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憧れのスローライフ


 草原の中を蛇行する街道や、巨大な川。牧場、街や村。雄大な光景が、眼下に流れる。

 次々に現れる景色を見下ろしながら、おれは胸を打たれていた。


 ――世界は広い。


 終の棲家になるはずだった草原を通り過ぎ、いくつかの山脈を越え、緑深い森が見えてきたのは、日が傾き始めた頃だった。


 小高い丘にある森の中、小さな湖を見つけた。

 高度を下げ、湖畔の空き地に降り立つ。


 意識を研ぎ澄ませ続けたせいかちょっと頭痛がするが、疲労はない。

 風の衣に包まれて寒さも感じなかったし、魔術って本当に便利だな。


 夕日で金色に輝く湖。

 森を切り開いて作られた空き地には、古びた教会が建っていた。


 教会は無人になってから久しいようだった。

 塗装は色あせ、屋根はところどころ剥がれている。


 朽ちた十字架を見上げながら、おれは首をひねった。


 気候も穏やかで、湖も近くにある。

 来る途中、丘のふもとには小さな街も見かけた。

 街からほど近く、豊かな森に囲まれた絶好のロケーション。

 それなのに、なぜ打ち捨てられてしまったのだろう。


 ……なぜといえば、おれはなぜこんなことになっているのだろう。

 新しい世界でまったりスローライフを始めるはずだったのに……。

 まだ頭が混乱している。


 ひとまず顔を洗おうと、湖面を覗き込む。

 そこには見慣れた自分の顔が映っていた。

 ちょっと茶色がかった黒髪に、眠そうな目。

 これといって特徴のない顔立ち。


 姿形はそのままに、いくらか若返っている。十七、八といったところか。


「……もうちょっとイケメンにしてもらってもよかったかな」


 顎をさすっていると、水の底から不気味な顔がぬらりと浮かび上がってきた。


「うわっ!」


 後退ると同時に、巨大な影が飛沫をあげて飛び出す。


 突如として現れたのは、青い鱗に覆われた化け物だった。

 人間のように二本足で立っているが、顔は細長く、ぎょろぎょろと動く目は魚そのもの。

 その手には、凶悪な爪と水かきが付いている。


『グギギ、グギギ』


 化け物は不快な声で鳴いていたが、地を蹴るや一気に肉薄してきた。

 鋭い爪が振りかぶられる。


「……ッ!」


 おれは後ろにステップを踏んでかわしながら柄を握った。


 相手の隙を突いて踏み込むと同時、大きくなぎ払う。


 銀色の軌跡が弧を描いて、まるで粘土を切るように、化け物の胴体を両断した。


『ギエエエエエエエエエエ!』


 化け物が断末魔をあげて悶える。

 その傷口が徐々に黒い霞と化し、最後には宙に溶け消えた。

 草の上に、水晶のような欠片が落ちる。


「今のが魔物か」


 なるほど、冒険者という職業が必要なわけだ。

 まだ心臓がばくばくいっている。


 残された水晶を、おそるおそる拾い上げた。


 光に透かしてみると、虹色に光っている。

 魔物の核のようなものだろう。

 何かの役に立つかもしれないので、腰の袋に入れておく。


 と、湖から激しい水音が立った。


 見ると、同じ魔物が次々と這い出てくるところだった。


 そうか、この湖、魔物の巣になっているのか。

 どうやらこれが原因で、教会が寂れてしまったらしい。


 剣を握り直すが、この数を相手にするのは骨が折れそうだ。


「一網打尽にできれば楽なんだけどな」

 視線をさまよわせると、湖上に青い光が漂っているのが見えた。


 両手を広げ、かき寄せるように動かす。

