はじめての召喚
フィオが連れてきたのは、険しい崖のふもとだった。
「この、うえ……」
小さな指が上空を指す。
何か感じるものがあるのかもしれない。
おれは頷いた。
「行ってみよう」
植物の気配はないが、フィオの勘を信じたい。
右手に回ると、登れそうな道を見つけた。
「気を付けて」
フィオを先に行かせ、もし足を踏み外してもいつでも魔術を使えるよう、身構えながら後に続く。
岩がごろごろと転がる道を、フィオは懸命に登る。
やがて、崖道を上りきると、一面の花畑が現れた。
「おお……!」
咲き乱れる花の間を、金色に透き通る蝶が舞っている。
「これが、黄金蝶……」
幻想的な光景に、フィオは言葉もなく見惚れている。
おれは、蜜を吸っている蝶の羽根にそっと触れて、小瓶に粉を詰めた。
が、
「足りないな……」
粉を集めて回ったが、ステラが瓶につけてくれた印、それより遙かに少ない。
フィオは半獣の少女のことを思いだしているのだろう、おろおろと辺りを見回している。
おれはしばし思案に暮れ、やがて口を開いた。
「フィオ。召喚、してみるか?」
「?」
荷物から、魔方陣を描いた布を取り出し、地面に広げる。
「黄金蝶の姿を思い浮かべて、仲間がここにいるよって呼ぶんだ。誰かに捕らえられて、世界中に散らばっている黄金蝶に語りかけるんだ。帰っておいでって」
「……ぁ、ぅ」
フィオは不安げに眉を下げている。
きっと、にわとりを召喚しようとして気を失った時のことを思いだしているのだろう。
小さな手を握る。
「大丈夫。フィオはずっと強くなったよ」
のびのび遊んで、おいしいものを食べて、よく眠って。
初めて出会った時は、いつもびくびくしていたけれど、近頃はたくさん笑うようになった。
召喚に失敗した時よりも、フィオの身体も心も、確実に強くなっている。
魔力が生命力だというのなら、きっと今のフィオなら大丈夫だ。
「フィオの力で、黄金蝶を助けるんだ。想いを込めて喚べば、フィオの優しいきもちが、きっと伝わるはずだから」
「…………」
フィオは噛み締めるように頷くと、魔方陣の前に立った。
目を閉じ、両手を組む。
一瞬の静寂。
魔方陣が淡い光を帯び、やがて大量の黄金蝶が舞い上がった。
「ふわ、ぁ」
フィオが目を見開く。
翡翠色の瞳が、眩い金色を映して宝石のように輝いた。
魔方陣から現れた蝶たちが、仲間との再会を喜ぶように、色とりどりの花の間を舞い飛ぶ。
まるで夢のような光景だった。
おれはふっと目を細めた。
フィオは黄金蝶たちの姿に見入っている。
その横顔に疲労の色はない。
どうやら成功だ。
――召喚には、たぶん二パターンある。
ひとつは、魔力を対価に動物を召喚する、通常の召喚。
そしてもうひとつは、召喚獣が自ら望んで応じる召喚だ。
伝記によると、大賢人リュカや、伝説の召喚士たちの傍らには、いつも強力な幻獣がいたという。
それらの逸話をもとに、おれは、ひとつの仮説を立てた。
彼らと召喚獣は、魔力の代わりになるもの――絆で繋がっていたのではないか。
だから、魔方陣を通して召喚獣に直接語りかけ、心を通わせることができれば、最小限の魔力で、あるいは魔力なしで召喚できるのではないかと、そう思ったのだ。
黄金蝶を助けたい。
蝶々たちが、そんなフィオの優しさに、応えてくれた。
「よくがんばったな、フィオ」
頭を撫でると、フィオは嬉しそうに首をすくめた。
黄金蝶の横にしゃがみ込み、金色に透き通る羽根を、そっとつつく。
粉を瓶に詰めて、しっかり蓋をした。
「そうだ、カナンさんに教えなきゃな」
崖を降りて、事の次第をカナンに伝える。
「本当!?」
驚くカナンたちを連れて、一緒に崖の上に登った。
黄金蝶の群れを見た途端、集団から歓声が上がった。
カナンが興奮をあらわに目を見開く。
「なんてこと! 信じられない! いったいどんな魔法を使ったの?」
おれはフィオの金髪に手を置いた。
「この子が召喚したんです」
「まあ!」
カナンはフィオを抱き上げ、ぷにぷにほっぺに思いっきり頬ずりした。
「ふぁ……!」
「ありがとう、可愛い召喚士さん! あなたはあたしたちの恩人よ!」
勢い余ってキスしようとするのを、おれは慌てて止めた。
「ありがとう、ケント、フィオ! あなたたちのこと、忘れないわ!」
カナンは崖の上から、見えなくなるまで手を振っていた。
「よし、一気に行くぞ」
周囲に誰もいないことを確かめると、おれはフィオを抱えて浮遊した。




