ベアトリクスとローザ
それを見つけたのは偶然だった。
よく晴れた日の朝。
朝食を食べたあと、おれは子どもたちと、屋根裏の大掃除に取り掛かった。
「うわ、すごい埃」
「けほ、けほ……」
窓を開けて高いところの埃を払い、家具を拭き上げる。
アシュリーたちは、誰が一番はやいか競争しながら、床をぞうきんがけしている。
「……ん」
ふと、たんすの陰に小さな箱を見つけて、手を止める。
木で造られた、一抱えほどの箱だ。
蓋を開けてみる。
中からは、きれいな毬や色鉛筆、人形、おままごとセットなどが出てきた。
おもちゃ箱のようだ。前住んでた子どもが忘れていったのか……もしくは、置いていったか――だが、何のために?
おもちゃの上に、羊皮紙が二枚置かれていた。
折りたたまれているそれを広げる。
それは、子どもが描いた絵だった。
女の子がふたり、手をつないで笑っている。そのうち一人は、ピンクの髪を片側に結い上げていた。
「……これ……」
もう一枚を開く。
どうやら手紙のようだ。たどたどしい字が並んでいる。小さな子が一生懸命に書いたらしい。
古ぼけた手紙に、おれは目を落とし――
その時、階下でステラの声がした。
「そろそろお茶にしましょう~」
「わーい! 今日のおやつはなにかなーっ!」
「ぱぱ……」
フィオが袖を引っ張る。はしごが降りられないのだ。
「ああ、おいで」
おれは笑って羊皮紙をポケットに入れ、フィオを抱き上げた。
午後は勉強と自主稽古の時間だ。
湖畔から吹く風に、ハンモックがゆらゆらと揺れる。
おれは切り株に座り、左右から覗き込むアシュリーとフィオによく見えるように絵本を開いて、文字をなぞりながらゆっくりと読み上げた。
「こうして、お姫さまは、王子さまといつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
アシュリーはうっとりと溜息を吐く。
「おひめさま、よかったねぇ」
「そうだなぁ」
「アイのチカラだねぇ」
「そうだなぁ」
「おひめさまとおうじさまは、ソウジアイソウなんだねぇ」
「……そう、だなぁ……?」
素振りをしていたノアが、手を止めてこちらを見る。
「相思相愛、じゃない?」
「あっ、そう、それ!」
アシュリーが嬉しそうに頷く。
さすがノア、興味がなさそうに見えたが、ちゃんと聞いていたらしい。
「ねーパパ、もう一回読んで!」
「アシュリーは本当にこの絵本が好きなんだな」
「うん!」
フィオも嬉しそうに身を乗り出す。
本が好きなのはいいことだ。楽しみながら、文字の勉強もできる。
おれは再びページを開き――リルが空に向かって吠えた。
「わん、わん!」
「なんだ?」
見上げると同時、何かが飛びついてきた。
「うおっ!」
「やっほー、おにーちゃん! きたよー!」
「あっ、ローザちゃんだ!」
アシュリーが嬉しそうな声を上げる。
首にしがみついているのは、魔族の娘、ローザだった。
「どうした? 遊びにきたのか?」
「別に~? こいつが出かけるっていうから、ついてきたの」
ローザの視線を追うと、ベアトリクスが浮いていた。なんだか気まずそうな顔をしている。こっそり出ようとして見つかったというところか。
ローザはおれの手元を覗き込んだ。
「ねえ、それ、何してるの?」
「えほんをよんでたんだよ!」
文字を勉強中のフィオは、一生懸命本とにらめっこしている。
おれはふと気になって、ベアトリクスとローザに尋ねた。
「二人は、文字は読めるのか?」
ベアトリクスは恥ずかしそうに首を振り、ローザは「まさか」と声を立てて笑った。
「あたしたちは魔族よ? 字が読めなくたって困らないもの」
肩を竦めるしぐさは、くだらない、とでも言いたげだ。
一方、ベアトリクスはそわそわと尋ねた。
「それって、どんな話なんだ?」
「あのね、ずっとねむっちゃうのろいにかかったおひめさまが、たすけにきたおうじさまのキスで目をさますの」
アシュリーはうっとりと頬に両手を添えている。
ベアトリクスは首を傾げた。
「? キスってなんだ?」
「ベアちゃん、しらないの?」
「う、うん」
アシュリーはベアトリクスを手招きすると、耳打ちした。
「あのね、きすはね、男のひとと女のひとが、くちびるをくっつけて、あいをちかいあうことだよ」
「あ、愛を誓い合う……」
ベアトリクスは頬を染めてぽーっとしている。
ローザが鼻を鳴らした。
「なによ。あんた、そんなことも知らなかったの?」
「ろ、ローザは知ってたのか?」
「当然よ。キスだけじゃなくて、も~っとスゴイことも知ってるんだから」
「も、もっとスゴイこと!?」
「ふぁぁ……」
「おしえて、ローザちゃんっ!」
群がる子どもたちに、ノアが慌てて叫ぶ。
「だ、だめだよ! そういうのは、まだ、ぼくたちみたいな子どもが聞いちゃいけない……と、思う!」
しかし、ローザは得意げに肩をそびやかした。
「別に、教えてあげてもいいわよ?」
「!」
アシュリーたちはもちろん、ノアまでもが身を乗り出す。
いったい何を教えるつもりだろう。
「ローザ、あんまり過激なことは……」
けれどローザは、おれを見てふふんと鼻を鳴らすと、アシュリーたちを集めて小声で話しはじめた。
「あのね、おとなはね、ベッドの中で……」
「「「ベッドのなかで……!?」」」
「お菓子を食べたり……」
「「「お、お菓子をっ……!?」」」
「あとは、夜中にこっそり……」
「「「こっそり……!?」」」
「お菓子を食べたりするのよ」
「「「お菓子をっ……!?」」」
「ふぁぁ……!」
「おとなってすごい……!」
……思いのほか無害だった。