 おれのイメージに応えるようにして、青い粒子が沸き立ち、強い輝きを帯びた。


 神経を集中させ、魔物に向かって手をかざすと、湖面がざわざわと波立った。

 水が渦巻き、悶え、せり上がり、やがて天を覆うように立ち上がった波から、無数の鋭い錐が飛び出して魔物たちを貫いた。


『グ、ギ……!?』


 串刺しになった魔物が、次々と消滅していく。


 波が収まったあと。

 湖面は元通り、鏡のように凪いでいた。


「魔術ってすごいな。ラディエルに感謝しなきゃな」


 確かに何の力も持たずに大自然に放り出されていたら、あっさり死んでいたかもしれない。

 さっきはうっかり街中で使ってしまったから騒ぎになったが、要は力の使い方、使いどころを誤らなければいいだけの話だ。


【魔物以外には魔術を使わない】。


 このルールさえ守っていれば、余計ないざこざに巻き込まれることもないだろう。


 黄金色に染まり始めた空を見上げて、おれは大きく息を吸い込んだ。


「自然が豊かで、空気もうまい。ここをおれの終の棲家にしよう。

 畑を耕して、自給自足でのんびり暮らすぞ。おれは異世界のT○KI○になるんだ」


 ようやく、憧れていたスローライフが手に入りそうだ。


 おれは今日、この世界に生まれ落ちたのだ。

 これからは自分の好きなように生きられるのだ。そう考えるとわくわくした。


 すでに日はとっぷりと暮れていたので、ひとまず教会に入った。


 礼拝堂を抜けると、奥に居住スペースがあった。

 中は二階建てで、居間、風呂。台所には小さな食堂も付属していて、食卓や椅子もそろっている。

 ベッドを設えた部屋もいくつかあり、書庫まであるという充実ぶりだ。


 埃がひどく、ところどころ崩れてはいるが、暖炉や鍬、調理器具、家具など、生活に必要そうなものは一通りそろっている。


 廊下を抜け、奥まったところにある部屋に入る。


 ベッドの埃をざっと払うと、おれは眠りに落ちた。



  ◆ ◆ ◆



 窓から差し込む朝日で目を覚まし、大きく欠伸をする。


 記念すべき自給自足生活の一日目。

 身支度を調え、外に出た。


 空は抜けるように青い。快晴だ。


 湖で顔を洗い、ヴィラリシアで買ったリンゴで腹を満たすと、手始めに、鍬で敷地の一部を耕してみた。


 社畜をしていた頃よりも身体が軽い。

 草に覆われていた土が、さくさくと掘り返されていく。


 こうして太陽の下で身体を動かすのは久しぶりだ。


 気温や森の様子から、どうやら今は初夏らしい。

 森から吹く風が、火照った身体を冷ましてくれる。

 土を掘り起こすごとに金色の粒子が立ちのぼって、なんだか生きている実感が強く湧いた。


 午後にさしかかる頃には、広めの一軒家ほどの畑が完成していた。


 パンを食べて、昼休憩を取る。

 なんだか黒くて硬くてもさもさしている。

 もし野菜がうまく育ったとして、収穫できるのはまだまだ先なのだから、もっと食料を買っておけば良かった。


 明日あたり、森に入って食べられそうなものを探してみよう。

 もし見つからなかったら、ここに来る前に街を見かけたから、そこまで降りていく必要がある。

 あまり人と会いたくないが、背に腹は替えられない。


 昼休憩を終えると、乏しい知識をもとに畝を作り、ヴィラリシアで買った野菜の種を撒いた。


「たしか、これが大根で、これがインゲン。麦に、ナス、大豆……これは人参か? で、こっちが……なんだっけ?」


 種や種芋を、一定の間隔で埋めていく。

 教会の台所にも何かの種があったので、端の方に植えてみる。


