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近く、遠く

 蝋燭の灯りは争いの間に消え、薄暗い倉庫内は静寂に包まれた。

 周囲の惨状は、現実に起こった事なのだと切に訴えている。

 完全に消えたわけではないがぼんやりと光り、泣きじゃくる楓を見上げ、安心したようにコマは狼の姿に戻った。

 だが、耐えられずによろめき、倒れ込む。


「コマさん!」


 カラスに床に降ろされた楓が、大粒の涙をこぼしながら駆け寄ったが、どこを触っても痛そうで、楓は手を触れられずにいた。

 躊躇を見せた彼女に、薄汚れた獣は固く目を閉じ、耐えるように眉間にシワを寄せた。


 いつかは知られる時が来たのだろうが、こんなにも早くになろうとは。

 本当は、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。だが血を流し過ぎたのか、身体は上から押し付けられているように、床に縫い付けられているように動かす事すらままならない。

 コマは、見えない何者かに心臓をつかまれた感覚に、小さく喘いだ。ただ、楓を傷つけなかった事だけが、唯一の救いだ。そう考えて、コマはゆっくりと目を開けた。


「見るなと、言っただろう」

「でももう見ちゃったもん」


 首をすくめながら、口をとがらせた楓には、コマを恐れる色は感じられない。その事に多少なりとも驚き、息を呑んだ。


「約束だが……楓の手を汚さずに、死ねそう、だな」

「馬鹿っ! 何の為に、カラス先生がいると思ってるの!」

「はぁ? 俺は……そう、たまたまの通りすがりなだけだ!」


 突然振られた話に、仮面を外しかけたカラスは、動揺を隠すようにまたかぶり直す。

 その仮面から飛び出た口ばしを、猫パンチでネキが弾き飛ばせば、あからさまに目が泳いでいた。


「心配で心配で、見守ってたんでちゅーって言ったほうが、いいんじゃな~い?」

「や、やかましいっ!」


 ツバを飛ばしながら反論すれば、背後から聞き慣れた声が冷たく響く。


「やかましいのは、お前だ。何故この場に楓ちゃんがいるのか、説明してもらおうか」

「そ、れは……」


 覚悟を決めて目を閉じたコマを除いて、楓とカラスは同時にネキを見てしまった。

 それを見て、冷酷な目がネキへと向けられる。

 非常にうろたえた様子で、青い目を白黒させ、ネキは必死に弁明した。


「あ、あたしはちゃーんと、来るなって言ったんだよ!?」

「ほう、ではどちらにしろ。お前が原因を作った事には違いないのだな」

「パパ! そんな事言ってる場合じゃないの! 先生、コマさんを助けて!」


 うっすらと灰が積もるように変化し、彼の毛皮がくすみ始める。

 一度閉じてしまったまぶたは、ピクリとも動かない。楓の声に静まり返ったというのに、わずかに聞こえてくる波の音のせいで、息すらもかすかに聞こえるかどうか分からず、少女の気を更に焦らせた。


「お願い、カラス先生!」

「そうさ! 助けてやんなよ、大先生だろう?」

「……断る」

「どうして!?」


 驚愕に目をみはらせて、和装の彼に詰め寄れば目をそらされた。

 さすがのネキも、歯を鳴らし力ずくで、と一歩踏み出そうとすれば、楓父の声に遮られる。


「楓ちゃんを泣かせたのは、誰だ」


 いまだ止まらず、何故こぼれ続けるのか本人も分からずにいる涙に、今度はカラスとネキが、倒れ伏しているコマへと思わず視線を送れば、美しい顔に青筋が浮かんだ。

 殺気というものが目に見えるならば、暴風のように辺り一帯が吹き飛ばされていたに違いない。あきらかに失敗したとばかりに、ネキは肩をすくめる。


「カラス、即治せ」

「はあ? 何でだ、敵は身内にあるかもしれないだろ」

「治せ。事と次第によっては私がコマを消す」


 あまりの言葉にあんぐりと口を開け、楓は文字通り開いた口がふさがらなかった。カラスでさえ口をへの字にして首をすくめたほどだ。

 腹を抱えて吹き出したネキの声は、倉庫の天井に反射しておかしな響きが生まれる。


 仕方なさそうにカラスがコマの後ろ足の付け根、そして首の裏に手を当てて深く息を吸い込めば、青白い光が冷たく辺りを照らし出す。

 少し時間がかかるだろうと、楓父が彼らから離れ、意識を取り戻していないグレッグの傍に立つ。近くには闇の者達が使う『道』が、大きく口を開けていた。

 その道に負けないほどの黒い瞳には、それが城へと繋がっているようには見えない為、右腕を肘まで通し、まっすぐ引き抜く。

 ただそれだけの動作だったが、中からフードを目深にかぶった者が、その手を取り現れた。

 反対の手で、ノドに刺さっている黒い羽を抜き取れば、長髪の男が目を覚ます。


「グレッグ」


 凛とした女の声が、厳しく彼を縛り付ける。

 驚き身体を起こした彼の横に、汚れる事も構わず膝をついた彼女から、それでも目を逸らした。

 細く滑らかな指が、彼の乱れた長髪を整えるように、優しく撫でる。


「愚かだったわね」

「……ああ」

「貴方の処遇は、私に一任されたわ」

「そうか……すまない」


 苦しげに吐き出した言葉に、リディアは唯一見える口元をほころばせた。

 もしグレッグが彼女を見ていたら、酷く動揺したのだろうが、残念ながら彼は気がつかない。

 それすら見越していたかのように、表情を元に戻し、厳しい口調で告げる。


「私への傷を、治す事は許さない。そして、その手立てを考える事も」


 はっと顔を彼女に向ければ、待っていたとばかりに頬を力一杯張り飛ばされる。

 赤く腫れる事は決してないが、彼は瞳の色を沈ませた。


「己の力のみにて、責任を取りなさい。私を戒めとして……」


 ためらい、思わず言いよどむ。

 広いとはいえ、さほど離れた場所にいるわけではない楓とネキは、完全なる野次馬として、彼女達の一挙一動に聞き入っていた。不謹慎にも胸を高鳴らせてお互いの手を取っている。

