人間と魔族
ローザは肩をすくめた。
「ま、キスとか愛とか、あたしたち魔族からすれば無駄なことばっかりだけどね。そんな子供だましの作り話までしちゃって。人間ってほんっとくだらな~い」
魔族は感性が違うのだろうか。でも、ベアトリクスは好きみたいだけどな、こういう話。
アシュリーが首をかしげる。
「でも、えほんはたのしいよ。いろんなおはなしがあるよ」
「よかったら、一緒に勉強してみるか? 字が読めると便利だぞ」
「えっ、いいの?」
ベアトリクスがぱっと顔を輝かせる。
しかし、ローザが遮るように口を開いた。
「いやよ、めんどくさい。人間の文化なんて、時間のムダ」
「ぁ……」
ベアトリクスがうつむく。尻尾が力なくうなだれていた。
元気のないベアトリクスを気遣ったのか、ノアが優しく尋ねた。
「ねえ、今日は何して遊ぼうか?」
「あ、えっと、えっと……」
アシュリーが手を上げる。
「おえかきしよう!」
「でも、いろえんぴつ、ない……」
「大丈夫! これで描けばいいよ!」
アシュリーが、手ごろな枝を高々と掲げた。「おおー」と歓声が上がる。
子どもたちは枝を拾ってきて、思い思いに地面に絵を描きはじめる。
「ベアちゃんとローザちゃんも!」
「あ、えっと、うん!」
ベアトリクスはローザの様子をうかがっていたが、やがて駆け出した。
「わー、ベアちゃん、じょうず!」
「そ、そうか? もっと大きい絵だって描けるぞ!」
ベアトリクスは嬉しそうにすると、飛び立った。
低空飛行しながら絵を描く。
「わあ、すごい、すごーい!」
「わん! わん、わん!」
ローザは近くの切り株に座って、楽しそうなベアトリクスをぶすっと眺めている。
「一緒に遊ばなくていいのか?」
「いい。つまんなそうだもん。はしゃいじゃって、ばかみたい。だいたい、色鉛筆なら屋根裏に――」
「ん?」
ローザははっと口をつぐんだ。
ごまかすように、ぱっと笑顔を浮かべる。
「それよりっ、ローザ、おにーちゃんのこと、たくさん知りたいなぁ?」
「ん?」
ローザは大きな猫目を眇めて、矢継ぎ早に質問を始めた。
「おにーちゃんは、いったいどこで生まれたの? 今まで何をして生きてきたの? すごいチカラをもってるのに、どうしてこんなところで暮らしてるの?」
「すごいチカラ?」
「だって、火竜を倒すくらいの魔術を使えるんでしょ?」
「そんなの、ただの噂だよ。おれはしがない一般人で……」
「一般人が、魔族を前にして、こんなに落ち着いてるわけないと思うんだけどな~?」
それは、まあ、おれが元異世界人だから、魔族に対する危機感が薄いのだろう。
……最初に出会った魔族がベアトリクスだということも、大いに関係している気はするが。
その時、拍手が聞こえてきた。
「ベアちゃん、すごーい!」
どうやら絵が完成したらしい。
アシュリーたちに褒められて、ベアトリクスは照れている。
そんなベアトリクスを、ローザはつまらなそうに眺めた。
「……アレ、あんたのカゾクってやつ?」
「ん?」
「あの三人」
「ああ、いや、」
おれが答える前に、ローザはばかにするように首を振った。
「人間って、血のつながりで、一緒に暮らしたり、助け合ったり、慰めあったりするんでしょ? たまたま同じ場所に生まれたってだけで、くだらない」
「血は繋がってないよ」
「え?」
「アシュリーたちは、焼け出されて、森をさまよってたんだ。それで、ここで一緒に暮らすことになって」
「……は?」
ローザは信じがたいというように念を押した。
「つまり、あいつらは赤の他人なわけ?」
「ああ」
「……じゃあ、なんで一緒にいるの? あいつらが、あんたにとって何か利益になるの? 良質な餌を狩ってくるとか? 有益な情報を持ってくるとか?」
「うーん?」
おれはちょっと考えて、口を開いた。
「赤の他人といわれたら、そうだけど……でもおれは、あの子たちとごはんを食べたり、おしゃべりしたり……一緒にいるだけで、なんだろう……ほっこりするんだ」
「……ほっこり……?」
「たしかに、家事を手伝ってくれたり、知らないことを教えてくれたり、助けられてる部分は大きいよ。でも、それ以上に、そばにいてくれるだけで、幸せを感じるんだ」
返事はない。
おれは庭を駆け回るアシュリーたちを見つめて、目を細めた。
「おれには、あんまりたいしたことはできないけど……あの子たちの安心できる場所になってあげられたらと、そう思ってるよ。……もちろん、ベアトリクスとローザにとっても、そうだったら嬉しいなと思う」
「!」
ローザは目を見開き、「なに、それ……」と呟いた。
大きな猫目に、獰猛な光が灯る。
「さっきから、きれい事ばっかり……人間と魔族は違うのよ! 人間が魔族となんか、仲良くするわけないじゃない! ベアトリクスを構ってやってるのだって、ただの気まぐれでしょ!?」
「そんなことない。ベアトリクスが遊びにきたいならいつでも来ていいし、仲間に入りたいならいつだって歓迎するよ。――もちろん、ローザもな」
「!」
揺れる瞳に、笑いかける。
「よかったらローザも、あの子たちの友達になってくれないか?」