 本来ならその野菜に合った季節や肥料、育て方があるのだろうが、いかんせん家庭菜園の知識が足りなさすぎる。

 ラディエルにもらった『野菜すくすくスキル(仮)』があるとはいえ、どの程度効力を発揮してくれるのか分からないので、頼りすぎるのも禁物だ。

 教会に何かいい本がないか、探してみよう。


 種を捲き終えると、寝室と台所の掃除に取りかかった。

 寝室はわりとすぐに終わったが、台所はなかなか骨が折れた。


 かまどの煤を払い、台という台を拭き上げる。

 食器や器具をたらいに入れ、湖で洗った。

 裏にポンプ式の井戸があったのだが、どれくらい放置されているか分からないので、ちょっと怖い。


 ところどころ壁に穴も空いているので修繕したい。

 が、それは後日でもいいだろう。


 季節柄、多少風が吹き込んだところでそう困らないし、なにより時間はたっぷりある。


 埃を払い、ほうきで床を掃く。


 日が落ちる前に湖から水を汲んできて、薪を集め、風呂を湧かした。

 幸い石けんも残っていたので、全身洗ってさっぱりした。


 泡を流し、肩までお湯に浸かる。

 思わず「ふぃーっ」と声が出た。

 いい湯加減だ。適度に疲れた身体に、心地良いぬくもりが染み入る。


 自分のために労働し、働いた自分をめいっぱい労る。

 なんという贅沢。


 これで美味しい料理があれば言うことなしなのだが、あいにく今夜も黒パンとリンゴだ。

 野菜もちょっとは買ってあるし、簡単な料理なら作れるが、自給自足が確立できるまでは、なるべく節約したい。


 明日天気が良かったら、朝からシーツを洗って、森に入ってみよう。



  ◆ ◆ ◆



 そして、次の日。


 目覚めて窓の外を見遣ると、畑に小さな芽が並んでいた。


 予想外の出来事に、思わずおおっ! と感嘆をあげる。


 すぐに着替えて畑に飛び出した。


「これがスキルの効果か。すごいな」


 まさか昨日の今日で芽を出すとは。


 太陽の下、畝ごとに緑の葉がきちんと整列している様子は、なんとも愛らしかった。


「すくすく育てよ~」


 湖から汲んできた水を撒きながら、思わずにやけてしまう。


 長年の夢だったとはいえ、知識もない自分に自給自足などできるのかと心配したが、どうやらやっていけそうだ。

 ありがとう、『野菜すくすくスキル(仮)』。

 野菜たちが実を付ける日が楽しみである。


 水をやり終えると、勇気を出して井戸に向かった。

 試しにポンプを押してみる。

 幸い錆びてはいなかった。


 最初は空振り続きだったが、急に手応えがあって、真っ黒い水が出てきた。


「うわ」


 一瞬めげそうになったが、根気強く繰り返していると、次第に水が澄んできた。

 どうやら使えそうだ。


 さっそくたらいと石けんをもってきて、シーツを洗う。

 ついでに教会にあった服も洗濯した。

 新しい着替えを手に入れるまで、ちょっと拝借させてもらおう。


 森から手頃な木を切ってきて、日当たりのいい場所に二本立て、その間にロープを張った。


 硬く絞ったシーツや服を干す。

 作業中も、水色や緑の粒子がきらきらとひっきりなしにまとわりついた。


 真っ白い布が風に翻るのを見上げる。

 なんとなく達成感がこみ上げて、額の汗を拭った。


 一旦教会に戻って残り少ないパンを食べ、昼過ぎから森に入ってみた。


 迷わないよう、鉈で木に目印を付けながら、茂った木々の間を進む。


 キノコは怖いので、果物を中心に探した。

 二時間ほどで運良く木イチゴとぶどうを見つけたので、摘んで帰る。


 その後、教会を隅々まで調べて、修繕する箇所をリストアップした。

