行商の男
異世界の生活にすっかり慣れた、ある朝。
 
畑仕事をしていると、「すいませーん」と聞き慣れない声がした。
顔を上げる。
 
森から、籠を背負った商人らしき男が、汗をふきふき出てくるところだった。
 
「おお、良かった、人がいた」
 
壮年の男は、おれを見て安堵したような笑みを浮かべ――ふらぁっとよろけ、そのまま倒れ込んだ。
 
「だ、大丈夫ですか!?」
 
オレは商人の肩を抱えると、慌てて教会に運び込んだ。
 
 
 
◆ ◆ ◆
 
 
「ご迷惑をおかけしまして、すみません」
「いえ、ご無事で良かったです」
 
食堂の椅子に座って恐縮している男に、お茶を出す。
 
急に倒れた時には度肝を抜かれたが、幸い疲れていただけのようだ。
 
「いやあ、アマンの街に行くつもりが、森で迷ってしまいましてね。助かりましたよ」
「魔物に襲われなくて良かった」
 
おれは笑いながら、男の向かいに腰を降ろした。
 
ステラたちは、裏で洗濯をしている。
しっかり者のノアは、男を見るなり、「なんかあの人、うさんくさくない? 押し売りとかされないでよ?」と心配していた。
 
男は興味深そうに食堂を見回す。
 
「しかし、こんなところに人が住んでいるとは、驚きました。随分とお若いですが、たんまり稼いで隠居生活というところですかな? いやはや、羨ましい」
「いやいや、自給自足でなんとかやっていってます」
「ほう、自給自足。そういえば見事な畑でしたなぁ」
 
成人男性とこうして話し込むことなど久しぶりなので、なんだか新鮮だ。
先日降った大雨や、庭の野菜のことなど、他愛ない雑談をする。
 
「ところで、私は行商をしておりましてね。雑貨や調理器具なんかを取り扱っておりまして……いかがですか、もしよろしければ、見てみませんか?」
 
ノアが予言したとおりの展開に苦笑する。
 
「ええ、ぜひ」
 
とりあえず、見るだけ見てみよう。
掘り出し物があるかもしれないし、ぼったくりなら断ればいい。
 
「そうですか、では……」
 
男はいそいそと籠の中に手を突っ込み――次の瞬間、テーブルを乗り越えて飛びかかってきた。
 
「!」
 
突然の強襲に為す術もなく、背中から床に叩き付けられる。
 
「っ、ぐ……!」
 
腹部に重みが掛かってもがく。
椅子が倒れ、派手な音が鳴り響いた。
 
男の手の中で、短剣がぎらりと光る。
 
強盗……!
 
おれはとっさに魔術のイメージを練り上げ――短剣が、のど元目がけて振り下ろされた。
 
「っ……!」
 
歯を食い縛り、かろうじて身をよじる。
肩に灼熱の痛みが走った。
 
「……!」
 
床に刺さった短剣が勢いよく抜ける。
そのまま顔面目がけて振り下ろされた手を、間一髪で掴んだ。
 
「はっ……はぁっ……!」
 
鈍く光る切っ先の向こうに、殺意に歪んだ男の顔が見えた。
 
視界がかすみ、指が震える。
――毒が仕込まれていたか。
 
少しずつ、短剣が降りてくる。
鋭い切っ先が額に触れ――刹那、視界に銀色の閃光が走り、男が吹っ飛んだ。
 
「ぐゥっ!?」
 




