孤児院はじめました
少女たちに早くも魔術を見られてしまってから、一時間後。
台所でスープを作っていると、ステラたちが入ってきた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
改めて挨拶する。
一人暮らしが長かったから、なんだかちょっと照れくさい。
「お風呂、ありがとうございました」
ステラが頭を下げる。その髪が少し濡れている。
湯に浸かり、教会にあった服に着替えてさっぱりしたのか、四人の表情は晴れやかだった。
……昨夜はそれどころじゃなかったけど、改めて見ると可愛い子ぞろいだな。
なんだか緊張する。
いや、自然体でいいんだ、とりあえず落ち着こう。
水を飲んでいると、アシュリーがトトッと駆け寄ってきた。
ルビーみたいに輝く瞳が、おれを見上げる。
「パパ、おはようございます!」
「ぶっ!」
水がまともに気管に入って、むせる。
「げほ、げほっ……ぱ、パパ……?」
アシュリーはこてんと首を傾げた。
「ステラにきいたよ。これから、いっしょにすむんでしょ?」
「ああ」
「せんせいでも、しんぷさんでもないんでしょ?」
「ああ」
するとアシュリーは嬉しそうに飛び跳ねた。
「じゃあ、パパだ! あしゅり、知ってるよ!
いっしょに住むおとこの人のこと、パパっていうの!」
おれは思わずステラと顔を見合わせ、笑った。
アシュリーたちには、両親がいないと聞いた。
短い間だけど、この子たちの生活を預かるわけだし……それでこの子が安心できるなら、それでもいいか。
と、ステラの背後に、柔らかな金髪が見え隠れしているのに気付いた。
ええと、名前はたしか……
「おはよう、フィオ」
「!」
声を掛けると、フィオはステラの服の裾を握って、ますます引っ込んでしまった。
人見知りしているらしい。
無理もない、昨日は寝ていたから、初対面だもんな。
「フィオ、ご挨拶するのよ」
ステラが背中を押すけれど、フィオはますますむずかって、ステラのスカートに潜り込んでしまった。
「あっ、ふぃ、フィオっ……!」
ステラが真っ赤になって慌てている。
これじゃあステラも困るだろう。
おれはしゃがみ込むと、口笛で鳥の鳴き真似をした。
数少ない特技のひとつだ。
「!」
フィオがスカートから顔を出す。
きょろきょろと鳥の姿を探す内、おれと目が合った。
「初めまして、ケントだ」
「…………」
翡翠色の瞳が頼りなげにさまよう。
白い肌は陶器のようで、ふわふわとくせのある猫っ毛は金色に輝いて、まるで人形みたいだ。
やがて、「フィオ……」と鈴のような声で自己紹介してくれた。
「よろしくな、フィオ」
ちょっとだけ打ち解けたところで、食卓を囲む。
朝食は野菜スープとリンゴだ。
「いただきます!」
しばらくちゃんとしたものを食べていなかったのだろう、アシュリーたちは嬉しそうに食べ始めた。
そんな中で、フィオは食が進まないようだった。ちょっと心配だ。
と、アシュリーがスプーンを握りながら興奮気味に目を輝かせた。
「パパ、魔術おしえて!」
そういえば、この子は魔術士志望なんだっけ。
でも、おれに教えられることなんてあるのだろうか?