 けっこうな数になった。

 作業に取りかかるのは明日にしよう。

 とりあえず、詳しい間取りは把握できた。


 一階に礼拝堂、台所、風呂、倉庫、書庫に、部屋が四つ。

 二階には部屋が三つと、さらに屋根裏部屋がある。かなり広い。

 ベッドも結構な数があるし、風呂も広いし、もしかすると旅人の休憩所のような役割も担っていたのかもしれない。


 この教会で旅の疲れを癒やした人々に思いを馳せながら、森で採ってきた果物を食べ、風呂に入る。




 その夜、おれは礼拝堂の奥の部屋、書庫にあった本で、魔術の基礎を知った。 


 どうやらおれが見ている光の粒は、精霊らしい。

 普通は見えないようだ。

 そして魔術は、これら精霊に、人間が己の体内に巡る魔力を捧げることで発動するとのこと。


 その原理は、まず呪文によって精霊と交渉し、捧げる魔力の量と質、つまり報酬によって契約が成立するか否かが決まり、ようやく発動するという流れになっているらしい。

 会社の取引みたいだな。


 つまり、本来なら煩雑な手順が必要なところを、おれはそのすべての過程をすっ飛ばして、直接精霊に干渉できるということだ。

 ……なんだろ、あらゆる権限を行使できる会長みたいなものかな。


 本来は細かな魔術ほど徹底してイメージを練り、制御する必要があるため、より高度に、呪文も複雑になっていくようだ。

 派手な魔術より、繊細な魔術の方が難しい……だからおれが呪文も唱えず子猫を助けたとき、みんなあんなに驚いてたんだな。


 試しに、顔の横に漂っている、赤い粒子に触れてみる。

 たったそれだけで、イメージした通り、指先にぽっと小さな火が灯った。


「うーん……」


 魔術同盟の研究に加わってくれというオファーも納得できる。

 煩雑な契約なしに魔術を使えるという、これは、この世界の人々が長年かけて積み上げてきた魔術の歴史、その根本を覆す、とんでもない能力だ。


 額に冷たい汗が浮かぶ。


 ……これ、絶対にバレちゃだめなやつだ。

 誰かに知られたら、おれの平穏な生活が一瞬でパーになるやつだ。


 おれは、魔術を使うところは絶対に誰にも見せるまいと、改めて固く誓ったのだった。



  ◆ ◆ ◆



 教会で三度目の眠りについた、その夜。


 心地良い夢の中にいたはずのおれは、ふっと目を覚ました。

 外はまだ暗い。

 なんでこんな時間に目が覚めたのだろう。


 不思議に思っていると、控えめなノックの音が聞こえた。


 遠く、か細い声がする。


「すみません、どなたか……どなたか、いらっしゃいませんか……?」


 若い女性の声だ。女の子といっていいかもしれない。


 おれはベッドから降りると、燭台に火を入れた。


 部屋を出ると、礼拝堂を抜け、扉を開く。


 そこには、四人の少女が立っていた。


 一人は、十五、六歳くらいの、栗色の髪をした少女。

 その腕には、金髪の小さな女の子が抱かれている。

 その隣では、ほっそりした銀髪の少女が、まだ小学校低学年くらいの赤髪の女の子の肩を支えるようにして立っていた。


 彼女たちの服は焼け焦げ、煤で汚れた顔は、一目で分かるほどに疲弊しきっていた。


 栗色の髪をした少女が、緊張した面持ちで口を開く。


「あの、夜分にすみません、私たち……」

「入って」


 扉を支え、四人を台所兼食堂に通した。


「あ、あの……」

「そこに座って、ちょっと待ってて」


 戸惑っている四人に椅子をすすめ、水を張った鍋を火にかける。

 ヴィラリシアで買った野菜を切って入れ、台所にあった岩塩を削り入れ、簡単なスープを作った。


