銀色の閃光
 
 
翌朝。
 
日が昇ると同時に起きて朝食を食べ、支度を調えた。
 
ノアと二人、街を出る。
これまで魔物は何体か倒したが、狩猟は初めてだ。ちょっと緊張する。
 
道を進むと、うっそうと茂った森が見えてきた。
ローランド大森林だ。
 
深い緑が、おれたちを包む。
心なしか空気が濃い。
この森はフェルテス大陸の中でも五本の指に入る規模で、魔物も多く生息しているらしい。
慎重に進もう。
 
オルダーのレシピ本には、マダライノシシは泥で身体を洗う習性があると書いてあった。
オルダーが実際にマダライノシシを狩った沼も紹介されている。
 
その地図に従って歩いていると、やがて広大な沼が現れた。
 
……が。
 
「うーん……」
 
そこら中から人の気配を感じる。
目を凝らすと、木の上や葦の向こうに、冒険者の姿が見え隠れしていた。
 
「ノア、どう思う?」
「マダライノシシは、嗅覚が優れてるって、本に書いてあった。こんなに冒険者がいたんじゃ、ここには来ないと思う」
 
おれは頷いて、踵を返した。
 
「別の沼を探そう」
 
木に印を付けながら、森を進む。
と、前を歩いていたノアが声を上げた。
 
「ケント、見て。足跡だ」
 
しゃがみ込んで調べる。
草の間、たしかに巨大な蹄の跡が残っていた。
 
足跡をたどっていくと、洞窟があった。
入口に、踏み荒らされた跡がついている。
ごく最近のものだ。どうやらここをねぐらにしているらしい。
 
詳しく調べると、もっとも新しい足跡は洞窟に入った足跡だった。
つまり、マダライノシシがこの中にいる。
 
「どうする、ノア?」
 
問いかけると、ノアはじっと考え込んで、おもむろに口を開いた。
 
「下手に中に入らないほうがいいと思う。森に人間が立ち入るようになって、マダライノシシはきっと殺気立ってるだろうから。
火を起こしていぶり出して、そこを仕留めるのがいいんじゃないかな?」
 
すごいな、ノア。
さっきから言うことがいちいち的を得ている。
もともと観察眼に優れているとは思っていたが……うちの子天才じゃないか?
 
「ねえ、ケント。ぜんぶ口に出てるよ」
「……そうか」
「そういうの、なんていうか知ってる?」
「なんていうんだ?」
 
ノアが、目元をふっと緩めた。
 
「親ばか」
 
返す言葉もない。
 
火をおこすための小枝を集めていると、どこかで聞いたことのある高笑いが響いた。
 
「おーほほおほ! また逢いましたわね、ケント・オーナリー!」
 
振り向くと、きらびやかな装具を身にまとった冒険者四人組が立っていた。
 
その先頭で、派手な金髪の少女が胸を張っている。
あー、見たことある、けど……
 
「誰だっけ?」
「サラジーンですわ! 向かうところ敵なしの冒険者! フェルテス大陸希望の星!」
 
サラジーンは地団駄を踏んだが、おれたちの装備を見て鼻を鳴らした。
 
「もしかして、あなた方もマダライノシシ狩りにいらしたの? この森には凶悪な魔物も出るのよ? 冒険者のまねごとなどしていないで、さっさと帰るのが賢明ですわよ」
 
サラジーンは言うだけ言って、傲然と問うた。
 
「ところで、この辺りで、沼を見かけなくて?」
 
妙なところで出くわすものだと思ったが、もしかして迷っていたのだろうか。
 
「沼ならあっちにあったけど」
「あら、そう」
 
さっさと歩き出すサラジーン。
その仲間の剣士らしき男が、おれに問いかけた。
 
「あんたらは、ここで何してんだ?」
「ああ、猪の足跡が、この奥に続いてて――」
「ケント!」
 
ノアに遮られて、慌てて口を噤む。
 
が、時すでに遅し。
 
サラジーンが振り返った。
その顔には、にたりと不穏な笑みが貼り付いている。
 
「あーら、獲物が出て来るまで待っていようという魂胆? 腰抜けですこと!」
 
サラジーンはばさりを髪を払った。
 
「マダライノシシはわたくしたちが仕留めさせていただきますわ。行きますわよ、みんな!」
 
仲間を連れて、意気揚々と洞窟に入っていく。
 
ノアが肩を落とした。
 
「もー、ケント」
「悪い」
 
ノアは「大丈夫かな、あのお姉さんたち……」と洞窟の奥に心配そうに目をやっている。
サラジーンたちが入ってしまったので、いぶり出し作戦は使えない。
 
「別のポイントを探そう」
 
地図を覗き込み、他にマダライノシシのいそうな場所を相談していると、低く地鳴りが響いた。
遠く、悲鳴のようなものも聞こえる。
 
「なんだ?」
 
洞窟を覗き込む。
 
「いやあああああああああああああああああああ!」
 
甲高い悲鳴が徐々に近付いてきたかと思うと、サラジーン一行が飛び出した。
 
「!?」
 
嫌な予感が走ってノアをさがらせた次の瞬間、巨大な茶色い塊が視界を横切った。
 
「うわっ!?」
 
凄まじい風圧が鼻を掠める。
洞窟から飛び出したのは、一軒家ほどもある巨大なイノシシだった。
 
マダライノシシってこんなデカいの!?
 
