幻のレアアイテムの正体
そして、三日目の昼。
ノーワ山岳のふもとにある村。
村の裏手には、見上げるほどの急峻な山が、岩肌もあらわにそびえたっていた。
「ここか」
畑仕事をしていたおばあさんが、おれたちに気づいて目を丸くする。
「おや、旅人さんかい。珍しいこと」
「こんにちはー!」
「『クモの糸』を探してるんですが、ウスベニグモって、ご存知ですか?」
「名前は聞いたことがあるけど、見たことはないね。昔はしょっちゅう見かけたらしいけどねぇ」
やはりそう簡単には遭遇できないらしい。なにしろ、最後に確認されたのが百年前だという。
「どのあたりで見かけられていたんでしょうか?」
「あの山の上さね」
おばあさんが示したのは、急峻な山、その頂上だった。
礼を言って別れる。
おれたちは軽い昼食をとって、山登りに挑むことにした。
「疲れたら言うんだぞ」
「うん!」
アシュリーが転ばないように気を配りながら、崖道を登る。
地上から見た通り、木は少ない。
岩がごろごろと転がる道を、アシュリーは弱音もはかず、もくもくと歩いた。
「アシュリー。このあたりは、なんのにおいがする?」
アシュリーはくんくんと鼻を鳴らした。
「んーとね、土のにおい!」
「よし、いいぞ」
アシュリーは嗅覚が優れていて、精霊をにおいでかぎ取ることができる。確かにこのあたりは、金色に光る粒子――土の精霊が多かった。
「そうやって、今自分がいる場所にはどんな精霊がいるのか、いつも気をつけておくんだ」
魔術は精霊の力を借りて発動する。そのため、常に周囲の精霊に気を配っておけば、より効果的に魔術を使うことができる。
アシュリーは「分かった!」と頷いて、時折立ち止まっては空気のにおいを感じていた。
小さな手を引っぱりながら、崖道を上る。
山頂が近付いてきた。あたりを見回すが、クモらしき姿はない。
「いないな」
そろそろ遭遇してもいい頃だと思うが――
と、横の岩から、がさり、と音がした。
振り返ると同時、不気味な影が現れる。
それは馬車ほどもある巨大な蜘蛛だった。
「ウスベニグモか!?」
硬そうな甲殻は玉虫色に光っていて、いくつもの目がついている。ウスベニというよりアオミドリといった見かけだが、おそらくこいつが『クモの糸』の持ち主だろう。
複眼がおれたちをとらえた。
不気味な口が開き、絶叫が迸る。
『キシャアアアアアアアアアアアア!』
蜘蛛は八本の足を溜めるなり、跳躍した。
「パパ……!」
アシュリーが悲鳴を上げる。
おれはアシュリーを背中にかばうと、剣を抜き放った。
腰を落とし、落下してくる巨体を迎え撃つ。エッジが巨体の中心線をとらえる。刃が硬い殻に食い込む感触があって、腕に重みがかかる。そのまま一気に振りぬいた。
『ピギィィイイイイイイイ!』
蜘蛛は二つの塊となって地面に落ち、溶け消えた。
「くるぞ」
がさがさと乾いた音がして、四、五体の蜘蛛が集まってきた。
右手の蜘蛛に狙いを定めて手をかざす。
緑の粒子が渦巻き、蜘蛛へと殺到した。
『ギキィィイイィイィイイッ!』
風の刃に切り刻まれて、一体が消滅する。
アシュリーが、祈るように両手を組んだ。
「精霊さん、お願い!」
アシュリーの声に応えて、足元の石がカタカタと振動した。巨大な指に弾かれたように跳ね上がり、つぶてとなって蜘蛛を貫く。
『ギキィィィイィイ!』
「いいぞ、アシュリー!」
アシュリーは嬉しそうにうなずいた。
現れる蜘蛛を次々と倒していく。
十体ほど倒したが、なかなか『クモの糸』をドロップしない。
「うーん……」
残された核を拾いながら首をかしげる。やはりそう簡単には手に入らないか……すぐ倒すからドロップしないのか? あっちが糸を吐くまで待つべきか……
と、アシュリーが手を挙げた。
「ねえパパ、いいことかんがえたよ!」
「なんだ?」
「あしゅりがおとりになるよ! それでね、くもさんが糸をはくまで、まつの!」
「気持ちは嬉しいけど、そんな危ないことさせられないよ」
けれど、アシュリーは首を振った。
「あしゅり、こわくないよ! パパが守ってくれるもん!」
ルビーのように輝く瞳が、おれを見つめる。
こんな手放しの信頼を寄せられたのでは、応えないわけにはいかない。
「わかった、やってみよう」
慎重に道を進む。
「!」
行く手に巨大蜘蛛を見つけて、慌てて隠れた。
蜘蛛はまだこちらに気づいていない。八本の足を器用に動かして、一心に何か食べている。
そっとうなずきあう。
アシュリーが岩陰から躍り出た。
「こっちだよ!」
『キシィィィィイイイ!』
