女神降臨
「う……」
白いベッドの上、イグニスが小さくうめく。その瞼がゆっくりと開かれた。
「おはようございます」
「こ、ここは……?」
イグニスが身体を起こす。
そのまま隣に視線を移して、ぎょっと目を見開いた。
ベッドの横には、白いローブに身を包み、冠をいただいたステラが立っている。その隣には、天使の羽根をはやしたアシュリーとフィオが控えていた。
イグニスがおそるおそる口を開く。
「あ、あなたは……?」
「私の名は、女神、す、す、ステラーニアです」
「め、女神ステラーニアさま……!?」
「そして、こちらは天使のアシュリエルと、フィオエル、使い魔のリルエルです」
「あしゅりえるだよ! よろしくね!」
「ふぃおえる……」
三人の足元で、同じく羽根をはやしたリルが「わん!」と鳴く。
おれはその様子を隣室から見つめながら、うんうんとうなずいた。いいぞ、みんな名女優だ。
ステラは女神然と両手を広げる。
「ここは、夢の中です」
「夢……?」
「そなたは大賢人を探し求め、しかし会うことはかなわず、ついに旅の途中で倒れたのです」
これが、五人で考えた奥の手。すべて夢だったと思わせる計画だ。このまま女神の助言を受けてお帰り願おう。
ステラ……いや、女神ステラ―ニアは、粛々と言葉を紡ぐ。
「聖騎士イグニスよ。そなたに神託を授けましょう。この地をあとにして、国へ戻りなさい。そして、大賢人のことは忘れ、聖騎士としての使命をまっとうするのです……――」
しかし、思いがけないことが起こった。
ステラーニアの言葉半ばに、イグニスが勢いよく土下座したのだ。
「おお、女神さま! どうか懺悔させてください!」
「!? えっ、な、なに……懺悔……っ?」
思わぬ展開にたじろぐステラーニアをよそに、イグニスは吠えるようにまくしたてる。
「実は、聖騎士なんて嘘なんです! 自分、とっくに除隊されてるんです!」
「!?」
除隊!? 現役の聖騎士じゃないのか!?
「い、いったいなぜ……!?」
イグニスはうなだれ、絞り出すようにして呻いた。
「……自分、朝が苦手で……寝坊を繰り返して……千回目の遅刻で、ついに除隊に……っ」
想像以上にしょうもなかった!
唖然とするおれの隣で、ノアが神妙につぶやく。
「むしろよく千回も見逃してくれたね」
「そうだな」
イグニスはさらにうめく。
「……自分、見た目によらず低血圧で……お布団大好き……洗いたてのシーツ最高……」
なんか熱い布団愛を語り始めた!
「わかる、最高だよね」
ノアがまたもや神妙に同意している。
イグニスはがばりと顔を上げた。
「ですが、国を想う気持ちは本当なのです……! なんとしてでも国のために役立ちたく、そこで剣術に優れた大賢人がいるという噂を聞き……大賢人に勝てば、聖騎士として返り咲くことができるのではないかと思い……っ!」
なるほど、そういうことだったか。
イグニスはベッドにうずくまってぐすぐすと鼻を鳴らしている。
思いがけない展開に、ステラは途方にくれて、助けを求めるようにこちらを見た。
おれは糸電話でアシュリエルに指示を出した。
アシュリエルがステラーニアに耳打ちする。
ステラは小さくうなずくと、イグニスに向き合った。
「よいのです。よくぞ打ち明けてくれました。すべての人は過ちをおかし、そしてまたそれを正すこともできるのです。あなたは自らの過ちを認めた。過去の罪にとらわれることはありません、自分を許しなさい」
「女神、さま……」
ステラの女神スキルが全開だ。後光さえ見える。
「あなたに、新たな使命を授けましょう。このまま、旅を続けるのです」
「ですが……!」
「そなたが求めていた大賢人は、この地にいません」
「そ、そんな……!」
色めき立つイグニスに、ステラーニアは優しく目を細める。
「よいですか、イグニス。人はみな、賢人なのです。気高い志を持ち、真心を注げば、誰もが賢者になれるのです。そなたの熱い想い、これからは国のためではなく、生きとし生きるものすべてのために使うと心得なさい」
「おお……!」
どうやらクライマックスだ。
糸電話を通して、新たに指示を出す。
ステラーニアは遠く空を指した。
「これより西の地、困っている者の姿が見えます。そなたはこれより西へ向かい、そしてかの者を救うのです」
口からでまかせだが、まあ困っている人はどこにでもいるだろう。
「賢者イグニス。あなたこそが、人々を救う大賢人となること。それが、あなたの使命です」
「うぉぉぉ、ステラーニアさまぁぁ……!」
ステラーニアを拝みながら、男泣きに泣くイグニス。
アシュリエルがその涙をせっせとティッシュでぬぐい、フィオエルは立ったままぷうぷうと寝息を立てていた。
「さあ、お別れの時間です、イグニス」
「め、女神さま……!」
ノアに合図を送ると、ノアはうなずいて、よく熱した七輪に魚をのせた。うちわであおぐと、たちまち白い煙が立ち込めはじめた。
煙の中で、ステラーニアがほほ笑む。
「さようなら、イグニス。あなたの活躍、見守っていますよ」
「女神さま……ありがとう、ありがとうございます……!」
煙に紛れて、ステラとアシュリー、フィオが退場してくる。
「よくやった!」
「う、うまくできたでしょうか」
「ああ、ばっちりだ。ありがとうな、ステラーニア」
「は、恥ずかしいです……」
部屋の中から、イグニスの「げほっ、ごほ、ごほ」とせき込む声が聞こえてくる。
「よし、そろそろ行くぞ」
「がんばって、パパ!」
おれは満を持して、扉を開けた。
窓を開けて煙を逃がすと、振り返る。
「目が覚めましたか、旅人さん」
イグニスが目を見開く。
「だ、大賢人!」
「え?」
いかにも怪訝そうに眉を寄せると、イグニスははっと額を押さえた。
「い、いや、すまぬ。頭が混乱していて……」
「いいえ。どうやらお疲れのようで、森で行き倒れていたのを見つけまして、教会に運び込んだのです」
「そうか……かたじけない」
「まだお疲れのようですね。少し、休まれていきますか?」
そう問うと、イグニスは首を振った。
「いや。私は、旅にでなくては。私には使命があるのだ……大賢人となる使命が」
「そうですか」
いい眼をしている。
旅立つイグニスを、手を振って見送る。
イグニスは何度も振り返って頭を下げた。
「ふう」
扉を閉めて息を吐くと、子どもたちが寄ってきた。
「大成功だね!」
「ああ。みんなのおかげだよ、ありがとう」
ステラの女神も、アシュリーたちの天使も板についていた。
ステラが心配そうに窓の外を見る。
「あの方、大丈夫ですかね?」
「ああ、きっと大丈夫だろ」
思い込みは激しいが、決して悪い奴ではなかった。
「いい人生を歩めるといいな」
まっすぐで純粋で、朝が苦手な元聖騎士に思いをはせる。
――それから数年、西の地に立ち寄ったおれは、すっかり立派になった彼と再会することになるのだが、それはまた別の話。
 




