囚われた獣
太陽の光が海に乱反射している昼日向。
埋め立てられた一画に、建ち並んでいる倉庫の群れ。そこにはヘルメットをかぶった人間やフォークリフト、トラックが忙しく行き交っている。
しかし、一度夜という闇の幕が辺りを包み込めば、そこには誰一人いなくなり、黒く染まった海の波音だけが寂しく響き渡る。
その中の一棟に、蛍光灯とは違った柔らかく揺らぐ光が灯っていた。
四つの蠢く影は、頑丈な鎖で幾重にも縛られ、動きが封じられている一人の女を囲んでいる。
足がつく程度に吊るされ、力なくうな垂れている金髪の女――ネキはまぶたを閉じたまま身動き一つしない。
「起こしなさい」
甘く絡みつくような少女の声が、埃っぽい室内で響く。
蝋燭の火が、それに合わせるかのように小さく揺れる。
暗がりの中から、美しい少女が歩を進める。印象的なのは、大きな目だった。鳶色の長髪はゆるく巻かれており、同じ色の長い睫毛に包まれたオニキスのような黒い瞳。
黒色のレースで作られたドレスは、とても彼女に似合っていて、見る者に清楚で可憐な印象を植え付ける。
彼女の小さな手を取り、エスコートしている黒い長髪をした長身の男が、その言葉に従い空いている手を横に払えば、積まれている大きな金属部品の一つが空を切り、ネキの脇腹をえぐるように強く打つ。
声にならない声をあげ、ネキは目を大きく開いた。
見開かれたその青い瞳は怒りに燃えあがる。少しでも近付けば、八つ裂きにされそうな眼差しも気にする事なく、少女は困ったような表情で小首をかしげた。
「あなたがいけないのよ? 私だって、こんな酷い事したくないの」
ネキが鎖を引いても、ちょうど届かない位置に彼女は立つ。
淡いオレンジ色のルージュをひいた、美しい少女は楓と同じくらいの年齢にも見える。
つまらなそうな表情で、怒りに震え唸り声をあげるネキに向け、ため息を吐いた。
「一言だけでいいと言っているのに、どうしてそんなに聞き分けがないの?」
「イレイン、これの腕を落とそうよ」
「マノ。そんな品性のカケラもない発言、控えて欲しいわ」
イレインと呼ばれた少女は、嫌悪の表情で金髪の少年を睨む。
おどけるように舌を出した少年――マノは、小さく肩をすくめた。
「そうだぞ、考えなしだな。簡単に腕を落とすとか言うなよ?」
「バディックなんかに、言われたくないよ! 一番ヴァンパイアらしくない奴が、なんでここにいるんだよ、消えろよ」
美しく柔らかいブロンドを肩まで伸ばし、白くなめらかな肌に大きな金茶の瞳が人形のように煌いている。その少年から吐き出される言葉は、酷く幼く、冷酷である。
タキシードをその身にまとっているというのに、黙っていればイレインに負けないほどの美少女と思われるほどだ。
一方、バディックと呼ばれた男は、その風体とは真反対だった。
浅黒い肌に、硬そうな白短髪を後ろに流し、筋肉質な体つきの身にまとっているのは、ジーンズに黒のシャツ、白のスカジャンを羽織っている。
マノに比べ、彼ははるかにヴァンパイアには見えず、あっけらかんとしている。
それ故かマノの言葉に怒るでもなく、バディックは灰色の目を細め楽しそうに笑った。
「だからガキだっていうんだ。よく考えろよ、腕をその都度落としていたら、アレだ。普通、腕足は四本しかないだろ? あっという間に切る場所がなくなるだろうが。大事な言葉を聞き出すまでは、頭を落とすわけにもいかんしな」
なんでもない事のように明るく話すその内容は、果てしなくえぐい。
鼻を鳴らし、マノは彼を無視してイレインの傍に寄る。
「なあ、イレイン。こんな面倒くさい事してないで、やっぱり他の人間を操って光を誘い出したほうが早いんじゃないかな?」
「ダメよ。あの建物に入れないという事は、敵という事になるわ。これは試練なの、自力で光を取り込めたら、あの方はきっと私を認めてくださる」
「だったらよ、こいつを操って……」