 台所に、ことことと温かい音が響く。


 よほど疲弊していたのか、金髪の子は栗色の髪の少女の膝に座ったまま寝息を立て、赤髪の少女は船をこいでいた。

 銀髪の少女が、その様子を心配そうに見つめている。


「あ、ありがとう、ございます」


 器をテーブルに置くと、栗色の髪の少女が深々と頭を下げた。

 ひとさじすくって、眠そうにしている赤毛の女の子に食べさせる。


「!」


 宝石のような瞳が、パッと輝く。

 そのまま自分で匙を持つと、せわしなく食べ始めた。


「アシュリー、ちゃんとふーふーして。一気にほおばってはだめよ?」


 アシュリーと呼ばれた女の子は、食べるのに夢中だが、そんな中にもどことなく上品さが見てとれる。


 栗色の髪の少女と銀髪の少女もスープを一口含んで、ほっと息を吐く。


 彼女たちの緊張が緩んだところを見計らって、優しく尋ねた。


「それで、どうしたんだ?」


 この夜更けに、うち捨てられた森の教会に女の子が四人訪れた、それもぼろぼろな格好で。

 ただごとでないことはすぐに分かる。


 少女はぐっと息を詰まらせ、それから目を上げた。


 はしばみ色の瞳が揺れながら、まっすぐにおれを見つめる。


「このような夜分に、突然の無礼をお許しください。私は、王立ユリシス学園のシスターをしておりました、ステラと申します」

「ユリシス学園?」

「ここから山を二つ越えた先にある、冒険者を育成するための学園です」


 そんな学園があるのか。


 おれの(不完全な)知識によると、冒険者っていうのは、ギルドに登録してなるものだが……なるほど、こんな幼少期から通う、専門の育成機関もあるのか。

 エリート学校みたいなものかな。


 ステラと名乗った少女は、膝で寝ている金髪の少女を撫でた。


「この子たちは、そこに通う学生だったのです。全寮制の学校で、多くの子どもたちと勉強をしながら暮らしていたのですが……三日前、学園が火竜に襲われて、焼け出されてしまって……」


 火竜。


 脳裏に、見たこともない、巨大なドラゴンの姿が翻る。


 冒険者専門の育成機関となれば、当然教師たちも凄腕ぞろいだったろう。

 その教師たちですら、退けることが敵わない相手……魔物の知識があまりないおれでも、相当ヤバい敵だろうことは分かる。


「三日間、森をさまよってたのか?」


 ステラはうなずいた。


 その煤で汚れた顔を見つめる。

 下の子たちは、五歳か六歳か、あんな小さな子どもを連れて、命からがら逃げてきたのだ。

 うっそうと茂った森の中、獣や魔物に襲われずここにたどり着けたのは、奇跡という他ないだろう。


「もし迷惑じゃなければ、親御さんの元に送り届けるよ」


 四人は疲れ切って、怯えている。

 一刻も早く安全な場所で、安心して休んでほしい。


 そんな想いで提案したけれど、ステラは痛ましげな表情で俯いた。


「この子たちには、身寄りがないのです」


 小さな囁きは、頼りなげに震えていた。


 その時、怖い夢でも見たのか、金髪の子がぐずりはじめた。


「ふぇ、ぇ」

「フィオ、大丈夫、大丈夫よ」


 赤髪の子はその様子を心配そうに見守り、銀髪の少女は硬い表情で俯いていた。


 その姿を見ながら、おれは彼女たちの身の上に想いを馳せた。


 身寄りはなく、寝食を共にした友達と離ればなれになり、頼りにできる大人たちとはぐれて、帰る場所もなく……――


 ステラはしばし迷っていたが、やがて顔を上げた。


「神父様、お願いがあるのです。

 学園が復興するまで……いえ、生活の目処がつくまでの間、この子たちを預かっていただけませんか?

