聖騎士、襲来
朝夕の風が冷たくなって、森の木々が色づき始めた。秋が近い。おやつどきには、栗やさつまいも、かぼちゃを使ったお菓子が並ぶようになった。
畑を耕して、水をやり、子どもたちに本を読み、自然の恵みの詰まったごはんを食べ、夜にはぐっすりと眠る。
そんな平和な日々が破られたのは、ある日の早朝のことだった。
どんどんどんどん! どんどんどんどん!
まだ太陽も登りきらない明け方、ノックの音に起こされた。
ベッドを降り、部屋を出る。
教会に、扉を叩く音が響き渡っている。
廊下に出てきたステラと、顔を見合わせた。
こんな人里離れた教会に、いったい誰だろう。
以前、訪ねてきた行商人が、実は強盗だったという前例もある。
慎重に玄関に向かう。
うしろからステラと、寝ぼけ眼の子どもたちもついてきた。みんな寝間着のままで、アシュリーなど寝癖で髪がぴょんぴょん跳ねている。
扉に手をかけて、振り返る。
「あけるぞ」
ステラは神妙な顔でうなずいた。その手にはフライパンを構えている。隣ではノアが柄に手をかけて真剣な顔つきで控え、怯えるフィオの手をアシュリーが握っている。
うなずきあって、扉を開く。
現れたのは、白銀の鎧に身を包んだ、精悍な青年だった。
「たのもう!」
張りのある声が腹に響き、青い双眸がおれを見据える。
「大賢人とは貴様のことか!」
「いいえ」
バタン、と扉を閉める。
「パパぁ、いまのだれ~?」
「気にすることないよ。きっと寝ぼけて迷子になったんだろ。さあ、ちょっと早いけどごはんにしよう」
「誰が迷子か! あけろ! あけないか!」
扉が割れんばかりにノックされる。
仕方なく扉を開くと、男は大音声で呼ばわった。
「我が名はイグニス・ダイダロス。南のグランディオ王国に仕える聖騎士である!」
手袋に包まれた指が、おれをまっすぐに示す。
「大賢人! 貴様に決闘を申し込む!」
「決闘!?」
驚くノアにうなずいて、イグニスと名乗った男は腕を組んだ。
「このイグニス、わけあって流浪の旅の途中なのだが、ここに大賢人がいるという噂を聞きつけてな。なんでも、剣術に秀でているとか」
……変な噂が広まらないように気を付けているつもりなのに、いったいどこから漏れているのだろう。
イグニスは傲然と腕を組んだ。
「自慢ではないが、オレは大陸でも五本の指に入る剣の使い手でな。大賢人の再来とも噂される貴様の腕、確かめさせてもらおう」
「ええと、すみません。そういうの受け付けてないので……」
扉を閉めようとしたとき、剣の切っ先が繰り出された。
「うおっ!」
のけぞった鼻先を、鋭い風がかすめる。
「ケントさん!」
ステラたちの悲鳴が聞こえる。
あ、あぶ、危なかった……!