「ばっかじゃないの? それがそんな簡単に行くなら、こんな苦労してないっての」
バディックの言葉を遮って、マノが冷たく嘲った。
少女の隣に立っていた長身の男が、重たい口を開く。
「この女には、何かしらの呪がかけられている」
「グレッグでも解くのが無理だって事は、あいつがかけたんだと思うけどね」
「マノ。あの方を、そんな言い方で呼ばないで」
イレインがたしなめれば、金髪の髪をサラリと揺らしてもう一度肩をすくめた。
「じゃあやっぱり、力ずくってこったな」
「そういう事」
マノがうなずいて見せれば、バディックが指を鳴らし、舌なめずりをするように、鋭利な牙を剥き出しにして笑った。
ふと気付いたように、バディックは振り返る。
「ところでよ、何の言葉か知らねーけど。聞き出してどーすんだ?」
「さっきイレインが言ったろ? イレインはあの方の傍にいたいだけなのに、敷地にすら入れないからさ。まず入る事が出来さえしたら、あの方との恋路に一歩前進ってやつ」
「そうか。そりゃ難儀だな」
「だろ? それに、こういう役目はあんた好きそうだし?」
マノの流れるような言葉に、褐色の彼はなるほどと唸った。
「じゃあ、こいつの鎖を外してもいいか? 虎と戦えるなんて、よっぽどねぇからな」
「ダメよ、逃げられたらどうするの?」
「逃がしゃしねーから!」
「ダメったら、ダメ! せっかく捕まえたのに、万が一にも逃げられたらと思うと……卒倒しそうだわ」
小さな両手で顔を覆う彼女の肩を優しく抱き、グレッグは切れ長の目を細め、バディックを睨みつけた。
「イレインが倒れたらどう責任をとるのか」
「……分かったよ。睨むなって! まあ、縛り付けられた獣を殴ったところで、楽しくもなんともないんだがな」
深くため息を吐き、肩を回した。
そのやり取りを、ネキは静かに聞いていた。彼らの顔をその目にしっかりと焼き付ける。
昼間には出てこられない彼らのその隙に、鎖を切ろうと何度も試みた。
虎の姿になっても、抜け出す事は難しかったのだ。
普段のネキならば、こんな鎖くらい糸を切るほどに容易い。それなのに切れなかったという事は、何かしらの呪がかけられているとしか思えなかった。
声を上げても、磨りガラス越しに見える人影が反応する事はなく、諦めざるを得なかった。
逃げられはしない、だが何かしなくては腹の虫が承知しない。
こんな奴らと付き合うよりも、楓に頭をさげて猫なで声を出したほうが、どれほどマシか。
つまらなそうに、ゆっくりと近付いてくる図体の大きな男に向けて、ネキは低く獰猛な唸り声をあげた。
爛々と目を反抗的に光らせて、敵愾心を燃やす。
「お前に恨みはねーが、頼まれ事だからよ。死にたくなけりゃ、さっさと吐いた方が身の為だぜ?」
言うが早いか、大きな拳が細く締まった身体にめり込む。
金属の塊とまったく同じ所だ。ネキは歯を食いしばった。
「あたしが……自由になったら、お前らまとめて殺してやる」
「おう。そーなったら、俺も本気出せるんだがな」
気楽に喋るバディックが、もう一度同じ所に蹴りを叩き込む。
乱れた金髪を直す術もなく、低く呻く。バディックの背後から無表情に見つめてくるイレインを、暗い瞳で睨みつけた。
――こんな仕打ちなど、効きはしない。
ネキは今まで散々されてきたシツケを思い出して、口の端を持ち上げる。
思えば、鍛えられたものだ。ひょっとしたら、その度にどうやったのかは知らないが彼に強化されていたのかもしれない。
いくら獣人の治癒能力が高いとはいえ、鉄の塊を酷くぶつけられて、血も吐かなかったとは自分でも信じられなかったからだ。
「何故、笑っているの? 気分が悪いわ、やめさせて」
「バディック。何を手加減してるんだよ」
「してねーって! 虎女は、こうも頑丈なのか?」
節々が盛り上がった両拳の関節を鳴らし、バディックは笑う。
――頭まで筋肉で出来てる奴を扱うのは、簡単でいいな。
そうマノは心の中で呟き、舌を出した。