赤い目は怒りに燃え、腕ほどもある牙が凶悪に光る。
毛の一本一本は針のようだ。
 
「こんな化け物だなんて聞いてませんわよ!?」
 
サラジーンが金切り声を上げる。
イノシシはすっかり怒っているようで、赤い目を爛々と光らせて、逃げ惑う彼らを追い回した。
 
「ど、どうしよう、ケント」
「ど、どうしような?」
 
イノシシの勢いが凄まじすぎて、右に左にと森を駆け抜けるサラジーンたちを、おろおろと見守ることしかできない。
 
と、サラジーンが木の根に足を取られて転んだ。
 
「あっ!」
「お嬢!」
 
仲間たちが慌てて引き返そうとするが、間に合わない。
へたり込むサラジーン目がけて、イノシシが一直線に突っ込んだ。
 
「!」
 
考えるより早く飛び出していた。
魔術で加速し、サラジーンを背中に庇うと同時、剣を引き抜いた。
 
剣に風をまとわせ、思い切り投げつける。
 
音速の矢と化した剣は狙い違わず、イノシシの眉間を貫いた。
 
『ブギィィィイイイイイイイイイイイイイイイ!』
 
イノシシが断末魔の悲鳴を上げて横倒しになる。
周囲の木が折れ、どぉぉぉん! と轟音が響いた。
 
ぴくぴくと足を震わせるイノシシを見上げて、サラジーンは青ざめている。
 
「あ、あ、あ……」
「大丈夫か?」
 
サラジーンに手を差し出した時、森の奥から足音が聞こえてきた。
 
「なんだ、なんだ」
 
騒動を聞きつけたのか、冒険者たちが集まってくる。
 
「すげぇ、マダライノシシだ!」
「誰かが仕留めたみたいだぞ、大物だ!」
 
幻の高級食材をひと目見ようと、冒険者たちがわらわらと集まってくる。
 
「ケント、大丈夫?」
 
駆け付けたノアが、はっと顔を強ばらせた。
 
「ケント、あれ!」
「ん?」
 
興奮している冒険者たちの背後。
木の皮がゆっくりと盛り上がり、人の姿になりつつあった。
 
「ドライアド!」
 
木に擬態できる魔物。
尖った爪が、冒険者たちの背中に狙いを定める。
 
「危ない!」
 
おれが動くよりも早く、ノアが地を蹴った。
木々の間を、銀の閃光となって駆け抜ける。
 
『ギギィ!?』
 
冒険者たちを爪に掛けようとしていたドライアドたちが、細剣に両断され、黒い霞となって溶け消える。
 
「!?」
 
甲高い絶叫に振り返って、冒険者たちはようやく事態を飲み込んだようだった。
 
「た、助かったわ、ありがとう……!」
「きみ、まだ子どもなのにすごいな!」
「あ、うぁ、えっと……」
 
いつもの凜とした姿はどこへやら、ノアはもじもじとおれの袖を引っぱった。
 
「その、これは、ケントのおかげで……」
 
ノアに集まっていた視線が、一斉におれに向けられる。
 
「おお、こんな勇敢な剣士を育てるとは、さしずめ勇者を導いた大賢人といったところか」
「いや、そんな大袈裟なものじゃないですよ、この子の努力の結果です」
 
笑いながら、ノアの頭を撫でる。
ノアは嬉しそうに頬を染めていた。
 
冒険者たちを見回して、提案する。
 
「ところで、このイノシシなんですけど、多すぎるので、良かったら少し持っていきませんか?」
「えっ、いいんですか?」
「その代わりといってはなんですが、捌き方を教えていただけたら助かります」
 
その場にいる冒険者たちの手を借りて、巨大イノシシを解体する。
時間はかかったが、なんとか捌けた。
全パーティーに行き渡るよう、肉を分け合う。
 
「この恩は忘れないよ、小さな剣士に大賢人さま!」
 
嬉しそうに去って行く冒険者たちに、手を振り返す。
 
ふと横を見ると、ノアが真剣な顔をして考え込んでいた。
 
「どうした?」
「……さっき、考えるより早く、身体が動いたんだ。それに、前より、いろんなものが見えるようになった気がする」
 
ノアは半信半疑といった表情でおれを見上げる。
 
「もしかして、ドングリ?」
 
そうかもな、と笑う。
 
ノアはまっすぐで迷いがない。
それが強みでもあり、同時に弱点でもあった。
だからドングリを使って、意識を分散させるクセを身につけさせた。
 
鍋をかき混ぜながら、じゃんけんをして、ドングリの数を数える。
複数の情報を視界にとらえさせ、マルチタスクを繰り返すことで、情報を処理する能力を育てた。
不意を突くことで神経の配り方も身についただろうし、視野も広がり、動体視力も鍛えられたはずだ。
 