「今の一撃をよけるとはな。さすが、大賢人の再来といったところか」
不敵に笑うイグニスに、ノアが噛みつく。
「不意打ちなんて、卑怯だよ!」
「卑怯? 騎士の威信をかけた決闘を、のらりくらりとかわす男のほうが卑劣だと思うがな?」
イグニスは改めておれをにらみつけた。
「さあ大賢人! このイグニスと正々堂々勝負しろ!」
ノアはご立腹のようで、ぷんすかと頬を膨らませる。
「こうなったら、やっちゃいなよ、ケント!」
「うーん……」
おれとしては、穏便に帰っていただきたいところだが……
悩んでいると、イグニスが首を振った。
「やれやれ、大賢人とやらは、とんだ腰抜けのようだ。だが、これならどうかな?」
イグニスは手袋を脱ぐと、足元に投げつけた。
「神聖なる騎士の儀式を前に、まさか逃げるまいな!」
さあどうだとばかりに胸をそらす。
ええと、これはどうしたらいいんだろう。お帰りいただきたいのだが、拾って返すべきだろうか、それともこちらも投げ返すべきだろうか。だが、あいにく白手袋なんてしゃれた装備はない。
仕方がないので、そこらへんにあった軍手を投げつけた。
「…………」
イグニスは、泥だらけのそれを拾いあげ――
「このオレを舐めるとは、いい度胸だな……!」
めっちゃ怒らせてしまった。
「表へ出ろ!」
足音荒く庭へ向かうイグニス。
仕方なく、そのあとについて教会の外に出た。
「け、ケントさん……」
「大丈夫だよ。それより、ごめんな、変なことに巻き込んじゃって」
イグニスはやる気満々だが、どうにも気が乗らない。
そんなおれの様子をみて、不安になっていると思ったのか、アシュリーは興奮気味にこぶしを握った。
「だいじょーぶ! ぜったい、パパがかつよ! せかいいち強いんだもん!」
「ごめんな、アシュリー。おれは負けなきゃいけないんだ」
「えっ! どーして?」
驚くアシュリーに、ノアも加勢する。
「ケントが負けるわけないよ! あんなの、ちょちょいってやっつけちゃえばいいじゃん!」
「もしおれが、その……ちょっと変わった力を持っていることがバレたら、いろんな人が来たり、仕事を頼まれたりして、あんまり家にいられなくなるかもしれないんだ」
それを聞いたとたん、アシュリーとフィオがみるみる涙ぐんだ。
「ふぇ……」
「やだー! やだやだ! あしゅり、パパといっしょがいい!」
「だからおれは、この決闘は負けなくちゃならない。みんなで平和に暮らすために。わかってくれるか?」
アシュリーは「うん!」と即答し、ノアも神妙な顔でうなずいた。
「そうか、そうだよね……。わざと負けるなんてあんまり好きじゃないし、本当は強いケントが負けるのは納得いかないけど、大人の事情があるよね。わかったよ。思う存分、華麗に負けてきて!」
なんて物分かりがいい子どもたちなんだ。……むしろ大人の事情わかりすぎてない? 大丈夫?
とはいえ、あっさり負けたのではイグニスが納得しないだろう。
いかに自然に負けられるかが肝要だ。
「何をぐずぐずしている! 剣を抜け!」
寝間着に剣という間抜けな恰好だが、致し方ない。
剣を手に向かい合った。
「はじめっ!」
ステラがフライパンを打ち鳴らす。
同時、イグニスが地を蹴った。
「はっ!」
呼気とともに、鋭い突きが肩口をかすめる。
「せいっ!」
続いて繰り出された横薙ぎの一閃を、刃で弾いた。
イグニスは一瞬体勢を崩しかけたものの、すぐさま踏み込んできた。
「どうした! そんなものか、大賢人!」
「うわっ」
容赦ない連撃に手がしびれる。大陸で五本の指を自称するだけあって、一撃一撃が重量級だ。
襲い来る猛攻をかわしながら、負けるタイミングを計る。
いつまでも反撃しないおれに、イグニスは業を煮やしたらしい。
「かかってこい、大賢人! 貴様にも矜恃があるだろう!」
銅鑼声をあげるなり、イノシシのごとく突進してきた。
「うわっ!?」
その勢いに、思わず避けてしまう。
「ぬん!?」
イグニスがバランスを崩してつんのめった。
無防備にさらされたうなじに、反射的に柄頭を叩きこむ。
「う゛っ!?」
イグニスはうつぶせに倒れ、そのままスライディングし、切り株に脳天から激突して止まった。
「……あ」
「け、ケント!」
ノアたちが血相を変えて駆け寄ってくる。
「なんで本気出しちゃったの!?」
「い、いや、思いのほか勢いがすごくて……」
イグニスを診ていたステラが顔を上げた。
「どうやら気を失っているようです」
「……まずいな」
これは、勝ってしまった……のだろうか?
イグニス本人によると、相当名のある聖騎士らしい。聖騎士に勝っただなんて知られたら大騒ぎになるだろう。
うつぶせのまま沈黙しているイグニスを見下ろす。
「どうしましょうねぇ」
「あのねー、うめたらいいとおもうよ!」
「それはちょっと……」
「どうしよう、ケント」
子どもたちの不安そうな目が、おれを見つめる。
あらゆる可能性をこねくりまわした挙句、おれはひとつの決断をくだした。
「ごまかすしかないな」