に寝るの初めてです」
ステラがわくわくしている。いつもしっかりしているだけに、素っぽくてかわいい。
部屋に戻り、襖を開ける。
予想通り、すでに布団が用意されていた。
歓声をあげたアシュリーが、首を傾げる。
「あれ? おふとん、みっつしかないよー?」
「え?」
アシュリーの言う通り、布団は三つしか敷かれていなかった。
四人と一人でお願いしてたはずだが……もしかして……?
ある予感を覚えながら、奥の襖をそっと開ける。
別室に、布団が二つ、くっつけて敷いてあった。
「おっふ!」
うしろから覗き込んだステラが、「まあ」と目を見張る。
宿の人が、『夫婦と子どもたち』という解釈で敷いてしまったのだろう。
「い、いま移動させるから……!」
慌てて布団を移動させようとした手を、ステラが止めた。
「ステラ?」
顔をあげると、ステラはいたずらっぽくほほ笑んだ。
「せっかくですから、みんなで寝ましょう」
「え」
「さんせー!」
まごまごしている間に、ステラたちが協力して布団を五つ並べる。
「寝る順番どうしようか?」
「あしゅりねー、みんなのとなりがいいよ!」
「それは物理的に難しいですねぇ」
結局、ステラ、ノア、アシュリー、フィオ、おれの順番で落ち着いた。
みんな並んで布団に入る。
まだ興奮冷めやらないのか、アシュリーが布団の中でもぞもぞと身じろぎした。
「ねえ、明日もおんせんはいろうねー!」
「そうだな」
嬉しそうな声に、来てよかったと、心から思う。
おれは幸せな感覚に包まれながら、目を閉じた。
明日も明後日も、好きなことをしながら、好きな人たちと生きていく。