ノアが小さく呟く。
 
「ありがと、ケント」
「さっきも言ったろ。ノアが努力を積み重ねた結果だよ」
 
もともとあったしなやかな肉体という土台に加え、まじめで努力家という性格があったからこそだ。
おれの手柄ではない。
 
「あ、あの」
 
振り向くと、仲間の男に付き添われて、サラジーンが立っていた。
 
「先程は、その……あ、あ……あり、あ、り……」
 
何か言いたそうにもじもじしている。
……ああ。
 
「肉、持っていくか?」
「い、いりませんわそんなもの! 獣くさい! 野蛮!」
 
……イノシシを狩りにきたんじゃなかったのか?
 
「もうけっこうですわ!」
 
サラジーンは真っ赤な顔でそう言って、ぷんすかと歩き去ってしまった。
 
わけもわからず立ち尽くしていると、横から声が掛かった。
 
「うちのお嬢が、すまないな」
 
サラジーンの仲間の、剣士らしき男だった。
 
「剣士のローディウスだ。ロディと呼んでくれ」
「よろしく、ロディ。おれはケントだ」
 
握手を交わす。
ロディの手の皮は厚く、硬かった。
 
ロディは木の陰で俯いているサラジーンを、ちらりと振り返る。
 
「お嬢は、あんたらのことが気になるみたいでな」
「はあ」
 
なんでだろう。
 
首を傾げていると、ロディはふっと目を細めた。
 
「お嬢には、父親がいなくてな。きっと、その子らが羨ましいんだろうよ」
 
ロディにつられて、隣にいるノアに目を遣る。
 
……ああ、だから最初に会った時から、妙に突っかかってきたのか。
 
ロディはじっとおれを見ていたが、おもむろに口を開いた。
 
「ところであんた、無詠唱で魔術を使わなかったか?」
「……なんのことだ?」
 
動揺を押し殺して、すっとぼける。
しかし、ロディの眼光はおれをとらえたまま離さなかった。
 
「あんたの手、剣士の手じゃないな。たとえ熟練の剣士だって、イノシシを一撃で倒すのは不可能だ」
「あれは、たまたま運が良かっただけだよ」
「今回だけじゃない。前にも――」
 
その時、サラジーンが地団駄を踏んだ。
 
「何してるの、ローディウス! 早くいらっしゃいな!」
 
ロディは「へいへい」と声を投げて、片手を挙げた。
 
「じゃあまたな、ケント」
 
去って行くロディを見送って、一気に汗が噴き出した。
やはり魔術を使ったのはまずかったか。
だが、ロディは、『前にも』と言っていた。
いったいいつ見られたんだ? 誰かに言いふらされないといいが……
 
と、ノアが北の方角を指さした。
 
「ケント、ローランの街に戻ろう。今ならアマン行きの最終馬車に間に合うよ」
「ああ、そうだな」
 
新鮮な戦利品を手に、おれたちは帰途をたどったのだった。
 
 
◆ ◆ ◆
 
 
そして、次の日の夜。
 
「お待たせいたしました」
 
ステラがおごそかにテーブルの前に立った。
誰かの喉がごくり、と鳴る。
 
「本日は、マダライノシシのステーキです!」
 
高らかな宣言と共に、巨大なステーキを載せた皿が、どん! と置かれた。
子どもたちが身を乗り出し、歓声が弾ける。
 
『いただきます!』
 
声を合わせてナイフとフォークを取る。おれは隣のフィオのステーキを、小さく切り分けてやった。
 
一斉に頬張る。
 
「…………」
 
いっそ重苦しいほどの沈黙が、食堂を支配し――
 
「お……お……お……」
 
声もなく震えるおれに代わって、アシュリーが元気に両手をあげた。
 
「おいしーいっ!」
「え、な、なにこれ、すごっ……すごっ……!」
「ああっ、この世にこんな、こんな罪深い食べ物があるなんて……! 噛まなくても、舌の上でとろとろとほどけていきます……!」
「こんなの、はじめて……」
 
みんな、あまりのおいしさに目がとろんと蕩けている。
 
舌に乗せた途端繊維が解けて、それでいて噛めば肉のうまみがじゅわっと広がる。
柔らかな歯ごたえは官能すら感じさせた。
脂は甘く、かといってこってりしすぎず、野菜のうまみをたっぷり吸ったソースが絡み合って、いくらでも食べられそうだ。
 
アシュリーが、今にもほっぺが落ちそうな顔で叫ぶ。
 
「パパ、ノア、ありがとー!」
 
おれとノアは、目をかわして笑った。
 
 
 




