獣人の少女
朝の食堂。
ステラとノアは食器を洗い、アシュリーはおれのとなりで本を読んでいる。
窓の外に目を向ければ、フィオが花壇に水を遣っていた。
昨日、黒い土から小さな芽が出ているのを見つけて、とても嬉しそうにしていた。
ふっと目を細めると、読みかけの本に視線を戻す。
読んでいるのは、召喚術の歴史だ。
召喚が、召喚の時間が長ければ長いほど魔力を奪っていく、いわゆる時給制だということは分かった。
だが、百年前、勇者たちを導いた大賢人リュカは、常にグリフォンと共にいたという記述がある。
グリフォンといえば幻獣の中でも高位にあたる。
そうすると、リュカは常に魔力を削られ続けていたということになるが……
リュカの他にも、恒常的に幻獣を使役していた召喚士の例は、数は少ないもののいくつか散見される。
中には召喚士と生涯を共にした幻獣もいるという。
教本によると、魔力が高いほど優れた召喚士になり得るというのが通説だ。
とすると、彼らが並外れた魔力の持ち主だったのか、あるいは……
「…………」
本を閉じて眉間を揉む。
優れた召喚士とは何だろう。
召喚に大切なのは、対象をよりリアルに想像することだという。つまりは対象をよく知ること。
もしも魔力以外に、必要な素質があるとしたら――
「ぱぱ……!」
くぐもった声に顔を上げる。
フィオが伸び上がって、窓を叩いていた。
「どうした」
急いで外に出る。
フィオはおれの手を掴んで、森へと入る。
そこには、ぼろきれをまとった子どもが倒れていた。
「! 大丈夫か!」
抱き起こそうとすると、瀕死に見えた子どもが飛び起きた。
「ガァウ!」
鋭い爪が鼻先を掠めて、間一髪でのけぞる。
「ぐるるるる……」
細い喉から凶悪な唸り声が漏れる。
それはやせ細った女の子だった。
ただし、その指先は鋭い爪に覆われ、灰色の耳と尻尾が生えている。
牙を剥き出しながら唸る様子は、手負いの狼のようだ。
ふと、その足首に目をやる。
足には鎖のついた重たげな枷が嵌められ、血が滲んでいた。
「悪い、ちょっと我慢してくれ」
「ガァア!」
威嚇しようとするのを制して、枷を魔術で砕く。
「!」
見開かれた瞳に、笑いかけた。
「もう大丈夫だ」
少女は言葉もなくおれを見上げていたが、やがて糸が切れたようにくたりとうずくまった。
力の抜け落ちた身体を抱き上げる。
教会に連れて帰ると、ステラが驚きながらも部屋の準備を整えてくれた。
残った力を使い果たしたのか、弱々しくベッドに横たわった少女を見て、痛ましげに呟く。
「半獣の子ですね……可哀想に、主人の下から逃げてきたのでしょう」
「どういうことだ?」
ステラは言いづらそうに口を開いた。
「半獣は、昔は奴隷として扱われていて、今でも迫害されているのです」
血の滲んだ足首を、アシュリーがさする。
「いたいの、かわいそう……」
マダライノシシの肉を柔らかく煮たスープを差し出す。
少女はかすかに反応は示すものの、弱り切っていて咀嚼する力も残っていないようだった。
スープを飲ませても、咳き込んで吐いてしまう。
「もしかすると、呪いかもしれません」
「呪い?」
ステラが「ええ」と硬い表情で頷く。
「昔は奴隷が逃げるのを防止するために使われていたのですが……術者から離れるほどに、体力を奪われるという呪いがあって……」
思わず顔をしかめる。
人としての尊厳を奪う、とんでもない呪いだ。
「この子を救うには、術者の元に戻すか、あるいは呪いを解くしか方法はございません」
ならば、後者一択だ。
「呪いはどうやったら解けるんだ?」
「解術の秘薬を飲ませれば」
「それは街に売ってるか?」
「いいえ。ですが、私もシスターの端くれ。多少調合の心得があるので、材料さえ揃えば作ることができます。ただ、解呪薬を作るには、黄金蝶の粉が必要で……」
ノアが、書庫から図鑑を持ってきた。
「あった、これだね」
そこには、金色に輝く蝶のイラストが添えられていた。
ひどく稀少な蝶で、生態が謎に包まれているらしい。
その羽根から採れる粉は滋養強壮の効力を持ち、相当高値で取引されているようだ。
現在は蝶の数が減り、大きな街でも入手困難になっているという。
そうすると、直接探しに行ったほうが確実かもしれない。
「黄金蝶は、ここから北東にある、ノーザン高原に生息してるって」
地図を広げた。
馬車で行っても、ここから三日はかかる。
背に腹は替えられない。
魔術で行こう。
食堂で荷物をまとめていると、フィオがやってきた。
「フィオも、いく」
あどけない顔にみなぎる決意の色を見て、頷く。
「ああ、一緒に行こう」