再会
「やあ! やっぱりジョイスのやる事って、楽しくてしょうがないよ」
自分の前からテーブルが吹き飛んだというのに、コートニーは椅子に座ったまま、感慨深げに何度もうなずいている。
コートニーごと、薙いだはずだった。ジョイスは少しだけ眉を寄せ、気を張り巡らせる。
さもおかしいとばかりに黒い短髪を揺らしながら、笑い声をあげた。乾杯でもするようにグラスを目前に掲げ、小さく首をかしげてジョイスを見る。
「力比べで勝った事なんてないけどさ、今度は俺の番だよな」
身構えるまでもない、子供っぽい彼に『特別』な自分が負けるはずがないのだから。
だが、なぜコートニーは床に転がっている同族共と同じ末路をたどっていない? 疑問が脳裏に浮かんだ瞬間、彼が楽しげに声を発した。
「いってらっしゃーい」
吹き飛ばした同族共が、ゆらりと立ち上がる。粉々に消し飛んだ蝋燭の灯もなくなった、薄暗い部屋の中で、いくつもの赤い目が陰湿に光っては消えていく。
まっすぐに立っているはずの視界が大きく歪んだが、ジョイスは嘲るように口を持ち上げて、誰よりも強く瞳に怒りの灯をともした。
「幻覚か」
呟いた瞬間――瞳が捉えた物は、陽の光をたっぷりと浴びた見慣れた邸宅。
だが、慌てず騒がず、ジョイスは右手を正面に向け、見えなくなったコートニーに対して声をかけた。
「加減はやめだ。城もろとも消えるがいい」
恐ろしいほどの瘴気をまとって、力を解放しようとした瞬間、黒い扉が開く。
中から出てきた人物に、ジョイスは驚愕に目を見開いた。
「ジョッシュ、お帰りなさい!」
楓に似ているが、柔らかそうな黒髪は腰まで長く、妙齢の女はジョイスを見て、輝かんばかりに笑顔を向けてくる。
「……かの、え」
死んだはずだった。
彼女を守りきれず、自分に全ての力を託して消えたはずの彼女が、目の前にいる。
溢れ出す嬉しさを隠す事なく、軽やかに走ってくる庚に、ジョイスは来るなとなんとか声を絞り出した。
ジョイスの胸に飛び込む前に立ち止まり、彼女は首をかしげて不満そうにふっくらとした唇をとがらせた。
「ジョッシュ?」
子供が拗ねるようなその物言いに、懐かしさと愛しさで心が満たされる。幼い頃、庚はジョイスと言えず、舌っ足らずな声でそう呼び、大人になってもその呼び方は変わる事はなかった。彼女だけが、自分をそう呼んでいた。
振り上げた右手は、握りしめられ――だが、下げるわけにもいかない。自分の中で、こんなにも強く彼女を慕う心があったのかと、葛藤に奥歯を噛みしめた。
「ジョッシュったら! 楓も待ってるのよ、パパ遅いねって」
黙りこんでしまったジョイスに、可愛らしい顔を怒りに染めてのぞきこんでくる。
一歩も、動くわけにはいかない。そうしてしまえば、後はコートニーの思うがままだろう。
「楓の父親は、どうした」
かすれる声に、心の中で舌打ちをしながら庚に声をかければ、何故そんなに驚く必要があるのかと思うほど、彼女の顔が表情豊かに変化した。
「あなた以外に、誰がいるって言うのよ」
そんな事実など、現実にあるはずがないというのに、胸が高鳴った。
ずっと望んでいた夢幻が、ここにある。
「いつもどこでお仕事してるのか分からないけど。私だって、心配するんだからね?」
そう言って、ジョイスに抱きついた。その柔らかい身体に、覚えのある花の香り。
ずっと望んでいた目が眩みそうな状況に、思わず彼女の背に腕を回した。幻覚とは思えないほどの感触が、彼を包む。
だが、幸せな表情で目を閉じた庚とは反対に、抱きしめたまま彼は苦悶の表情を浮かべていた。