 不躾なお願いとは重々承知です、けれど他に頼れる人もいなくて……」


 縋るような声に、けれどおれは首を横に振るしかなかった。


「残念だけど、おれは神父じゃないんだ」

「え?」

「二日前からたまたまここに棲み着いただけの、ただのしがない旅人で」

「……そう、ですか……」


 ステラが肩を落とす。


 俯いている彼女に、おれは笑いかけた。


「でも、もしそれでも良かったら、しばらくここで一緒に住まないか?」

「!」


 放っておけるわけがなかった。


 おれだって、勝手に間借りしている身だ。

 神父なんてたいそうな身分ではない。

 けれど、たとえ一時でも、彼女たちの安心できる場所になれるのならば嬉しいと思った。

 教会だって、面目躍如だろう。


 ステラが声を詰まらせる。

 大きな瞳に涙が盛り上がった。


「ああ、ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!

 近いうちに、必ずやこの子たちを迎えにまいります……!」

「ステラはどうするんだ?」

「私は、どこか近くの街で働こうと思っております。

 必ず月に一度は仕送りをさせていただきますので……」


 それまで黙っていた銀髪の少女が、硬い表情で口を開いた。


「だめだよステラ、ぼくも一緒に行く」

「いいえ、ノア。あなたはこの子たちについてあげていて。

 この方をお手伝いするのよ」


 たぶん、ステラも頼れる身寄りがないのだ。

 しっかりしているように見えるが、まだ十五、六歳。

 そんな少女が、一人で働いて、子どもたちの生活費を稼ぐつもりでいる。


 その決意に満ちた顔を見れば、いったいどんな仕事に就くつもりなのか、容易く想像できて。


「あー」


 おれは頬を掻いた。


「その、良かったら、ステラも一緒に住まないか?

 ステラが居た方が、この子たちも心強いだろうし」

「! よ、よろしいのですか?」

「ああ」


 もちろん、最初からそのつもりだった。


「部屋もベッドも余ってるし。

 ちょうど、自給自足生活に挑戦しようと思ってたところで……いろいろと手伝ってもらうことになるかもしれないけど」

「は、はい、はい、それはもう、もちろんです……!

 ああ、神さま……!」

 ステラは胸元で十字を切ると、涙を拭った。三人の子どもを守り導きながら、ずっと不安を堪えていたのだろう。

 細い肩が震えていた。


「あの、お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」

「大成……」


 つい前の世界での名前が口を突きかけて、言い直す。


「ケント。おれは、ケント・オーナリーだ」

「ケントさん。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 改めまして、私はステラと申します。ステラ・ジルベールです」

「よろしく、ステラ」


 ステラは微笑むと、スープを平らげて眠たそうにしている赤髪の子を撫でた。


「この子はアシュリー・ティルケ。八歳。魔術士志望です。そして、この子は――」

「ノア」


 銀髪の少女は、凜とした声で言った。


「ノア・ルクレツィア。剣士志望。十二歳」

「よろしく、ノア」


 ステラは膝の上ですやすやと寝息を立てている金髪の子を見て、愛おしげに目を細める。


「そしてフィオ・ミリアムズ。一番年下の、五歳です。この子は召喚士を目指していました」


 おれは頷いて立ち上がった。


「詳しいことは、また明日。とりあえず、今日はよく眠って。

 明日の朝、風呂を湧かしておくから」

「いえ、そこまでしていただくわけには……」


 慌てるステラを遮る。


「みんな、よくがんばったよ。ここではもう、がんばらなくていいから。ゆっくり休むことだけ考えて」


 ステラは声を詰まらせて、深々と頭を下げた。


 おれは、安心したのか、すっかり眠りこけてしまっている赤髪の女の子――アシュリーを抱き上げた。


「うわ」


 その柔らかさに驚く。

 子どもってこんなぐにゃぐにゃしてるもんなの!?

