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交錯する想い


  *


 肩に小さな痛みを感じたネキだったが、勢いが止まる事はない。

 小さな少女に鋭い爪で引き裂く前に、褐色の、太い丸太のような腕が彼女の腕を捕らえた。


「おっとー、危ねぇな」


 その腕力で腕を折られる前に、すぐさまネキはもう片方の手で、彼の腕に爪を走らせたが、そこにはすでに腕はなく虚しく宙を切った。

 一旦距離をあける為、ネキが後ろに跳べば、追随するようにバディックが目前に迫る。


「鈍重だな」


 つまらなそうに、大きな拳を無造作に振り下ろしてくる。

 その時、ネキの口が開き、女のものとはとても思えない、低くしゃがれた声が発せられた。


『我の花嫁に、触れるな』


 異様な雰囲気を察知したからか、反射的に大きな身体を仰け反らせるが、一瞬遅かった。

 彼女の表面から虎が発現し、逞しい腕を肩ごと噛み千切ったのだ。ネキは意識なく崩れ落ち、虎はなお、彼に襲いかかる。

 バディックには、容姿と同じく同族との確執が大きい。人間との差といえば、特別な能力を持っているわけでもなく、腕力がより優れている以外の力はない。それゆえに誰からも迫害され、光を欲していた。

