和食を食べよう
昼いっぱいかけて、壊された分の畑を耕し終えた。
小悪魔は、食堂の椅子に悄然と腰掛けている。
その前に、できたばかりの味噌汁を置いた。
「なんだこれ、泥水?」
「味噌汁だ」
「ミソシル……」
さらに、炊きたての米で作った塩にぎりも三つ出してやる。
「なんだこれ、雪玉?」
「塩にぎりだ」
「シオニギリ……」
「食べてみろ、おいしいぞ」
「ふん! 人間の作ったものなんて、誰が――」
言いも切らず、きゅるるるぅ~、と愛らしい音が響く。
「…………」
みんなが見守る中、小悪魔は塩にぎりに手を伸ばした。
おそるおそるかじる。
その目が丸くなった。
「……こんなの、初めて食べた」
もう一口。さらに一口。
喉が詰まりかけたのか、味噌汁をふーふーして飲んで、目を輝かせる。
「これ……」
「そのナスと調味料な、自家製なんだ」
「…………」
小悪魔は二個目の塩にぎりを手に取った。かぶりつく口は、さらに大きく。
「うまいか?」
「おい、しい」
頬に米粒を付けながら、小悪魔は呟いた。
「おいしい……」
その目から、ぽろぽろと大粒の涙が零れる。
しゃくりあげる小悪魔の背中を、アシュリーが心配そうにさすった。
「泣かないで、ベアちゃん」
「ベアちゃんってだれだ!」
おれはその向かいに座って、切り出した。
「それで? どうしてうちにきたんだ?」
小悪魔はしばらく俯いていたが、やがてぽつりと零した。
「ディムタール様、……あ、オレサマの上司なんだけど――すごく厳しくて……毎日、経験値の高い冒険者を三人以上倒せって、ノルマがあって……」
ノルマという言葉に、社畜センサーが反応する。
年端もいかない少女にそんな厳しいノルマを課すなんて、なんてブラックな職場なんだ。許しがたい。
「ノルマを達成できないと、脇腹こちょこちょの刑なんだ……」
待って、魔物の労働環境、思ったより緩い。
小悪魔は声を詰まらせながら話を続ける。
「オレサマ、ぜんぜんノルマを果たせなくて……ぜったい、挽回しなきゃって思って……そしたら、この教会に、詠唱なしに魔術を使うやばいヤツがいるって話を小耳に挟んで……」
「それ、どこで噂になってるんだ?」
「魔物ネットワーク」
そんなものがあるのか。
まずいぞ、おれの知らないところで、噂が広まりはじめている……
「それで、大賢人の首を持って帰ったら、四天王様、ぜったいに喜ぶと思って……」
一通り耳を傾けて、おれは厳かに口を開いた。
「なあ、ベトリ、ベリ、ベ……ベクリアトス」
「ベアトリクスだ!」
「おれは、大賢人なんてたいそうなもんじゃないんだ。和食が作れるのが取り柄なだけの、しがない一般人だよ」
「一般人があんなめちゃくちゃなデコピンできるかよ!?」
あれはごめん、と笑って頬杖を突く。
「……おれも、昔はひどい環境で働いててさ。毎日辛くて、苦しくて、なんのために生きてるか分からなかった。でも、ここに来て、ようやく夢にまでみた生活を手に入れたんだ」
ごはんのにおいと温かな記憶で満たされた食堂を、目を細めて見渡す。
何か感じ取ったのか、アシュリーが膝によじ登ってきた。その頭を撫でる。
「今はただ、この子たちと静かに暮らしたい。それだけなんだ……分かってくれるか?」
「…………」
小悪魔はぐし、と涙を拭って、鼻声で呟いた。
「……ミソシルとシオニギリの礼だ、きょ、今日だけは、見逃してやるよ」
「助かる」
おれは笑うと、手を叩いた。
「よし、みんなで食べるか!」
アシュリーたちが歓声をあげる。
「おにぎり、おいしー!」
「噛めば噛むほど甘みが出ますね」
「なんか、シンプルだけどいくらでも食べられるね」
「オミソシル、おかわり……」
「おっ、フィオ、味噌汁の良さが分かるとは、見どころがあるなぁ」
フィオのおかわりをよそうついでに、小悪魔にも聞いてみる。
「おかわりは?」
「……ん」
差し出された器を、おれは笑って受け取った。
◆ ◆ ◆
おにぎりを食べ終え、ステラと一緒に食器を洗う。
その間、子どもたちは小悪魔と仲良くなったようだ。
アシュリーは追いかけっこ、ノアはあやとりをして、フィオは図鑑を持ってきて花の種類を教えてあげたみたいだった。
夕暮れに染まる窓の外を見て、小悪魔がぽつりと呟いた。
「……オレサマ、そろそろ帰らなきゃ」
外に出る。すでに陽は傾き、湖はオレンジ色に輝いていた。
「じゃあな、ベリトアクス」
「ベアトリクスだっつの!」
「また遊びに来いよ。こいつらも喜ぶし」
小悪魔は「ケッ」と口を歪めた。
「誰が来るかよ! ……次は子羊のソテーを用意しておけよな!」
来るんだ。
子羊の肉って、アマンで売ってるかな?
黒い羽根が羽ばたき、小悪魔が浮き上がる。
「あばよ!」
「元気でな」
「またねー、ベアちゃん!」
「だからベアちゃんってだれだ!」
夕暮れの空に小さくなっていく背中を見送る。
思えば、この教会に訪れた、初めてのお客さんだった。
本当に、また来てくれるといいな。
遠く空を見ていると、ふと、ステラが呟いた。
「あの、ケントさん」
「うん?」
「あの子、四天王がどうこうって言ってましたね」
「……あ」
ついでに魔物の情勢がどうなっているのか、詳しく聞いてみれば良かった。
……まあ、次に来た時でいいか。
それ以来、小さなデーモンはちょくちょく遊びに来るようになるのだが……それはまた、別の話。