 体温も高くて、なんだか別の生き物みたいだ。


 不安に思いながら、廊下を歩く。

 部屋はいくらでもあるから、一人一室でもいいが、四人一緒の方が安心だろう。


 四人部屋のベッドに寝かせ、ステラに燭台を預けた。


「部屋は好きに使って。たんすにある服も使っていい……と、思う」


 おれの所有物ではないが、建物も備品も、このまま朽ちていく運命にあったのだ。

 有効活用したほうが浮かばれるというものだろう。


「ありがとうございます」

「それじゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい、ケントさん」


 ステラが微笑む。はしばみ色の瞳が潤んでいた。


 おれは部屋を出ると、そっと扉を閉めた。



  ◆ ◆ ◆



 次の日。


 おれはいつもより少しだけ早く起きた。


 四人部屋の扉を開き、そっと覗く。

 みんなぐっすり眠っているようだ。ちゃんと休めているようで安心した。


 音を立てないよう気を付けながら、外に出る。


 たった一人で送るはずだったスローライフ、思いがけず女の子たちを保護することになったけれど、自分に架した掟は変わらない。

 魔術は飽くまで対魔物用。

 余計な面倒ごとに巻き込まないために、あの子たちにも、魔術を使うところは見せないでおこう。


 教会の横に周り、畑の様子を見に行く。


「おー」


 野菜はだいぶ成長していた。

 この調子だと、あと十日もすれば実が付きそうだ。

 収穫する時を想像して、今からわくわくしてしまう。

 ありがとう、『野菜すくすくスキル(仮)』。


「大きく育てよ~」


 せっせと井戸から水を汲んできては遣る。


 雫に濡れた葉や苗を満足して眺めていると、森からがさりと音がした。


「!」


 繁みに、赤い目がいくつも光っていた。


 魔物だ。

 そう認識するよりも早く、手が剣の柄に滑っていた。


 おれが身構えると同時、黒い炎に包まれた狼の群れが繁みから飛び出した。


『ガアアアアアア!』


 先頭の一匹が、牙を剥いて躍り掛かってくる。

 腰を据え、その鼻面を真一文字に切り払った。


『ギャン!』


 次いで右手から迫ってきた別の個体の腹部を貫く。

 虹色に輝く核が、ガランと地面に落ちた。


『グルルルル……』


 狼たちは警戒しながらも、退く気配はない。

 その数およそ二十頭。

 一匹ずつ相手していたのではキリがない。


 頭の中でイメージを練り上げるが早いか、指を鳴らす。


 周囲の石が浮き上がり、狼たちにつぶてとなって降り注いだ。


『ギャウ!?』


 急所を貫かれた狼たちが、次々と消滅していく。


 仕留めきれなかった残党に、剣でとどめを刺した。


「ふう」


 畑を踏み荒らされなくて良かった。

 早めに柵を作る必要がありそうだな。


 額の汗を拭いながら、剣を収めた、瞬間――


「わー、すごーい!」

「!?」


 振り返る。


 教会の窓から、四つの顔が覗いていた。


「あ」


 み、見られた……!?

 出会って初日に――魔術は見せるまいと誓ったばっかりなのに、見られちゃった!?


 少女たちは唖然とし、あるいは目を輝かせている。


 どうしよう、どう誤魔化せばいい!?


 うろたえている内に、赤髪の子――アシュリーが裸足のまま、窓からぴょーん! と飛び出した。


「あっ、アシュリー!」


 ステラの制止も聞かず、畑を迂回して全力で走ってくる。

 その勢いたるや、さながら飼い主を見つけた子犬だ。


 慌てて広げた両腕の間に、柔らかな身体が全力で飛び込んできた。


「うおっ!」

「わあ、すごい、すごーい! かっこいいっ! ねえ、もういっかいみせてーっ!」


 あどけない顔に、きらきら眩い笑みが弾ける。


「あ、ああー……」


 あまりに純粋無垢な笑顔を前に、おれは言い逃れることもできず、頬を掻いた。


 その日から、おれと少女たちとの、不思議な疑似家族生活が始まったのだった。





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― 新着の感想 ―
[一言] 20頭もの狼が居るのに子供連れで、ここまで良くたどり着けたね。
[気になる点] 教会に十字架ということは、異世界だけどキリスト教が普及している、ということ?
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