大賢人、密かなる仇討ち
強盗襲撃事件から、数日後。
ステラの作ってくれた薬のおかげで、傷はすっかり癒えた。
それでもしばらくは、畑仕事や作業を禁止されてしまった。
日中は、畑の世話はステラとノアに任せて、フィオと一緒に花壇を見たり、ヤギとにわとりに餌をやったり、アシュリーと本を読んだりして過ごす。
なんだかんだせわしない日々を送っていたので、こうしてまったり休むのは久しぶりだ。
そして、夜。
ステラは今夜も滋養のつくものを作ろうと、張り切って台所に立っている。
ノアがそれを補佐し、アシュリーとフィオは隙あらば手伝おうとまとわりついている。
賑やかに台所に立つ姿は、すっかり仲良し四姉妹だ。
◆ ◆ ◆
深夜。
トイレに行った帰りに、子ども部屋をそっと開く。
最近ではすっかり、こうして子どもたちの寝顔を見るのが習慣になっていた。
なんというか、アシュリーたちが安心しきって眠っているのを見ると、たまらなく癒やされるのだ。
あどけない寝顔や、規則的に上下する布団、すうすうという寝息に胸を満たされて、静かに扉を閉める。
食堂に戻ると、ステラがミルクを温めてくれていた。
「お勉強もいいですが、あまり根を詰めないでくださいね」
「ああ。これを読み終わったらすぐ寝るよ」
ステラは微笑んで、裁縫に目を落とす。
深夜の食堂。ランプの芯が燃える音が、時折耳を打つ。
柔らかな光の中で文字を追っていると、遠く、海鳴りのような鳴動が響いた。
「……なんだ?」
耳を澄ます。
もう一度、今度はさっきよりも長く、大きく。
立ち上がり、窓の外を見る。
南東の空が赤く染まっていた。
「アマンの方向だな」
胸騒ぎがする。
息を詰め、じっと目を凝らした。
アマンの上空を、何かが飛んでいる。
巨大な翼を広げた、不穏な影――
ステラが息を呑んだ。
「あれは……火竜……!」
「!」
アシュリーたちの学園を襲ったという、あの火竜か。
「…………」
おれは踵を返すとコートを羽織った。
「ケントさん!?」
「行ってくる。アシュリーたちを頼む」
おれが何をしようとしているのか悟ったらしい、ステラが青ざめる。
「だめです、いくらケントさんでも、一人で火竜に挑むなんて……!」
「大丈夫だ。必ず戻る」
「……っ」
ステラは黙って両手を握りしめていたが、やがて顔を上げると、おれの首に腕を回した。
「ステラ……?」
驚くより早く、頬に、柔らかな唇が触れる。
「いってらっしゃい」
「……ああ」
教会の外に出る。
おれは風を纏うと、一気に浮上した。
教会は振り返らなかった。
今はただ、もう一度あの場所に戻って『ただいま』と言う、それだけを考えればいい。
夜空を裂いて飛ぶ。
アマンの上空、赤い粒子が舞っている。
街を見下ろすと、あちこちから火の手が上がっていた。
踊る炎の中、騎警隊が人々を避難させている。
『ギェアァァァアァァァァァ!』
鼓膜を震わせる咆哮に、目を上げる。
牛すらひと呑みにできようかという巨大な顎。
ずらりと並んだ牙。
骨張った翼。
――竜の王が、そこにいた。
赤い鱗に覆われた巨躯は、まさに悪夢を体現したような姿だった。
最強と呼ばれる竜と、空中で対峙する。
火竜が真紅の瞳孔でおれを見据え、ゆっくりと顎を開く。
暗い深淵から、激しい炎が迸った。
避けることもせず、ただ迎え撃つ。
炎の奔流が、風の衣に触れるや霧散した。
火竜の瞳孔が怒りに燃え上がる。
『グ、ガァァァァアアア!』
翼が空を打ち、巨体がうねりながら迫る。
巨大な顎が、おれの全身を砕こうと牙を剥いた。
その深淵に向かって、おれは手をかざした。
「うちの子たちが寝てるから、静かにしろ」
赤い粒子が収束し、手のひらから炎が逆巻いた。
『ガアァァアァァァァァァァアアァアアァアッ!』
竜の断末魔が、夜空を震わせる。
赤い巨躯が業火に呑み込まれ、黒い霞となって崩れ落ちていく。
炎を司る火竜が、まさか丸焼きにされるとは思っていなかっただろう。
街に落下していく巨大な核を見下ろす。あれがあれば、復興の足しになるはずだ。
おれは空に漂う水の粒子を集め、雨を降らせた。
◆ ◆ ◆
そして、翌朝。
ことことと煮える鍋の音が、耳に心地良い。
ステラの鼻歌に耳を傾けながら本に目を落としていると、アシュリーたちが飛び込んできた。
「パパ、おはよー!」
「ああ、おはよう」
「ふぁ……」
「フィオ、寝ぐせなおしてやるからおいで」
「ケント、鏡見た? ケントの寝ぐせもすごいよ」
「そうか。後で見てみるよ」
「ぼくがなおしてあげる」
と、アシュリーがおれの胸に顔を押し当てて、ふんふんと鼻を鳴らした。
「パパ、なんだかこげくさ~い」
「ああ。昨日、燻製を作ったからかな?」
台所に立っているステラが、ふふっと笑った。
「? どうしたの、ステラ。にこにこして」
「なんでもないですよ。朝ごはん、もうすぐできますからね」
「ぼくも手伝うよ。目玉焼き、どうする?」
「あしゅり、はんじゅくがいい!」
野菜たっぷりの料理で彩られた食卓を、五人で囲む。
『いただきます!』
窓から差し込む日差しと、香ばしいパンの香り。
賑やかな笑い声。
いつも通りの日常が、そこにあった。
アシュリーがほっぺにトマトソースを付けながら、楽しそうに笑う。
「ねえパパ、今日は何して遊ぶー?」
「そうだなぁ」
目を細めながら、食堂を見渡す。
絵本やぬいぐるみ、食器、裁縫道具。
最初は何もなかったのに、いつの間にこんなに増えたのだろう。
(もうヒトもモノもカネもいらないと思ってたけど……こういうのは、ちょっといいな)
おれはカリッと香ばしいベーコンと一緒に、こみ上げる笑みを噛み締めた。
今日もいつもどおり、平和で賑やかな一日が始まる。
ここまでお読みいただきましてありがとうございます、これにて第一章完結となります。
次章は来月末にUP予定ですので、ちょっと間が空いてしまいますが、お待ち頂けますと幸いです。