 しかし、彼はより強く純粋な力を持つ死神に対して、悔しそうに、だが楽しげに笑った。


 目の前に在る凶悪な獣は、彼のみを見つめ、破壊せんと向かってくる。

 ただ彼のみを、透き通るような青い瞳に映して――


 ――イレインの傍で、二人を助けるでもなく不甲斐なさを見届けたマノは、親指の爪を噛み、苛立ちを表した。

 どこかから湧き出た虎も、いつの間にか消え失せた。カラスと呼ばれた男が、目を覚ました女から何かを抜き取っていたが、そんな事は関係ない。

 人間の子供に憑いている獣どもなど、グレッグの一撫でで簡単に決着がつくと思っていたというのに。


「イレイン、『道』を作っておくよ? いざとなったら入るんだ」

「どうして?」

「君が壊れてしまったら、つまらなくなるからさ。それに、また駒を増強して出直せばいいだろ?」

「……そうね」


 深追いはしてはならない。マノが追い求めるメインは彼らではなく、ジョイスなのだ。時間なら、いくらでもある。

 イレインに向けた可愛らしい笑顔の中に、残酷な考えは微塵も見えない。

 しかし、イレインの顔に焦りの色が浮かぶのを、彼は見逃していた。


「アレは、何?」


 少女が顔を歪め、差し出していた手に力を込めるように握りしめた。

 男を一人取り込んだ闇が、大きく膨らみ表面がさざめく。くぐもるような呻き声は、はっきりとした唸り声へと変わった。


「楓っ!」


 一番近くで目を見開いていた少女は、カラスの声に我に返る。

 捕らえきれず、闇の手は次々に消えていく。その隙間から見え隠れする者は、一人の若者ではなく、 二本足でいびつに立つ銀色の獣。

 息は荒く、自らを縛りつけようとする手から逃れるように、そのゆったりとして見える歩みは止まらない。


「……コマ、さん?」


 その場を動こうとしない彼女に、カラスは本日何度目になるだろう舌打ちをして、突風のように近づき楓を抱え上げ、壁に沿って垂直に飛び上がった。

 完全に自由になる前に、隙間から突き出された腕は確実に楓を狙ったものだった。カラスがわずかでも遅れをみせていたら、命はなかったかもしれない。

 腕の中で、少女は震える。全体は見えていないが、あれはコマであると楓には確信があった。それなのに――


「……見るな。それが野良犬の言葉だろう?」

「でも!」

「見て、やるな。アレは恐らく、お前にだけは見せたくない姿なのだ」

「どうして……」


 何も分からなかった、だが初めてコマに恐怖心を抱いてしまった。

 それが、許せなかった。自分を、許せなかった。慣れない感情が楓に付きまとい、胸が締め付けられる。以前にもあった感覚に、楓はどうしていいのか分からない。

 ただ強く目を閉じて、言葉の通りに見ないようにするしかなかった。


 獣の呪縛が解け、彼は怒りを吐き出すように咆哮する。

 その圧倒的な声――いや、音の本流に、ネキは歯を食いしばり近くの壁を突き破って、野外へと逃げた。


「イレインは、下がっていていいよ」


 声に気圧され、半歩退いてしまった自分に顔をしかめ、マノはイレインよりも前に出た。


「押し負けるのは、好きじゃないんだよ」


 動いた彼に、コマが敏感に反応し、ボルトで固定されているはずの棚を軽々と持ち上げ、投げつけた。

 マノは飛び来る棚を指差し、


「バーン」


 と子供が遊ぶように声をかければ、透明な壁が彼の前に存在するかのように、鉄骨で作られた棚を阻む。投げつけられた棚は大きく軋み、派手な音を立てて床に落ちた。

 コマが立っていた場所に、すでに彼はいなかった。


「左よっ!」


 甲高い少女の声に、マノは振り向くよりも早く左手で指を鳴らせば、左方の壁を蹴り襲いくるコマの全身に無数の深い傷口が広がる。激痛に体勢を崩し、マノよりも手前で怒りの声をあげた。

 吹き出た血は、すぐに灰となって散る。傷口は瞬時に治っていくが、どうしても動きは鈍ってしまう。

 それでもなお、マノへと足を踏み出す獣は、近づけば近づくほど傷つけられ、深くえぐられていき、治癒が間に合わなくなっている。

 しかし、それすらも気にならないと、ただ目の前の者を蹂躙する為だけに動いているようだった。

 怖ろしい金属音に、うっすらと目を開けた楓は、傷つけられていくコマを見て悲鳴を上げた。


「駄目だよ、やめてっ! コマさん!」


 我を忘れてしまったコマには、その声すら届かない。

 怖いと、少しでも思ってしまった罰なのかと、楓は息が詰まりそうだった。声を出せば、何かが溢れてきそうで小さく喘ぐ。

 一歩、また一歩と近づいていく彼に、楓の頬に涙がこぼれた。


「……やめてぇぇえっっ!!」


 せきをきるように、涙がとめどなく溢れてくる。そして、ネキを助ける時よりも強く激しい光が彼女を中心に輝いた。

 カラスは歯を食いしばり、錫杖を握りしめる。光を吸収する事は出来ない、ただ一番近くにいて抱きかかえている。その彼女を襲う事がないように、カラスの中にも潜む闇を消す為だけに錫杖を使うしかなかった。


 初めて見る、美しくも強く魅惑的な白い輝きに、イレインもマノも瞬時に心を奪われた。

 それは、コマやネキとて例外ではなかった。出会った頃よりも、強く恐ろしい引力が思考能力も低下させる。

 イレインは恍惚の表情で、体の均衡を保てないように不安定に歩きだした。


「ああ――私の、光よっ!」


 譲ると言っていたマノだったが、そんなイレインに殺意を覚える。

 美しいイレインと共に歩くために、彼女と光の血を分け合い、家に入った所でジョイスを倒す。強く美しい者を好む彼女は、きっとジョイスを倒した自分を見てくれる。


 ――そんな考えは、光に消された。


「あれは、僕の物だ!」


 叫び、よく手入れされた鳶色の巻き髪を後ろから掴み、容赦なく引っ張った。指先を彼女の背中に押し当て、狂気に満ちた笑みを浮かべた。

 悲鳴をあげる間もなく、彼女は体内から灰と化す。

 何の感慨もなく手の平に残った、愛しいはずの彼女の灰も、ただ冷たく払い落とし、ノドの奥から笑い声を上げる。

 怒りと焦燥を失ったコマは、徐々に意識を取り戻していった。白い光に包まれた彼は、目を覚ました感覚のまま、楓が生きている事に安堵し、嬉々として光の根源へと跳躍した少年に、血まみれの手を伸ばした。


 ――楓は、俺のモノだ!


 自分でも気がつかないほど、いつの間にか筋力をフル活動させ跳躍していた。

 向かってくるマノに楓は恐れ、自然に光が弱まっていく。

 動けば襲いたくなるような衝動が薄れ、カラスは楓の前に錫杖を突き出した。楓にしか目に入らない美しかった少年は、変貌してしまったかのように目を見開き、牙を剥き出しにしている。


「邪魔するなっ!」

「お前がな」


 少年が叫べば、彼の背後にコマとネキの姿が迫り仲良くハモる。そしてその豪腕と全てを切り裂く爪によって、彼女に手が届く前に灰となり崩れ落ちていった。



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