夕暮れの街で
行きつけの肉屋に寄ると、威勢のいい声が飛んだ。
「ジェシカの肉屋、いい肉入ってるよぅ!」
店主の女性が、おれに気付いて嬉しそうに笑った。
「おや、ケントじゃないか。今日はお嬢ちゃんたちは?」
「留守番です」
初めてこの街に来て、ここで買ってからというもの、すっかり顔なじみだ。
ジェシカはステラに気付くなり、身を乗り出した。
「あんた、ケントの奥さんかいっ?」
「!? い、いえっ、その……!」
「どれ、サービスしちゃうよ!」
ベーコンと塩漬け肉、干し肉を買った。どれも少しずつ多めに包んでくれた上に、新鮮な腸詰めをつけてくれた。
「ありがとうございます」
ジェシカは日に焼けた顔いっぱいに笑顔を浮かべる。
「こんな美人のお嫁さんがいるなんて、果報者だねぇ!」
ステラが真っ赤になって慌てふためく。
「ぁっ、いえ、あのっ」
「大事にするんだよ!」
訂正する暇もなく、元気のいい声に押されるようにして店をあとにした。
気まずいような、恥ずかしいような、なんとなくふわふわした雰囲気で通りを歩く。
「えっと……なんか、ごめんな?」
「い、いえっ! むしろ、あの……」
ステラは恥ずかしそうにうつむくと、口の中で小さく呟いた。
「う、うれしい、です……」
なんと言ったのか聞き返そうとした時、背後から車輪の音がした。
振り返ると、道幅いっぱいに馬車が迫っていた。
「ステラ」
ステラの腕を引く。
馬車からかばうようにして壁際に寄せた。
追い越していく馬車を見送る。
「ここって、馬車も通るんだな」
狭い道だから、馬車は進入禁止かと思っていた。
アシュリーたちと来る時は気を付けよう。
そんなことを考えていると、すぐ下から小さな声がした。
「あ、あの……ケント、さん……」
「え?」
見下ろして、ステラを腕と壁の間に閉じ込めていたことに気付く。
「あ、ご、ごめん」
「い、いえ」
それきり会話が途切れてしまう。
……あれ? 教会だと普通にしゃべれるのに……というか、さっきまで他愛ない話をしてたのに、なんか……今までどうやってしゃべってたっけ……?
言葉を探しながら歩くうちに、公園に差し掛かった。
花壇にいろとりどりの花が咲き乱れ、噴水が透き通る水を噴き上げている。
そこかしこで、光の粒がきらめいていた。
「まあ、きれい」
ステラが歓声を上げる。
「素敵な街ですね」
「ああ。精霊も多いし」
「精霊、ですか?」
「ほら、あそこに」
緑のオーロラを指さすと、ステラは首を傾げた。
……そうだった、おれにしか見えないんだった。見えないものが見えてるおめでたいやつだと思われたかな……
内心で焦るおれを見上げて、ステラはふっと目元を緩めた。
「……本当に、不思議な方ですね」
と、蹄の音が近付いてきた。
振り返ると、見事な馬がそびえていた。
鞍にまたがった女性が口を開く。
「やあ、ケルトくん」
「ケントです」
きりりと結い上げた黒髪に、涼やかな瞳。
アマン騎警隊の副隊長、スイレンだった。
スイレンはステラに会釈すると、細い脚を翻してひらりと降りた。
「今日は奥方と一緒か」
「あ、えっと、奥さんじゃなくて……」
「うん? そうか。ならば、近々そうなる予定ということかな?」
慌てふためくおれたちを見て、スイレンは唇に笑みを刻んでいたが、折り目正しく頭を下げた。
「先日は世話になったな」
「強盗のことなら、おれはなにもしてませんよ」
二週間ほど前、行商人を装って教会を襲撃した男を撃退したのだ。男の正体は、巷を騒がせていた強盗だったらしい。
といっても、活躍したのは子どもたちで、おれはほぼノータッチである。
スイレンは笑った。
「その件ももちろんだが……例の火竜のことさ」
スイレンが顎で示した先。
公園のど真ん中に、虹色に光る巨大な核があった。
大きさは馬車ほどもあって、滑らかな表面が、傾きかけた陽をきらきらとはじいている。地面にめりこんで半ばオブジェと化しているそれを、通りすがる人々が見上げていた。
「ああ。あれが噂の、火竜の核ですか」
「そう。何者かが、一瞬で倒してしまった」
一週間前、一匹の火竜がアマンの街を襲った。その火竜は、アシュリーたちの学園を焼き払った仇でもあり。アマンを火の海にしようとしていた火竜を人知れず倒したのは、何を隠そうおれなのだが……
「それはすごいですね。被害が少なくてよかった」
「…………」
すっとぼけるおれを、スイレンはじっと見つめる。
切れ長の瞳は鋭くて、なにもかも見透かされそうだ。
目を逸らしたくなるのを必死でこらえていると、スイレンはふっと笑った。
「まあ、いいさ。また何かあったら、力を貸してほしい」
「喜んで」
スイレンは馬に跨がると、手綱を繰った。片手を挙げ、軽快な足取りで去って行く。
その姿が見えなくなるのを待って、ステラが口を開いた。
「火竜を倒したこと、公表なさらないのですか? ケントさんならきっと、街の英雄になれますのに」
「いや、いいんだ」
おれを転生させてくれた天使の言によると、おれはどうやら、魔術も剣術も、最強冒険者に匹敵する力をもっているらしい。
だが、それを誰かに吹聴する気はなかった。
「おれの望みは、みんなとの平和な生活が続くことだから」
アシュリーたちにも、学園を襲った火竜が倒されたことは告げたが、おれがやったとは言っていない。大切なのは、誰が倒したかではなく、脅威が去ったという事実だけだ。彼女たちの心が平穏なら、それでいい。
「…………」
ステラはふっと目を細めた。
「ケントさん」
「ん?」
「また、連れてきてくださいますか?」
「もちろん」
夕暮れの街に、柔らかな笑顔が咲いた。