アリと信頼と
グレーテルが死んだ衝撃は今まで味わった事のないものだった。もし、俺が人間だったとしたらしばらくは立ち直れなかっただろう。
しかし、ここはアリの世界なのだ。
いつまでも泣き言は言っていられない。
そう心に決めて立ち上がろうとした俺の前に黒い影が通った。
しばらく顔を上げてなかったため、何が起こっているのかうまく飲み込めなかった。
黙ってそのアリたちはグレーテルの体を持ち上げ、どこかに運ぼうとしている。
「ちょと待ってくれ!なにをしているんだ」
「えっ、いや何って。何か問題でもありましたか?」
よく考えてみれば俺が間違っているのである。この世界の常識は俺の知っている常識ではないのだ。アリ達にはアリ達の常識があるのだ。常に前を見て生きるには仲間の死を一々悲しんでいてはきりがないのだ。
「変なこと言って悪かった。ところでグレーテルはどうするんだ?」
「これから弔いがあるので女王様も一緒に行きましょう。私もお世話になりましたし。」
アリ達は死んだ仲間を決して見捨てたりはしないのだ。いくら自分達が大変な思いをしても仲間を思う気持ちを忘れる事はない。
俺は今ここにいなければこの事を知ることもなかっただろう。
俺は幸せ者だ。アリ達の優しさに触れることが出来たのだから。
「ああ、行くことにするよ、エリカは……」
さっきまでそばにいたはずのエリカの姿が見当たらなかった。
どこへ行ったのだろうか。まあ取り敢えずは良いとしてグレーテルの最後をしっかりと飾ってやろう。
「ちなみにどこへ行けば良いんだい?」
不思議な事に質問の答えは返って来なかった。アリの行動は常に一歩先を行っている。
とぼとぼと歩き部屋に戻ると、ずっと前から待ってましたというふうに仁王立ちをしていた。
「えっと、どうかしました?」
「どうかしました?じゃ無いわよ!遅すぎるじゃない!いつまでも泣いてるなんて恥ずかしいったらありゃしない。全く動かないものだから女王までも死んだかと思ったわ。」
俺はどれだけ泣いていたのだろうか。それさえも自分自身で分からなかった。というか本当に死んでいたら……
「って本当に死んでたらどうするんじゃい!見殺しにしてんじゃねーよ。」
「それは失礼。言葉の綾だわ。これからは気を付けるわ。」
この女神は何者なのだ。
「もうそろそろね。早く行かなければ間に合わないわ。行きましょう。」
「行くってどこに?」
「グレーテルさんのお葬式よ。お世話になったんじゃないの?」
そういった時には彼女はもう小さくなっていた。これだけ長くアリの世界にいてアリの死をまともに見ていないのはある意味不幸だったのかもしれない。俺は、その現実をこの目に焼き付けなくてはならない。
とにかく女神の後を追っていく。というか何故道を知っているのだろうか。まさか、女神の権力を行使しているのか。まあ、どうだっていい。
しばらくして彼女の足が止まった。着いたのだろうか。
俺は後に続いてその部屋へ入っていく。
目の前には沢山のアリ達が入り乱れていた。その数は部屋を埋めつくしていた。それだけの信頼がグレーテルにはあったのだ。
グレーテルはいつも数少ない知識人として支えてくれていた。また、これだけやってこれたのはグレーテルの信頼が厚かったからかもしれない。このコロニーが続いているのはグレーテルのお陰だ。もし、あの時グレーテルの一言が無かったらここに沢山のアリは訪れなかっただろう。
ありがとう、グレーテル
決してアリ達は忘れない。
兄弟の死を忘れる者がどこにいると言う。
アリの弔いの意味がやっと分かった気がした。人間に殺されたアリ達も同じように弔いを……
どんな気持ちで送ったのだろうか。
俺にはまだ分からなかった。
翌日
晴れた日の朝は気持ちが良いと言うがこれだけ暗く湿っていれば気持ちが悪いのは必然だ。ジメジメした日本の夏はこれだから嫌いなのだ。
グレーテルがやり遂げたため新体制は整っており、得に問題は無く日常が送られていた。
しかし、朝から何故だか嫌な予感がするのである。幸せの後には不幸が付き物だ。それも一つじゃ無く幾つも連なって来るのだ。そんな気がしてならないのである。
けれど、それ以外のことはいつも通りの日常だった。
コロニーの入り口が騒がしい。
何がか来たのだ。やはり、変な予感は無情にも当たってしまったのである。
「頼もう。ここの女王に宣告する!ここにいるヤツら全員ぶっ殺す。」
やばい何か物騒な奴が乗り込んで来たらしい。俺らみたいなアリを襲うわけだからツチアリとかそんなところだろう。
くそ、戦わなければならないのか。
自分達を守るために。
命が犠牲になったとしても。