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残された者たち

 いつものように陽が暮れて、暗く冷たい空気が周囲を占める。

 電気もつけず、扉の横に座るコマに寄り添って座り、楓は彼の帰りを待った。

 陽が完全に沈み、急激に冷え込むその中で、さすがにコマが口を開いた。


「楓。ここにいては足に障る」

「大丈夫。だってコマさん、あったかいから」


 上の空で呟きながら、茶色の瞳は黒い扉へと向けられる。

 銀色の獣は、空気を動かすように立ち上がった。


「コマさん?」

 楓が慌てて小さな手をその背に置けば、金色の瞳が返ってくる。

「俺はしばらく食べなくても平気だが、楓はそうもいかないだろう。育ち盛りだからな」

 コマの言葉に、楓が目を見開き思わずふき出した。

 何故笑ったのかは知れないが、とにかく楓の笑顔に安堵してコマは服をくわえる。


「……コマさんも、どこかに行くの?」

「いや。ヒトは火を通さないと物が食べられないんだろう? だったら俺が何か作ってやる」

「私が、育ち盛りだから?」

「そうだ」


 真面目に返してくるコマに、楓は声をあげて笑いながら、固くなってしまった関節をゆっくりと伸ばすように立ち上がり、電気をつけた。

 人工的な光でも、暗闇の中にいるよりか、幾分気持ちが落ち着く気がする。

 白い息を吐き出して、楓は自分の身体が冷え切っている事に気がついた。


「コマさん、料理出来るの?」

「とにかく食べられそうな物を切って、火にかければいいのだ。バイトでやっていたから、なんとかなる」

「そうなんだ。私でも出来そうだね」

「ああ、そうだな……ってゆーか、やっぱり駄目だ。楓が火や刃物を使うのは槙原様がいる時だけにしたほうがいい」

「……パパに怒られるから?」

「そうだ」


 笑いを堪える楓を尻目に、コマは服をくわえなおし、洗面所へと消えた。

 それを見送って、まだ少しだけ残る不安を心に押し隠しながら、楓は台所の電気をつけた。


 暗い部屋が、光で満たされる。


 家中の電気をつけて回りたくなる衝動を堪え、台所へと足を踏み入れた。

 牛乳を大きなマグカップに入れ、電子レンジにかければ、低い電子音が当たりに響く。

 オレンジ色の光から目をそらせば、人型になったコマが顔を出す。


「冷蔵庫を勝手に開けても、シツケをされないだろうか」


 神妙な顔で楓に問うコマに破顔して、大丈夫だよと返した。

 私が許可したって言えばいいんだからと付け加えれば、コマは納得したようにうなずいた。

 小気味いい音を電子レンジが発し、楓は用意しておいたココアの粉を取り出したマグカップに入れる。

 あちらこちらと棚を開け、包丁やら食材やらを取り出しては適当にぶった切りにしていくコマの後姿を見つめながら、銀のスプーンを動かす。


 コマさんは、気にしていないのだろうか。


 楓は心の中で、複雑な気持ちをコマにぶつける。

 もちろん気がつくはずもないのだが、楓は振り向きもしない彼に、少しだけ口をとがらせた。

 コマが世話になったらしい、犬のような生き物を抱えていた女。

 その女性が言った言葉は、そばにいたコマにも聞こえていたはずなのに。

 それについて、コマは楓に何か言うわけでも、聞いてくるわけでもなかった。

 聞かれたところで、楓にとってうろたえてしまうだろうが。


 スプーンの動きが、少しだけ早くなる。

 コマに、自分の気持ちが図らずも伝わってしまったはずなのに。

 彼にとって、そんなにもこの気持ちは容易に聞き流せる内容であったのか。

 ただの好意としか思えなかったのだろうか。


 楓は、下を向いていたくなくてマグカップから目を離した。

 目の前には、せわしなく動くコマ。とはいっても切った食材を、鍋に移しているだけなのだが、思わず目で追ってしまう。


「コマさん、ちょっとだけ聞きたい事があるんだけど」

「なんだ?」


 大きな鍋に適当に水を入れ、蓋をしてから、コマはやっと楓を見た。

 声をかけてはみたものの、どうやって切り出したらいいものかと楓は言葉に窮する。

 それでもコマは言葉の先を急かすわけでもなく、台所の入り口に背中を預けた。

 こんな時間に誰かが尋ねてくるはずもないのだが、この場所なら玄関も見渡せる。


「コマさんは、どうして人間と距離をおこうとするの?」


 考えた結果、結局その言葉しか見つからなかった。

 別段、驚くわけでもなくコマは腕を組み、楓を伺っている。


「前にも言ったでしょう? コマさんは人間とは付き合わないのが、あたりまえだって」

「たしかに言ったな。距離……か。そうだな、それは俺が人間ではないからだ」

「でもそれは!」