 そうとも知らず、リディアは立ち上がり、彼を見下ろした。


「私の傍を、離れないで」


 思ってもいなかった言葉に、様々な感情が表情に浮かび、彼は立ち上がった。


「しかし……お前は、ジョイス様を――」

「だから。貴方は愚かだと言うの。処罰は他にもあるわ、ついてきなさい」


 楓父へと優雅に一礼し、身を翻す彼女に、困惑を隠せないグレッグ。そんな彼に含み笑いをしつつ楓父が声をかける。


「グレッグ。今後、何があっても私は城へは戻らん。リディアとお前に全て託されるはずだ、心しろ」

「……はい」


 複雑な面持ちで、眉間のシワが更に深く刻まれる。小さく頭を下げ、彼女の後を追う。

 『道』という名の闇が二人を飲み込み、消えた。


「ネキさん、ネキさん! 今のって告白? 告白だよね?」

「違いないよ! くぁーっ! いいねぇ、あの上から目線。あたしもあんな風になってみたいねえ」

「ええ? 上から目線がいいの? そうじゃなくって、最後の言葉、いつか私も使ってみたいって思ったんだけど」

「そんなもん、来るなって言われてもつきまとってやれば、その内根負けするのさ」

「えー! なんか、そんな関係ヤダよ」


 いつの間にか止まっていた涙にも気付かず、何故か関係のない所で、ガールズトークに花が咲いていたが、カラスを包む光が消えると同時に口をつぐんだ。さすがに不謹慎だったかと反省する。

 獣から手を離し、空を仰ぐように見上げた彼の息は荒く、黒だったはずの短髪は、それが嘘であったといわんばかりに青に染まっていた。


「カラス、先生?」

「……しばらく、呼ぶな」


 恐る恐るかけた声に、彼は仮面に手を伸ばし、その苦しい表情を隠す。


「お前こそ、用事もないのに来るなよ」


 こちらに向き直った楓父の、あまりにも心外なセリフに、自分が助太刀に入らなかったら――など様々な返しが脳裏に渦巻いて――ため息を吐くにとどまった。言い返すほどの気力が、残っていなかったのだ。

 その時、倉庫の外から光が差し込む。不規則に揺れながら移動するそれは、人の声とともに数を増す。

 大きな音を立てて飛び回る機械的な羽音は、屋根を挟んだ頭上から離れる事はない。


「誰か、いますか!」


 聞いた事もない老齢の男の声が響き、ネキとカラスは瞬時に暗がりへと身を潜めた。楓父は足音も立てずに楓の傍に寄り、羽織っていた黒いマントで彼女を包み込む。

 グレッグが意識を失った事で、倉庫にかけていた結界が解けてしまっていたところに、楓の爆発的な光がネキが壁に開けた穴や窓から溢れ出したのだ。それを見た誰かが通報したのだろう。

 遠くから、けたたましい音を立て、続々と集まってくる気配に、楓父は少女の肩を抱き寄せ、呻きながら身体を起こしかけたコマを足で小突く。


「コマ。お前が楓ちゃんを連れ出した責任を取るのだ」

「パパ! だって、これは私が……」

「大丈夫だ、楓……さま」


 無言で振り上げられた拳に、コマは耳を下げ身をかがめて思い出したように付け加えた。

 傷口は塞がったが、そこらじゅう引きつる感覚に、渋く顔を歪めながら四肢に力を込めて状態を確認する。動けそうだと、意識を切り替えるように頭を振った。


「状況は?」

「飛ぶハエどもを、引き付ければそれでいい」

「あ! またそんな言い方して!」

「おっと、口を滑らせてしまった。では、空高くで鳴くヒバリとでもしておこうか」

「違うよ、人間!」


 そうだね。と笑顔で頭をなで、細い首に巻かれているマフラーを外し、コマへと投げる。


「身につけるがいい。お前の意識は、そこにある」

「パパ?」


 冷たい空気に首をさらされ、少しだけ身をすくめれば、楓父はマントで隠すように彼女を抱き上げた。そのまま背を向け、扉へと歩いて行く。慌てて彼の後に続くネキを見届けて、視線を下げた。


「俺の……意識?」


 小さく身震いをし、コマは固く目を閉じた。


 暗がりで、金色の瞳が怪しく光り、雷と見紛うような咆哮が轟き渡る。

 その凶悪な、怒声とも似つかないそれに、壁を挟んで近くにいた人間は腰を抜かし、恐怖にさいなまれた。

 他の者とて、例外ではなくその声に畏縮し、。身動きが取れなくなるほどであった

ヘリコプターの飛ぶ音と波の音のみが、周囲を占める。

 その中で、ピンクのマフラーを首に縛った、二本足で立つ歪な巨獣が屋根を突き破り躍り出れば、得体の知れないモノへの恐怖から、彼らの思考回路は混乱を重ねた為に、冷静さを失った。


 平然と倉庫から出てくる者達に、疑念すら浮かばないほどに。


 金魚のように口を開け閉めしている彼らに、追い討ちをかけるように。空を飛ぶ金属の塊へと届くように、コマは激しく怒りの声を上げ、悠然と歩く彼らとは反対の方向へと、月の光に映える銀色の肢体を輝かせ、人の目でも追える速度を保ちながら大きく跳躍した。



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