魔術の原理はよく分からないままだし……
「さっきのパパ、かっこよかった! あしゅりもパパみたいにかっこよくなりたい!」
「そ、そうか」
こんな羨望のまなざしを向けられることも初めてなら、かっこいいなんて言われたのも初めてで、なんだか照れてしまう。
「鼻の下伸びてる」
ノアにぼそりと指摘されて、おれは慌てて頬を引き締めた。
アシュリーの口元を拭きながら、ステラが口を開く。
「それにしても、無詠唱で魔術を使われるなんて……すごい御方だったのですね」
「呪文なしで魔術を使えるのって、やっぱり珍しいのか?」
「ええ。私が知る限りでは、過去にただ一人……伝説の大賢人さまだけです」
そういえば、ヴィラリシアから逃げる時も、誰かが大賢人の再来だとか叫んでたな。
「その大賢人って、何なんだ?」
「百年前、魔王との決戦において、勇者さまを支え導いた、賢者リュカさまのことです。ご存知ありませんか?」
「あー、うん。ちょっと、そういうの疎くて……」
ステラとノアが目をかわす。
まずい。どうやらこの世界の人間なら当然知っている話のようだ。
やっぱりおれの知識にはムラがある。
ステラはちょっと迷っていたようだが、慎重に切り出した。
「あの、あなたほどの御方が、人里離れた教会で暮らしているのには、何か理由が……?」
「あー……ちょっと、前にいろいろあって。人に疲れたっていうか、昔からスローライフに憧れててさ。
だから、おれが魔術を使えることは、黙っててくれないか?」
正直に伝えると、ステラはおれの意図を汲んでくれたようだった。
「ええ」
はしばみ色の瞳が、柔らかくまたたいた。
――まるで、すべてを許してくれるような、抱擁するような、優しい微笑み。
こんなまなざしを向けられたのは、何年ぶりだろうか。
◆ ◆ ◆
朝食を終えると、ステラたちに一通り設備の説明をして、作業に掛かる。
まずは教会の修繕だ。
これまではおれ一人だから後回しにしていたが、少女たちも暮らすとなるとそうもいかない。
倉庫から大工道具を取って、外に出た。
教会の側面に空いた穴の前にしゃがみこんで、周辺の朽ちた壁を剥がしていく。
作業をするおれに、アシュリーがまとわりついた。
「ねえ、パパ。魔術は? つかわないの?」
「魔術は魔物相手にしか使わないって決めてるんだ」
「ふーん。パパのかっこいい魔術、またみたいなぁ」
純粋な目で見つめられると、嬉しいやら照れるやらでむずがゆくなってしまう。
と、たらいを持ったステラが裏庭から手招きした。
「アシュリー、フィオ、お洗濯しますよー」
「はーい!」
教会にあったシーツや衣類をかき集めて、洗濯してくれるらしい。
裏庭から響いてくる楽しそうな声に耳を傾けながら、作業を進める。
身体能力も前世より優れているようで、作業は面白いくらいすいすい進んだ。
と、背後から涼やかな声がした。
「こっちも剥がせばいい?」
「ああ。手伝ってくれるのか?」
ノアは無言で頷くと、隣で壁を剥がしに掛かった。
その横顔をちらりと見遣る。
十二歳と聞いたが、もっとおとなびて見える。
整った顔立ちのせいだろうか。
背筋は凜と伸びていて、所作は洗練されて無駄がなかった。
細い銀髪が太陽の光を弾いて、清らかに光る。
「次は?」
アイスブルーの瞳に見つめられて、我に返った。
ノアを連れ、ノコギリを携えて森に入る。
おれが切り出した木材を、ノアは黙々と運んだ。
「おー、ノア、根性あるな」
「別に、これくらい普通だし」
ノアは照れくさそうに口を結んで、木材を抱え直す。
重そうではあるものの、ぐらつきはない。
体幹がしっかりしている証拠だ。
剣士志望なだけあって、身体を鍛えているらしい。
木材を削り、やすりを掛けて、壁に打ち付けていく。
ノアの助けもあって、修繕は思ったより早く終わった。
「ありがとう、助かったよ。今度ペンキ買ってこなきゃな」
切り株に座って休んでいると、ノアがもじもじと口を開いた。
「あの……」
「ん?」
「剣……今朝の……」
「あー」
そうだ、一部始終見られたんだった。
ノアはしばらく言いよどんでいたが、やがておれをまっすぐに見つめた。
「手合わせ、してほしいんだけど」
◆ ◆ ◆
数十分後、おれたちは剣を手に向かい合っていた。
「はっ、はぁっ……」
突っ立っているおれに対して、ノアは息を乱している。
「くっ……!」
ノアは歯を食い縛り、一気に踏み込んできた。
繰り出される細身の剣を、後方にステップを踏みながら左右に弾く。
「なんでっ、動き、ゆっくりに見えるのにっ……ぜんぜん、歯が立たないっ……!」
ノアは悔しそうだった。
再び対峙すると、汗を拭い、アイスブルーのまなざしでキッとおれを射貫く。
「もしかして、手、抜いてる?」
「そういうわけじゃないんだけど」
そう答えるおれの方が戸惑っていた。
なにしろ身体が勝手に動くので、力の入れようがない。
ノアからしたら、どうしても『適当にあしらっている』ように見えてしまうのだろう。
ノアは剣を構え直した。
「もう一回!」
「今日はおしまい」
「なんで!」
「オーバーワーク、だめ、絶対。剣士は身体が資本なのに、無理してケガでもしたら元も子もないだろ?」
「……ん」
ノアはしばし逡巡していたが、やがて剣をおさめた。
負けず嫌いだが、素直さも持ち合わせている。
社畜時代の後輩よりよっぽど聞き分けがいい。
「あの、ケント……さん」
「ケントでいいよ」
「あ、うん……ケント……。明日も、お願いしたいんだけど……」
「ああ、おれで良かったら」
ノアは嬉しそうに頬を緩めて、「うん」と頷いた。
おれも剣をしまいながら、ちょっと思案に暮れた。
……手合わせと言われたが、あれで良かったのだろうか?