 楓を金色の瞳で制し、言葉を続ける。


「人間は、年月がたつと年をとる。だが俺はそのままだ。俺が姿を変えれば、人間は恐れ、追い立てる。それが、いかに仲の良い人間だったとしても、例外はなかったよ」


 楓は、息を呑んだ。

 どれだけ長く生きてきたかは分からないが、彼がどれだけ深く傷ついてきたかは伺い知れるほどに伝わってくる。


「ネキさんが、人間の一生なんて息を吐くほどに短いって言ってた」

「……そこまでじゃないけどな」

「傷ついたり、傷つけられたりした事は、年月なんて関係なく。ずっと残るんだよ。その人が思っている以上に、きっとずっと」


 真摯に見つめてくる楓に、コマは小さく肩をすくめた。

 何も言ってこない彼に、小さな手を強く握りしめる。


「でも、でもね? これだけは信じて欲しいの。私は絶対にコマさんを裏切らないから!」

「そうか」

「そうかって……嘘だと思ってるでしょう。私が言うんだから、本気なんだからね!」


 ココアが半分ほど減ったマグカップを、机に音を立てて置き、その勢いのまま立ち上がった。

 苦笑するように金色の瞳は細められ、口の端が小さく持ち上がる。


「わかった」


 強い火力に、蓋が激しく暴れ始め、中身が吹きこぼれる。

 コマは慌てず騒がず、火を止めた。


 人参やらの根菜類が全て生煮えで、散々な出来ではあったが、楓は味のないソレに調味料を駆使してやりすごす。

 どうしても食べられなかった物は、手をつけていない物だけ大量に残っている鍋に戻し、また朝にでも煮直す事になった。

 大きな図体を、出来るだけ小さくしながら、コマは酷くうなだれた。


「……すまない。こんなに味がついていない物だとは思わなかった」

「いいよ。だって、明日も同じのなら、味がついてなければ違う味で食べられるじゃない」

「そういうものかな?」

「そうだよ」


 力強くうなずく楓に、コマは少しばかり救われた気持ちになる。

 風呂を済ませた――沸かす作業は、ボタン一つなので助かった――楓を部屋の前まで送り、強く約束される。


「いい? パパが帰ってきたら、どんなに遅くてもいいから起こしてね?」

「分かった。安心して寝るといい」

「……コマさんは、本当にどこにも行かないよね?」

「そんな事をしたら、後でどうなると思う?」


 お互い、真剣な眼差しで見つめ合い、低く唸る声に楓は笑った。


「コマさん、そんなにパパが怖いの? 最近じゃ、だいぶ仲良くなってきたのに」

「仲良く……ってゆーか、力の差がありすぎるんだ」

「そうなの?」

「そうだろう」


 獣の姿に戻っている彼に、楓は気のない返事をして部屋の扉を閉めた。

 静かに扉の前で座っていたコマは、ベッドに入る音を確認し、階下へと戻る。

 何の変化もなく佇む黒い扉を眺め、コマは定位置につく。

 まだ眠りについてはいないだろう楓の部屋の扉にも顔を向け、目を細めた。


 全てに恐れられる。自分でも異形と思うようなそんな姿を、楓に見せた事はなかった。

 血がたぎり、自分でも抑えきれない力が、どんな事態を引き起こすか。

 それは過去の経験から分かっていた。

 気がついた時には、血だまりの真ん中で自らも返り血に染まり、破壊しつくされた家屋や自然の中にいた。


 その時の記憶など、定かではない。

 定かではないはずなのに、狂乱状態の自分が本当の自分なのではないかと思わせるほどに高揚していた事は分かったのだ。その状況を楽しんでいたのではないかと思うほどに。


 もちろん我に返った時、変わり果てた周囲を見て、自分自身に絶望したのだ。

 かつて自分を愛してくれた人間をも、この手に、牙にかけた事もある。

 自分を殺そうとしてきたのだ。しかし、だから仕方ないと思えるほど、自分の持つ力の制御が今よりも出来ていなかった。


「俺は……」


 楓父がいる事で、自分にも歯止めが利いていたのだろうとも思う。

 万が一の事があったにせよ、彼なら自分を止められるという事実に。

 だが、根底にある自分が、いつか楓も傷つけてしまうのではないか。という危惧にいつも自制を強いていた。


 好意を寄せてくれる者でも、いつかは自分を敵視するようになる。


 コマは強く目を閉じた。

 一人の者に執心してはならない。そう、絶対に忘れてはいけない事だ。

 自制しなくてはならない。我を忘れるような、あんな酷く邪悪な高揚感など、一度でも好意を見せてくれた者に与えてはならない。


 たとえ、その時がこようとも。


 力を緩めて、目を開ける。

 暗く沈む部屋の中で、金色の瞳は揺らぐ事なく、冷たく光っていた。



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