イノシシを狩ろう
 
ある日、アシュリーが一冊の本を持ち出してきた。
 
「パパ、これ、これ!」
「ん?」
 
なんだろう、読めない文字でもあったかな?
 
アシュリーの向上心を嬉しく思いつつ覗き込むと、アシュリーが開いているのは、いつか買った『食ハンター・オルダーの最強レシピ本』だった。
熱心に読書していると思ったら、レシピ本だったかー。
 
「これ食べたい!」
「どれどれ?」
 
アシュリーが指さしたのは、南にある「ローランド大森林」に生息する『マダライノシシ』という、幻の猪肉を使ったステーキだった。
肉質は柔らかく、それでいて味は濃厚だという。
 
なるほど、確かにおいしそうだが、幻と言われるとおり、滅多に遭遇できないようだ。
 
ちらりと見ると、アシュリーはおれを見上げて、きらきらと目を輝かせている。
 
収穫祭以来、すっかり食に目覚めたらしい。
『パパがおいしいお肉を食べさせてくれる!』と信じて疑わない純粋なまなざしに、苦く笑う。
 
「育ち盛りだしなぁ」
 
塩漬け肉や燻製もおいしいのだが、そろそろ新鮮な肉も食べたいところだ。
 
そうしておれは、猪狩りに出ることを決めたのだった。
 
 
◆ ◆ ◆
 
 
 
「今回は長旅になるから、留守中のこと、よろしくな」
「はい」
 
ステラの手を借りながら食堂で準備をしていると、イノシシ狩りのことを聞きつけたのか、ノアが顔を出した。
ためらいがちに口を開く。
 
「ぼくもついていっていい?」
「ああ、むしろ来てくれると心強いよ」
 
ノアは一瞬嬉しそうに頬を染めたが、すぐにきりりと口を結んで、荷造りに取りかかった。
 
「あしゅりも行きたい!」
「今回はお留守番だ」
 
えー、と口を尖らせるアシュリーに、ノアが笑った。
 
「おいしいお肉、持って帰ってくるからね」
「うん!」
 
ステラたちに見送られて、出発する。
 
目的地は遠いので、二泊三日の行程になる。
ひとまず今日は、ローランド大森林の最寄りにあるローランの街で一泊し、明日の朝から猪狩りを始める予定だ。
 
アマンの街から馬車に乗る。
 
ノアは車中で、動物図鑑を熱心に読んでいた。
 
「ねえ、ケント。イノシシの肉って、食べたことある?」
「ないなぁ。ノアは?」
「ぼくも初めて。どんな味がするんだろうね。豚とは違うのかな?」
 
ノアは遠出が嬉しいようで、いつもより口数が多かった。
尽きないおしゃべりに耳を傾けながら、景色に目をやる。
 
馬車を乗り継いで、ローランの街についたのは、日が暮れようとしている頃だった。
 
 
◆ ◆ ◆
 
 
「ひと部屋しかない?」
「はい」
 
宿屋の主人は、申し訳なさそうに頭を掻いた。
 
「オルダーさんの本が発売されてからというもの、マダライノシシ目当てのお客さまで、大変混んでおりまして」
 
なるほど。
何気なく買った本だが、どうやらオルダーという食ハンターは、相当有名人だったらしい。
 
そうなると、他の宿も空いていない可能性が高い。
ひと部屋でも空いていたのはむしろ幸運だろう。
 
「じゃあ、この子だけお願いできますか。おれは他の宿を探すので」
 
おれだけなら、最悪野宿でもいいしな。
そう思っていると、裾を引かれた。
 
「ん?」
 
ノアが、消え入りそうな声で呟く。
 
「ぼくは、別に……ケントといっしょでも、いい、よ……」
「え?」
 
思わぬ申し出に目を見張る。
 
心を許してくれているのは嬉しいが、でも、さすがにまずいんじゃないだろうか。
保護者(仮)としては、年頃の女の子が、男と一緒の部屋で寝るというのは、看過すべき事態ではない……いや、逆に気にしすぎか? 保護者(仮)なんだから、気にせず一緒に泊まればいいのか?
 
「すみませんねぇ。宿代は、お一人分でけっこうですので」
 
あれこれ逡巡している内に、宿屋の主人は宿泊手続きを終えてしまった。
部屋の鍵を差し出して、ほほえましそうに目を細める。
 
「しかし、いい娘さんをお持ちですなぁ」
 
そのあと、階段を上がりながら、ノアがぽつりと呟いた。
 
「娘じゃないし」
 
口を尖らせたふくれっつらが、年相応でなんだか可愛かった。
 
部屋に荷物を置くと、一階で食事を取り、順番に風呂に入った。
冒険者向けの宿には、たいてい一階に共用風呂があって、宿泊者は自由に使うことが出来る。
 
「お、お待たせ」
 
部屋で荷物の整理をしていると、ノアが入ってきた。
いつも髪を結っているので、ほどくと別人みたいだ。
 
濡れている髪を、魔術で熱風を起こし、乾かしてやる。
 
「ありがと」
「明日は早いから、早く寝よう」
 
持ってきたブランケットを床に敷くと、ノアが目を丸くした。
 
「ケント、床で寝るの?」
「ああ」
「だめだよ、風邪引くよ。身体痛くするよ」
「大丈夫だよ。丈夫なだけが取り柄だし」
 
けれどノアは眉を吊り上げて食い下がった。
 
「ケントが床で寝るなら、ぼくもそうする!」
「いや、ノアはちゃんとベッドで……」
「じゃあケントもベッドで寝て!」
 
結局、ノアが一歩も譲らないので、一緒にベッドに入った。
すぐ傍から石けんのかおりがして、妙に落ち着かない。
一人用のベッドなので、少しでも身じろぎしたら触れてしまいそうだ。
 
(同じ部屋というだけならまだしも、同衾か。いいのかな……いや、そもそもおれが気にしすぎなんだよな、たぶん。うん、今回はノアの優しさに甘えよう)
 
そんなことを考えながら目を閉じる。
 
背を向け合って寝ていたはずだが、夜中、ふと目が覚めた。
ノアが、背中にくっついている。ふんふんと、心なしかにおいをかがれているような……?
 
「どうした、寒いか?」
「っ!? べ、べべべべ別にっ……!」
 
問いかけたとたん、ノアは寝返りを打って離れてしまった。
おれは一旦ベッドを出ると、ブランケットをノアの上に追加して、再び眠りに就いた。
 
 
 