たぶんノアは、おれから何らかの技術を得たかったはずで……でも、付け焼き刃のおれに教えられることってあるのか……?
と、教会の裏からきゃっきゃと楽しげな笑い声が響いてきた。
「アシュリー! こら! だめよ、そっちは……!」
ステラの声がしたかと思うと、裏手からアシュリーが飛び出してきた。
その姿は、生まれたままの、一糸まとわぬ――つまりは、すっぽんぽんで。
「!?」
「あっ、ご、ごめんなさい! 洗濯をしていたら、水浴びを始めてしまって……!」
慌てるステラもどこ吹く風、アシュリーはびしょ濡れのまま嬉しそうにおれに飛び付いた。
「みずあびきもちーよ! パパもいっしょに入ろーっ!」
「ちょ、いや、あのっ……!?」
わあああああナニコレどうしたらいいの!? 日本だったら即逮捕案件なんですけど!?
それとも変に意識する方がおかしいか!?
裸の幼女に抱きつかれるという初めての事態に、青くなればいいのか赤くなればいいのか分からない。
はっと気付くと、ノアがうろんげな目でおれを見ていた。
ちょっと引き気味に口を開くことには、
「……ロリコン?」
「ち、違う! 違うから!」
初日から降って湧いたロリコン疑惑を、おれは死に物狂いで否定したのだった。
◆ ◆ ◆
お昼に、ステラがごはんを作ってくれた。
黒パンに野菜煮込み、デザートはリンゴと森の果実だ。
「お口に合うといいのですが……」
優しい味が胃に染み渡る。手作りの味だ。
人が作ってくれた手料理なんて食べたの、何年ぶりだろう。
不覚にも、ちょっと目が熱くなってしまった。
「すごくおいしいよ、ありがとう」
ステラは嬉しそうに笑った。
「おいしー!」
アシュリーは相変わらずいい食べっぷりだ。
見ているこちらまで元気になる。
と、フィオがスプーンを置いた。
器にはまだ半分以上残っている。
「フィオ、もう食べないのか?」
じっと俯いているフィオの頭を、ステラが心配そうに撫でた。
「フィオは、もともと食が細くて……というよりも、食べ物に対する興味が薄いみたいで」
「リンゴ、おいしいぞ?」
きれいに八等分されたリンゴを差し出すが、フィオは小さく首を振った。
うーん、子どもはみんなリンゴが好きなもんだと思ってたが……
おれはふと思い立って立ち上がると、包丁を手に取った。
皮をちょっと細工して、差し出す。
「ほら」
「!」
うさぎ型のリンゴを見たとたん、フィオが身を乗り出した。
小さな手にうさぎリンゴを持って、じっと見つめている。
おれは思わず苦笑した。
「逆効果だったかな?」
と、リンゴと熱心に見つめ合うフィオに、ノアが隣からささやく。
「フィオ。うさぎさんが、『食べて~』って言ってるよ。ほら。
『フィオちゃん、ぼくを食べて~。フィオちゃんに食べてもらえたら、ぼく、嬉しいなぁ?』」
「…………」
フィオは、ノアのアテレコに誘われるようにして、うさぎのおしりをおそるおそるかじった。
その目がぱっと輝く。
さくさくとリンゴを食べはじめるフィオに、ステラが目を細める。
「良かった。やっぱりおなかが減っていたのですね」
ああ、と新たなリンゴをうさぎ型にしながら、ノアを見遣る。
面倒見いいんだな。
ノアはおれの視線に気付くと、赤らんだ顔をぷいと背けた。
……もしかして、ロリコン疑惑、まだ晴れてないのかな?
昼食を食べ終わってくつろいでいると、アシュリーが膝によじ登ってきた。
その頭を撫でながら、思案に暮れる。
午後は畑の柵作りに充てるとして、明日は何をしようか。
一人考えていると、ステラが言いづらそうに切り出した。
「ところでケントさん、もうすぐ食料がなくなってしまいそうなのですが……」
「あ」
そうだった。
野菜が育つまでと悠長に構えていたが、おれ一人ならまだしも、彼女たちを飢えさせるわけにはいかない。
いくら便利なスキルがあるとはいえ、野菜を収穫できるようになるには、まだ一週間ほど掛かりそうだ。
異世界滞在四日目。
おれは、近くの街に降りる決心をしたのだった。