蜘蛛が食事を放り出し、身構える。
アシュリーにとびかかろうと足を溜め――おれは魔術を発動させた。
土が液状化し、蜘蛛の足を飲み込む。
『ギィィィ!?』
蜘蛛は残った足でアシュリーをとらえようとするが、アシュリーは子犬みたいに駆け回って攻撃をかわす。
『ギィィイイィイイイ!』
蜘蛛が口を開く。その奥から糸が飛び出した。
「あっ!」
無数の糸が、白い束となってアシュリーにまとわりつく。
おれは剣を抜くと、一気に肉薄した。身動きの取れない蜘蛛を狙い、下から掬いあげるように一閃する。
『ピギィィィイイイイ!』
岩肌に断末魔が響き渡る。
蜘蛛は吐いた糸を残し、黒い霞となって消えた。
「アシュリー、大丈夫か!」
急いで駆け付けると、アシュリーは糸から抜け出そうともがいていた。
「パパー、べたべたするよー!」
「ちょ、待って、脱がないで!」
服ごと脱ごうとするのを押しとどめて、アシュリーに巻き付いている糸を引きはがす。
ようやく念願の『クモの糸』を手に入れた。
……が。
「うーん……?」
糸はひどく粘着性があった。あちこちにくっついて、おまけに糸と糸が絡まってしまい、とてもじゃないが素材としては使えそうにない。
「これじゃあ無理そうだな」
「ハンモック、作れないの?」
アシュリーが残念そうに肩を落とす。
図鑑によると、昔は衣服としても使われていたはずだが……なにか、特別な処置が必要なのだろうか?
と、アシュリーが首を傾げた。
「パパ、あれ、なにかなー?」
「ん?」
道に、一抱えほどある、ピンク色の塊が落ちていた。
「そういえば、蜘蛛が何か食べてたな」
近づいてみる。
それは、薄桃色の綿だった。
拾い上げると、ひどく軽かった。ふわふわと、柔らかくも弾力のある、不思議な手触りだ。
「? これ……」
伸び縮みさせていると、アシュリーが目を輝かせた。
「おいしそう!」
「あっ」
止める暇もあらばこそ、アシュリーはぱくりと綿にかぶりつき――
「…………」
見たこともない渋い顔で、べ、と吐き出す。マズかったらしい。
「それにしても、なんだろうな?」
綿というには軽すぎるし、微かにうごめいているような気もする。
と、アシュリーが空を見上げた。
真剣な顔でどこか遠くを見つめている。
「アシュリー?」
「…………」
アシュリーは何かの気配にじっと耳を澄ませていたが、やがて走り出した。
「あっ、アシュリー!」
「パパ、こっち!」
ピンクの綿を抱えたまま、慌てて追いかける。
アシュリーは岩を縫うようにして、斜面を迷いなく駆け上がっていく。軽やかに掛ける姿は、まるで野生の動物のようだ。
頂上が近づく。精霊の気配が濃くなってきた。
岩に上ったアシュリーが、水平線を指さす。
「パパ、みて!」
隣に立って、思わず声を失った。
「……これは……」
乾いた荒野の向こう、少しくぼんだ大地に、ピンクの湖があった。
――いや、違う。雲だ。
薄紅色の雲が、一面に広がっている。
「……近付いてみよう」
転ばないようにアシュリーの手を握りながら、そっと歩み寄る。
足元に、淡い紅色に染まった雲がひたひたと打ち寄せていた。
まるで雲の海だ。
そうか、とつぶやく。
「くもって、こっちの雲だったのか」
ウスベニグモという字面から、完全に虫のほうだと思い込んでいた。これが、幻のレアアイテム『クモの糸』の正体か。
「きれいだねー!」
アシュリーが歓声をあげる。
かがみ込んで手を伸ばす。
触れると、確かな感触があった。
「おお」
表面はふわふわとしていて、手がきもちいいくらい沈み込んでいく。
アシュリーと並んで、もふもふと心地いい感触を楽しむ。
「すごいね、ふわふわ!」
「きもちいいな」
日が傾き、山脈の頂上に隠れる。
薄紅色のじゅうたんに、濃い影が落ち――雲がざわりと波打った。
「あ……」
雲が岩肌を這い、一斉に流れていく。
アシュリーが身を乗り出す。
「雲さんのおひっこしだ!」
壮大な光景に見ほれる。
アシュリーの言うとおりだ。まるで陽を求めるようにして、移動していく。次の住処へ向かっているのだろう。
意志を持ち、旅をする雲――
おれの腕の中にいる雲の欠片に、アシュリーが問いかける。
「いっしょにいかなくていいの?」
雲の欠片は、まるで頷くようにふよんふよんと伸び縮みした。
一抱えくらいあるそれを、リュックに詰める。
アシュリーはリュックを背負って、楽しそうに笑った。
「からだがかるーい!」
去り際、遠くかすむ雲の海に手を振る。
「ばいばーい、またね!」
雲が、波打ったような気がした。