呪いを解いて
「ステラー! パパとフィオがかえってきたよ!」
ずっと外で待っていたのか、ぱたぱたと教会に駆け込むアシュリーのあとについて、ドアをくぐる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
金色の粉が詰まった瓶を渡すと、ステラはさっそく調合に入った。
鍋を火に掛け、いくつかの材料と混ぜ合わせる。
しばらく煮込むと、とろりと金色の液体が完成した。
甘い香りを漂わせるそれを器に移し、部屋に持っていく。
ぐったりと横たわった半獣の少女に器を差し出すと、わずかに身じろぎした。
牙の間から、ぐるるる、と低い呻きが押し出される。
警戒心を露わにする少女に、フィオがおそれげなく手を伸ばした。
「だいじょうぶ。だいじょうぶ」
いつもおれがそうしているように、ゆっくりと繰り返しながら、頭を撫でる。
少女はしばらく唸っていたが、やがて耳をぴるっと動かした。
薬の入った器をじっと見つめる。
フィオは薬をひと匙すくうと、自ら口に含んだ。
「おいしい、よ……?」
「…………」
少女がおずおずと唇を解く。
その口に、フィオはそっと匙を含ませてやった。
少女の喉がこくりと鳴る。
刹那、金色の光が少女を包み込み、やがて収まった。
「……???」
少女は不思議そうに自分の両手を見下ろしている。
その顔からは、苦悶の表情は消え失せていた。
固唾を呑んで見守っていた全員が、詰めていた息を、ほぅっと吐き出す。
「食べられそうか?」
マダライノシシのスープを差し出すと、少女はしばらくにおいを嗅いでいたが、おそるおそる舌先をスープに突っ込んだ。
アメジストの目が見開かれる。少女はそのまま器に鼻を突っ込んで、夢中で食べ始めた。
「良かった」
胸をなで下ろす。呪いは無事に解けたらしい。
「名前は? 言えるか?」
少女はおれを見上げた。
アメジストの瞳が、またたく。
「……ルキ」
「ルキ。ここで、一緒に暮らそうか」
ルキが望むかは分からないが、せめて体力が戻るまで、面倒を見てやりたかった。
「…………」
けれどルキは、ふるるっと首を振った。
まだ人間に対する警戒心が解けきっていないらしい。
「そうか」
ルキはスープを平らげると、教会の外に出た。
無言でおれたちを見つめる。
「また、いつでも来いよ」
「まってる……」
精一杯声を張り上げるフィオに、ルキはしっぽを大きく振り、森へと帰っていった。
◆ ◆ ◆
その夜。
みんなが寝静まったあと、食堂で本を読んでいると、頭にリスを乗せたフィオが顔を出した。
たくさん歩いて疲れただろうに、どうしたんだろう。
「どうした、トイレか?」
そう問うと、フィオはふるふると首を振り、おれの手を引っぱった。
「ぱぱ、ねんね、ねんね」
「はいはい」
笑って本を閉じる。
また怖い夢でも見たのだろうか。
燭台を持ち、暗い廊下を歩く。
フィオについていくうちに、子ども部屋を通り過ぎてしまった。
「フィオ、部屋はここだぞ?」
「ねんね」
フィオはおれの部屋に入ると、ベッドを叩いた。
「あ、おれが寝かしつけられる方なんだ?」
てっきり絵本を読んで欲しいのかと思った。
おれが夜更かししていたので、心配してくれたのだろう。
ベッドに入ると、フィオは小さな手で胸元をぽふぽふと叩いてくれた。
おれがフィオを寝かしつける時の仕草だ。
なんだか心臓がきゅうんとする。
子どもって、ちゃんと見てるんだなぁ。
そのうち自分が眠くなったのか、フィオは船をこぎ始めた。
「おいで」
笑って布団を持ち上げると、フィオはもぞもぞと潜り込んできた。
子どもって体温高いんだな。
「がんばったなぁ」
柔らかなぬくもりを、布団の上から叩いてやる。
出会ってから今日までで、フィオはずいぶん成長した。
フィオはおれの胸に額を擦り付けるようにして丸まっている。
その目尻に、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……せっかくできた友達と別れて、寂しかったかな?」
少しは強くなったとはいえ、優しくて寂しがりなところは変わらない。
感受性の豊かさは、フィオの長所だ。
フィオの魅力を大切にしながら、もっと伸ばしてやりたい。
と、窓の外で小さな物音がした。
「ん」
そっとベッドを出て、窓を開ける。
誰もいない。
窓の下をのぞき込もうとして、気付く。
窓辺に、どんぐりやベリーといった、木の実が置いてあった。
ふっと笑みがこぼれる。
しなやかでちょっぴり警戒心の強い、半獣の少女。
再会できる日は近い気がした。