もう一人の魔族の娘、ローザ
「!?」
空をあおいで、ベアトリクスが息をのむ。
「ろ、ローザ!」
「ローザ?」
高く晴れた空を背負うようにして、空中に、女の子が浮いていた。
つんと上向いた鼻に、大きな猫目。片側で高く結い上げたピンクゴールドの髪が、ふわふわと風に遊ぶ。その背中には、ベアトリクスと同じ、黒い翼が生えていた。
魔族か。
ベアトリクスがのどを引きつらせる。
「どうしてここに……!」
「最近、あんたの様子が変だったから、あとをつけてきたの」
少女は、冷たい目で教会を見渡した。
「まさか、よりによってこことはね……。ひどいじゃない、あたしを置いて、一人でこぉ~んな楽しいことしてたなんて」
「あ……」
アシュリーが首をかしげる。
「ベアちゃんのおともだち?」
魔族の少女――ローザは赤い唇を吊り上げると、地上に降りてきた。
「初めまして。あたしはローザよ。ベアトリクスが世話になってるみたいね」
蠱惑的な猫目が子どもたちを見回し、最後におれをとらえた。
「ふうん、あんたが噂の?」
ローザが舌なめずりする。
かすかな殺気が頬を刺した。
「だ、だめだ、ローザ!」
ベアトリクスが叫ぶ。
おれはいつでも魔術を発動できるようイメージを練った。
少女は挑発的に唇をゆがめ――身をかがめたかと思うと、思いっきり抱きついてきた。
「やっと会えたね、おにーちゃん!」
「うん!?」
ノアが身を乗り出し、ステラが目を丸くする。
「なっ!? なななな……!?」
「あら、まあ」
「え、な、なんっ……」
柔らかくて小さな身体に戸惑う。
後ずさろうとしたが、ローザは背中に回した腕にますます力を込めた。
金色の両眼がおれを見上げる。
「あたし、聞いたの! ここに、とっても優しいおにーちゃんがいるって! 会えるの、楽しみにしてたんだぁ! ね、おにーちゃんって呼んでいい?」
「え? あ、ああ」
鼻白みつつうなずく。
ベアトリクスも、何が起こっているのか分からないようで、呆然と立ち尽くしていた。
ローザはそんなベアトリクスに見せつけるように、ますます絡みつく。
「やったぁ! よろしくね、おにーちゃんっ!」
反対側から、ノアが鋭くささやく。
「ねえケント、この子、何か企んでないっ? 絶対裏があるよ!」
「うーん……まあ、今のところは無害だしなぁ。しばらくは様子を見てみよう」
「でも……」
「仲良くしてやってくれ」
「……分かった」
ローザが何か企んでいるらしいのは同意だが、ベアトリクスとは旧知の仲らしい。今のところ何かしようという気配はないし、よく気をつけてみておこう。
……お兄ちゃんなんて呼ばれるのは初めてだから、なんだかくすぐったいけど……まあ、パパ呼びにも慣れてきたし、そのうち慣れるか。
頬をかいていると、ローザが腕を引っ張った。
「ねー、おにーちゃんって、魔術使えるんでしょ?」
「え」
「それも、火竜を一撃で倒すレベルの」
「……誰から聞いたんだ?」
「え~? 魔族の一部では有名だよ? アマンの街に、すごい冒険者が現れたって。大賢人の再来だ~って」
……おれはこの世界に転生するとき、『願望反映』のスキルのほかは何も望まなかったのだが、天使のはからいによって、Aランク冒険者に匹敵する魔術と剣術が備わっている。これがバレれば、ようやく手に入れたスローライフが一変するだけでなく、子どもたちを巻き込む可能性がある。誰にも見られないように気を付けていたつもりだったが……
「ねえ、おにーちゃんが魔術使うところ、見たいなぁ?」
愛らしく目をくるめかせてねだるローザに、おれは首を振った。
「ごめんな、人前ではあんまり使わないようにしてるんだ」
「……ふぅん?」
ローザの声が低くなる。
金色の両目が、すぅっと細められ――
ローザの足元にリルが吠えかかった。
「わん! わんわん!」
「きゃ! なに、この犬!」
「りる。だめ……」
フィオが抱き上げると、リルは吠えるのをやめた。喉の奥でうなりながら、ローザをにらみつけている。
「な、なによ、犬っころのくせに……!」
両者の間で火花が散ったとき、いつの間にかいなくなっていたアシュリーが戻ってきた。
「ベアちゃん、ローザちゃん、いっしょにあそぼー!」
その手に掲げられた縄を見て、ベアトリクスが顔を輝かせる。
「なにして遊ぶんだ? 拷問ごっこ? 生贄の儀式?」
魔族の遊びとはいったい。
「ちがうよ、こうしてあそぶの!」
アシュリーが縄の一方を木に括りつけ、ステラが反対の端を持って大きく回しはじめる。
「な、なんだ、これっ?」
「なわとびだよ! なわに当たらないようにジャンプするの! みてて!」
タイミングを見て、アシュリーとフィオが上手に縄に入った。ノアとリルも参加して、きゃっきゃっと笑い声をあげながら数を数える。
「ベアちゃんもはいって!」
「う、あ、え」
ベアトリクスは入るタイミングがつかめないらしく、上下する縄をひたすら見送っている。
「はやく、はやくー!」
「だ、だって、難しいぞ!」
「縄が上に行ったときに入るのがコツだよ」
「勇気を出して踏み出せば、なんとかなりますよー」
アシュリーが息を弾ませながら手招きする。
「ローザちゃんも!」
しかし、ローザは切り株に座って頬杖をついている。
「行かないのか?」
「行かなーい。何が楽しいのか、ぜんぜん分かんない」
「そうか」
おれはローザを見下ろした。
肩も首も細くて、すごく華奢だ。つまらなそうに口をとがらせている様子は、人間とさほど変わらない。鞭のようなしっぽがふよふよと揺れている。
おれはふと気づいて、その先っぽに手を伸ばした。
「しっぽの形、ベアトリクスとちょっと違うんだな」
「え?」
ベアトリクスと比べると、先端が少しふっくらしている。
そっと握ると、ローザが飛び上がった。
「きゃん!?」
「!?」
「ちょっと、あんたなに考えてんの!? こんなところで……っ!」
ローザは涙目でおれをにらみつけ、しっぽを奪い返した。
「レディのしっぽを握るなんて、信じらんないっ!」
「ごめん」
頬が紅潮している。
どうやらデリケートな部分だったらしい。悪いことをしてしまった。
……魔族について、ちゃんと勉強しよう。
反省していると、アシュリーが悲鳴を上げた。
「パパ、大変!」
「どうした!?」
「ベアちゃんが……!」