「……庚」
「ジョッシュ? ちょっと、痛いよ」
強く抱きしめれば、庚が小さく悲鳴をあげる。きつく閉じていた目を開け、少しだけ力を緩めた。
現実では、決してない。
「ジョッシュ? どうしたの?」
この甘い声も、柔らかい身体も、滑らかな黒髪も。現実ではないのだ。
震える手で彼女の髪をなでれば、嬉しそうにジョイスの胸に頭をすり寄せてくる。生きていた彼女が結婚する前にしていた、幼い頃からの仕草。
全て、自分の心が反映した世界。
心深くに沈めていた思い出を引きずり出され、都合の良いように捻じ曲げられた世界。
大切にしていた者を、踏みにじった世界。
「庚。また会えて良かった」
「もう、何の話をしているの?」
苦しそうなその声に庚が顔をあげれば、オニキスの瞳が優しく、だが憂いを含んで見つめていた。
離さぬように抱きしめたまま、景色が一変する。
――彼女の最期を看取った、その場所に。
抱きしめていた庚から、力が抜け落ちた。血に染まった彼女が、ジョイスに手を伸ばし優しく頬に触れる。
「ジョッシュ……ううん、ジョイス」
彼女の問いかけに、答えられるはずもなかった。二度も自分の目の前から消えていこうとする彼女を、どうする事も出来ないという事を、ジョイスが一番分かっている。
苦しいはずの彼女が笑顔を作る。
「楓を、お願いね?」
「……当たり前だ」
以前したのと同じように答えれば、彼女も違わず小さく笑った。
「ねえ……嘘でも、いいの。愛してるって、言って?」
応えたかった。だが、そんな事実は存在しない。
ぐっと言葉を噛み殺し、顔を歪めて彼女を見ているしかないのだ。いつかの自分が、そうしたように。
「庚っ!」
状況に気づいたカラスが、悲痛な声で叫ぶ。だが、敵を近づけさせないようにするのに、手一杯でこちらに来られずにいる。
「分かってる、から。苦しそうな顔、しないで? それでも、私はジョイスが、好きよ」
だから――と、彼女は輝き始める。
「私の光を、ジョイスにあげる」
「……やはり、駄目だ」
「こうするしか、ないのよ。分かるでしょう?」
自分が発した言葉は、過去にはなかった。だが、強いまなざしで庚がたしなめる。
「庚、愛してる。君が――おそらく私を意識してくれるずっと前から」
「私に、勝てると思うの? 会ったその日から、あなたしか見えていなかったのに」
青白い顔で、だが嬉しそうに笑った彼女を、ジョイスは抱きしめた。
記憶にない言葉に、これも自分かコートニーが捏造したモノかと疑ったが、だったら彼女は死の淵を行く事はないはずだ。
庚は、血にまみれた顔で艶やかに笑った。
「あなたは、楓を護るの。私に誓ってくれたでしょう? 忘れたの?」
「庚……?」
「こんな形で再会出来るとは思ってなかったけど。私も、ジョッシュに会えて良かった。私が消えないとあなたは元の世界の戻れないもの」
わかっているわ、とジョイスの頬を両手で包む。
「言ったでしょう? 私は、あなたの中にいるの。愛を持って、光を受け取ってくれたから」
驚きに動けずにいるジョイスに、彼女は優しくキスをした。
「大好きよ。いつだって、ずっとここにいるのよ」
厚い胸板に手を置いて、力なく微笑む。
混乱して、言葉も出せずにいたジョイスはその細い手を握り、自ら彼女に口づけを落とした。どれだけこの時を望んだか。酷く震えて、合わせるだけのソレに、彼女は一粒の涙をこぼした。
「楓を、よろしくね」
「ああ」
そして、以前と同じように、彼女の首元へ牙を向けた。