ローザは唇を震わせていたが、やがて「ふざけないで……!」と押し殺した声でうめいた。
「あたしは魔族なの! トモダチなんかいらない! 魔族と人間が、仲良くなれるわけないじゃない! トモダチになんか、なれるわけないじゃない! あんたらだって、どうせあたしたちのこと裏切るくせに……っ!」
怒りに歪んだ顔は、けれど傷ついた子どもみたいに、どこか寂しそうで――
「ローザ……?」
おれが口を開くより早く、庭の一角へと手をかざす。
「もうきれい事なんて聞きたくない! 化けの皮を剥がしてやる!」
「え?」
刹那、土がぼこぼこと盛り上がった。
それは粘土のようにうねりながら、獣の形を取り――背筋に冷たい予感が走った。
「危ない!」
地を蹴ると同時、獣の口から炎が迸る。
「!」
業火がフィオを呑み込む寸前、おれはフィオを抱えて地面に身を投げ出していた。
間一髪、フィオがいた空間を炎が舐める。
『グルルルル……!』
土から生まれた獣は、いまや悪夢の権化と化していた。獅子の頭に、胴体はヤギ、蛇の尻尾――
「キメラだ……!」
ノアが蒼白な顔で叫ぶ。
「Aランクの魔物だよ! 北の山岳地帯にしかいないはずなのに、なんで……!」
言葉半ばに、キメラが飛びかかってきた。
振りかざされた爪を、後ろに跳んで避ける。
「っ、く……!」
「ケントさん!」
騒ぎを聞きつけたのか、教会からステラとリルが駆け付ける。
「ステラ、みんなを教会に!」
「はい!」
しかし駆け付けようとしたステラの前に、キメラが立ちふさがった。
「きゃっ……!」
「!」
おれはイメージを練ると同時、右手をすくいあげるようにして一閃した。
ステラに襲いかかろうとしたキメラを、風の刃が貫く。
『ギャンッ!』
「やった……!」
ノアが叫ぶが、胸をなで下ろす暇もなく、周囲の土が新たに盛り上がった。
「一箇所に固まれ!」
その指示が届くより早く、キメラたちが次から次へと湧き出た。
思わず歯がみする。
「ローザ、なんでっ……!」
ベアトリクスが叫ぶ。
ローザは答えることなく、楽しげに唇を吊り上げた。
「ぐるるるる……!」
リルが獰猛に唸る。キメラどころか、ローザまでかみ殺しかねない。
「りる、だめ……!」
今にも巨大化しそうなリルを、フィオが抱きしめている。
「動くなよ!」
おれはアシュリーたちに向かって吠えると、大地に両手をついた。
神経を集中させ、イメージを一気に解き放つ。
周囲の土がさざめき、剣山となってキメラたちを串刺しにした。
『ギャウ!?』
「すごい……!」
大半を仕留めたが、まだ何体か残っている。
取りこぼした一体が、ベアトリクスに向かって跳躍した。
『グガアァアァァァ!』
「ひっ……!」
「ベアトリクス!」
魔術の構成が間に合わない。
おれは地を蹴ると、キメラに体当たりを喰らわせた。
『ギャン!』
体勢を崩したおれに、別の一体が躍りかかる。
鋭い爪が、頬を掠めた。
「ッ!」
「ケントさん!」
「パパ……!」
歯を食い縛り、剣を振り抜く。
『ギエエェェエエェ!』
キメラはもんどり打って息絶えた。
続けざまに両手を翳し、炎の弾を撃ち出す。
『グァウ!』
炎はキメラたちを正確に撃ち抜き、最後の一匹を焼き払った。
えぐれた地面の上に、核が転がり落ちる。
「はぁっ、はあ……」
「あ、あ……」
へたりこむベアトリスに、アシュリーが駆け寄る。
「ベアちゃん、大丈夫!?」
「う、うん」
けが人がいないか確認する。
どうやら全員無事のようだ。
「ケント、血が……!」
「大丈夫だ」
頬を拭うおれのもとに、ベアトリクスがおそるおそるやってきた。
「あ、あの……ご、ごめんなさ……」
その頭に手を乗せる。
「けががなくて良かった」
「っ……!」
ベアトリクスが何か言おうとするのを遮るように、ローザが舌を打った。
「ベアトリクス! 帰るわよっ!」
「あ、ま、待って……っ」
慌てて続こうとしたベアトリクスを、アシュリーが呼び止めた。
「ベアちゃん!」
「!」
振り向いたベアトリクスに、絵本を差し出す。
「これ、かしてあげる!」
「えっ?」
「絵がかわいいから、字がよめなくてもたのしいよ!」
「あ、ありがと……」
受け取った絵本を、ベアトリクスは大切そうに抱きしめた。
「ローザちゃんも、こんど、いっしょによもうねー!」
ローザは目を眇めると、ふんと鼻を鳴らして去って行った。
小さくなっていく二人の魔族を見送る。
「……ねえ、ケント。あのローザっていう子……」
硬い表情で口を開いたノアを、そっと手で制する。
「とにかく、みんな無事でよかった」
「……うん」
ステラが明るく手を打つ。
「さあ、おやつにしましょう」
「わーい!」
子どもたちが、教会に入っていく。
その後に続こうとして、ふと、ローザの声が蘇った。
『あたしは魔族なの! トモダチなんかいらない! 魔族と人間が、仲良くなれるわけないじゃない! トモダチになんか、なれるわけないじゃない!』
そう叫んだローザの、まるで泣き出しそうな悲痛な顔を思い出す。
「…………」
空を振り仰ぐ。
魔族の娘の姿は、もうどこにもなかった。